2021年11月21日日曜日

文法と解釈「ぬ」

ドウダンツツジ今が見ごろと冬の朝
冬めくや痛みの記憶緩和せん
生き飽きた蟷螂(とうろう)枯るや死に支度
冬の色死は平等に公平に
元気という病を罹患枯芝

夏井いつき俳句チャンネル より
【文法と解釈】「サタン離れぬ」の様々な考察を紹介!

われにつきゐしサタン離れぬ曼殊沙華   杉田久女

解釈
「離れた」派 A 完了「ぬ」終止形

「離れない」派 B 打消「す」連体形「ぬ」
        B´口語 打消「ぬ」連体形
        C 口語 打消「ぬ」終止形

コメント 曼殊沙華という季語がポイント
曼殊沙華は魔除けの花である。
植物が持っている意味から考え「離れた」である。

コメント 久女の境遇から考えると「離れた」だと思う。
これは作家論的な解釈鑑賞。
俳句と作者を切り離して俳句だけを考える作品論。

考えるということが大切。
白黒つけてしまうのは損なことではないか?
それぞれの解釈があって良い。
また、それを誰も唯一の正解だとも思っていない。
俳句は違った価値観をお互いに持っているけれど
相手を否定せずに受け入れ合う文化。
「多様性」だと思います。
俳句を通してそういうこと学び合う機会になれば良い。

「つきゐし」はわざわざ字余りの過去の助動詞にしている。
「ぬ」だから、組長は「離れた」派。

コメント「ぬ」を変えれば「離れた」と言い切れる。
「サタン離れし」だったら解かり易いのに…。
「離れず」が1番解かり易いのでは?

正人さんは「離れない」派 C口語打消「ぬ」終止形
文法的な事ではなく経験則として考えていた。
皮肉的な逆説的な考えもできるのではないか?第三軸として…。
組長の思考は京都風。
「離れました」と言いながら「離れない」と、
いう意地悪な「離れない」派ではないか?
思考という名のラビリンスに入っていく。

コメント 文法上の問題はあるものの、どちらの
解釈も可能であるならば「離れない」を採りたいです。
「離れた」と思ったけれど「離れていない」
二重の意味を持たせたのではないか。
その方が人間の業を感じられてドラマがあるように思う。

杉田久女に対して申し訳ない推測ですが
自分としては「~できぬ」というつもりだったが
結果論としてAになったのでは?と、組長。

語り合うのは楽しい!こういう時に
「正解を言え!」というのは無粋!
議論することが楽しい…。

組長は田辺聖子「花衣ぬぐやまつわる」という表現です。
自分なりの考えを持つということが大切です。

私感
私はひとり思っていたいです。
俳句を好きな方にはディベートで相手を
凹ませることに生きがいを感じておられる方が多いですが
そうでない人間もいることを知って欲しいです。
ディベート大嫌い派です。

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