アルツハイマーとコロナワクチン秋意
秋の声感染症のワクチンが
認知症ワクチンが減す秋意かな
アミロイドβだけでは秋高し
稲妻やタウの侵攻早し
タウ貯めぬ克服法や流れ星
■100分de名著 福沢諭吉❝福翁自伝❞③人生の困難を切り拓く
齋藤孝 伊集院光 阿部みちこ
日本開闢(かいびゃく)以来未曾有(みぞう)の事
桂川の手紙を貰って木村の家に行って その願意を述べたところが、
木村では即刻許してくれて「宜しい、連れて行ってやろう」
ということになった。
というのは、案ずるに、その時の世態人情において、
外国航路などと言えば、開闢以来の珍事と言おうか、
むしろ怖ろしい命掛けのことで、木村は勿論軍艦奉行であるから
家来はある、あるけれどもその家来という者も余り行く気は
ないところに、仮初にも自分から進んで行きたいと言うのであるから、
実は彼方(あっち)でも妙な奴だ、幸いというくらいなこと
であったろうと思う。
福沢の交渉術
WIN-WINの関係
ハーバード流交渉術
相手に勝つのではなく双方が満足のいく合意を目指す
オプション 正当化
関心利益 BATNA(最良の代替案)
交渉のカギを握る7要素
関係 コミットメント
コミュニケーション
福沢に損はない 「絶対乗れなければだめだ」という気持ちではない
必死だと足元を見られたり警戒されたりすることがある
失敗しても戻れる場所があると余裕があるのでチャレンジできる
関心利益
福沢 経験値が得られる
木村 船旅に同行する従者が得られる
始終私は同船の人に戯れて「これは何の事はない、生れてから
マダ試したことはないが、牢屋に這入(はい)って毎日毎夜
大地震にあっていると思えば宜し(い)いじゃないか」
と笑っていることくらいなことで、船が沈もうということは
一寸(ちょい)とも思わない。
三、四月暖気の時節に氷があろうとは思いもよらぬ話で、ズーッと
銘々の前にコップが並んで、その酒を飲む時の有様を申せば、
列座の日本人中で、まずコップに浮いているものを口の中に入れて、
肝を潰して吹き出す者もあれば、口から出さずに
ガリ〱嚙む者もあるというような訳(わ)けで、ようやく
氷が這入っているということがわかった。
女尊断卑(しょそんだんぴ) レディー・ファースト
医者の家に行ったところが、(中略)如何にも不審なことには、
お内儀(カミ)さんが出て来て座敷に座り込んでしきりに
客の取り持ちをすると、御亭主が周旋奔走している。
これは可笑しい。まるで日本とアベコベなことをしている。
御亭主が客の相手になってお内儀さんが周旋奔走するのが
当然(アタリマエ)であるのに、さりとはどうも可笑しい。
洋行で得た経験とは?
人間の摂理ではない あくまでもその国の事
驚くという経験は貴重
書物の上であれこれやっても絨毯の事は書いていない
「少しも驚くに足らない」
事前に勉強する良さは分からないことをリストアップできる
分からないことが何なのかが分かる
チャレンジ精神 経験値を上げることに価値を置く
チャレンジを選んでいった それが福沢のスケールを大きくした
地味な経験値を積むことをしないままでかいところに立てますか?
少しずつ成功体験を積んだりびっくりして恥をかいたりしながら
立場が上がっていく
ものごとを決断する時に成功か失敗で考えない
何にせよ経験値は上がるんだ
「あそこに行きたいんだ」という所を見ていると
バランスが崩れても頑張れる
自分の経験値を上げることが日本のためだという確信
近代日本を作っていかなければ独立を守れない
大きな見通しがあった
血を流さずに政権交代が行われる
文久2(1862)年 生麦事件
元治元(1864)年 禁門の変
外国の貿易をする承認さえ店をしまうというのであるから、
まして外国の書を読んでヨーロッパの制度文物をそれこれと
論ずるような者は、どうも彼輩(あいつ)は不埒な奴じゃ、
畢竟(ひっきょう)彼奴(あいつ)らは虚言(うそ)をついて
世の中を瞞着(まんちゃく)する売国奴だ、というような評判が
ソロ〱行われて来て、それから浪士の鉾(ほこ)先が洋学者の
方に向いてきた。
これは誠に恐れ入った話で、何も私共は罪を犯した覚えはない。
(中略)マア〱言語(げんぎょ)挙動を柔らかにして決して
人に逆らわないように、社会の利害というようなことは
まず気の知れない人には言わないようにして、慎めるだけ
自分の身を慎んで、ソレと同時に私はもっぱら
著書翻訳のことを始めた。
嫌疑ということがあっては これは容易ならぬ訳けであるから、
ソレを明らかにするために、私は一切万事何もかも打ち明けて、
一口に言えば塾も住居(すまい)も殻明きにしてしまい、どこを
捜したところで、鉄砲は勿論1梃(ちょう)もなし、刃物もなければ
飛道具もない、一目明白、直にわかるようにしました。
始終そういう身構えにしているから、私のところには官軍方の人も
颯々(さつさ)と来れば、賊軍の人も颯々と出入りしていて、
私は官でも賊でも一切構わぬ、何方(どちら)に向かっても
依怙贔屓なしに扱っていたから、双方共に朋友(ほうゆう)でした。
福沢この時35歳…。
動乱の時代を生き延びる
極端なことをしないでそれなりに両方と付き合う
立場を固定化しない
正義感で熱くなりすぎて極端に走ってしまう
大局観を持って冷静に進めていかないと進まない
ひとつ芯が通っているものさえあれば大抵のことは譲れる
福沢は新政府から出仕要請を何度も受けたが固辞し続けた
政治の世界と啓蒙の世界は違う
福沢は新しい思想・知識を世の中に広めることに軸足を置いた
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