2025年9月29日月曜日

100分de名著 福沢諭吉④

秋起し1兆円を託されて(小池淳義氏)

蚯蚓(みみず)鳴く情報開示と機密保持

半導体Stopは死威銃(おどしづつ)

(半導体)秋霞遅れをとった20

秋あわれ勝てるシナリオさえあれば

 

100de名著 福沢諭吉❝福翁自伝❞④事業の達人に学べ

齋藤孝 伊集院光 阿部みちこ 永松茂久(実業家・作家)

 

独立自尊

 

慶応義塾の成り立ちは教師の人々がこの塾を

自分のものと思うて勉強したからのことです。

決して私一人の力に叶うことではない。

人間万事、余り世話をせずに

放任主義の方が宜()いかと思われます。

 

自分で全部やらない

プロデューサー向き

 

プロデューサー的な人が明治時代初期には必要だった

いろいろな人と繋がっていく即断即決でどんどん立ち上げていく

 

慶応義塾を開いて何十年来様々変化は多い。

時としては生徒の減ることもあれば増えることもある。

ただ生徒ばかりではない、会計上からして教員の不足することも

度々でしたが、ソンナ時にも私は少しも狼狽しない。(中略)

生徒惨じ教員去って塾が空家になれば、

残る者は乃公(おれ)一人だ、(中略)

福沢諭吉は大塾を開いて天下の子弟を

教えねばならぬと人に約束したことはない、

塾の盛衰に気を揉むような馬鹿はせぬと、

腹の底に極端の覚悟を定めて、塾を開いたその時から、

何時でもこの塾を潰してしまうと

始終考えているから、少しも怖いものはない。

 

メンタルタフネス

極端なケースを想像して覚悟を極めておくことで

世間の評価や時代に振り回されず独立を保てる

 

永松茂久著「人は話し方が9割」

「福翁自伝」に沿ってビジネス展開

「福翁自伝」から学ぶ執筆の5原則

   読む人に分かりやすく

   語りかけるように

   読者を見下さない

   エゴではなく読む人に役立つことを

   伝えるために

 

「福翁自伝」の小見出しは福沢自身が付けた

明治2(1869)年 出版業に着手

 

当時(中略)掻き集めて千両ばかり出来たから、

それから数寄屋町の鹿島という大きな紙問屋に人を遣って、

紙の話をして、土佐半紙を百何十俵、代金千両余りの

品を側近で一度に買うことに約束をした。

その時に千両の紙というものは実に人の耳目を驚かす。(中略)

土蔵一杯積み込んで、ソレカラ書林に話して

版摺りの職人を貸してくれということにして、

何十人という大勢の職人を集め、(中略)職人が朝夕、紙の出し入れを

するから、蔵に這入ってその紙を見て大いに驚き、大変なものだ、

途方もないものだ、この家に製本を始めたが、このくらい紙が

あれば仕事は、永続するに違いないとまず、信仰して、

(中略)これが端緒(いとぐち)になって、職人共は問わず語りに

色々なことを皆白状してしまう。

此方(こっち)の監督者は利いた風をしているが、その実は全くの

素人でありながら、職人に教わるようなもので、段々巧者になって、

(中略)版木師も製本仕立師も次第々々に手を附けて、これまで

書林のなすべきことはすべて此方の直轄にして、書林にはただ

出版物の売り捌きを命じて手数料を取らせるばかりの

ことにしたのは、これは著訳社会の大変革でしたが、

ただこのことばかりが私の商売を試みた一例です。

 

千両分なくなったとしても元からなかったと思えばよい

他人からお金を借りると不自由になる

福沢は独立を侵されたくない

遠くの目標に一気に行くより目の前で必要なところをひとつずつ追う

 

時事新報創刊

気象情報 大地震の義援金を募集する広告 職業別歩き方の特徴図鑑

 

庶民が読めないなら意味あるのか

市民それぞれが色々なことを知る=国を良くすること

みんなで知識を上げていこう

国民のレベルを上げていこう

メディアを事業として立ち上げて人的な交流を活性化させて

世の中を前に進めていく 理性の効く世界で仕事をした

理 理性の理であり 合理的の理 今の合理的は効率的の意味

 

カロリー消費が少なくていっぱい儲かること合理的、効率的というのは

違っていると思います 伊集院

 

縣内士民江告論文()

天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らずといへり

「学問のすゝめ」初編(初版)ができた

福沢諭吉は日本の近代化をリードするわけだが

中津という郷里に対して旧藩の門閥制をなくして

人々が平等に暮らして生きることを目指した

 

小田部菊市宛福沢諭吉書簡(明治30117日付)

曾木山之買集 環境保全に努めた 

現在のナショナル・トラスト運動とも言える行動でした

 

回顧すれば六十何年、(中略)私の夢は至極変化の多い賑やかな夢でした。

旧小藩の小士族、窮屈な小さい箱の中に詰め込まれて、

潘政の楊枝をもって重箱の隅をほじくる その楊枝の先に

かかった少年が、ヒョイト外に飛び出して(中略)西洋学の

門に入り、以前に変わった書を読み、以前に変わった人に交わり、

自由自在に運動して、(中略)日本が狭く見えるようになって来たのは、

何と賑やかなことで大きな変化ではあるまいか。(中略)

人は老しても無病なる限りはただ安閑としては居られず、

私も今の通りに健全なる間は身に叶うだけの力を尽くす積りです。

 

心身の健康

まず獣身を成して後に人心を養う

 

すごく大きな期待に縛られず「あれもこれもやります」ではない 伊集院

 

齋藤孝

力抜けてていい 

自分の身がしっかりしていると周りが暴風雨でも安定している

突出した天才ではない 

バランスが取れていると時代を動かす大人物になれる

ヒントになる

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