2023年1月15日日曜日

紀貫之「和歌ブーム」を巻き起こせ

寒の雨その場しのぎの親切よ
大空を意気揚々と寒鴉(かんがらす)
干上がった冬の河原や残り鷺
枯れ果てた田畑旋回冬雲雀(ひばり)
耳元の微かな不快冬の蚊の

知恵泉より
先人たちの底力 知恵泉「紀貫之 “和歌ブーム”を巻き起こせ!」
ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは
在原業平(百人一首、古今和歌集、伊勢物語にも収録されている。)
人はいさ心も知らずふるさとは花ぞむかしの香ににほひける
紀貫之
春は桜 秋は紅葉 忍ぶ恋といった日本人の美意識を確立した。
古今和歌集
男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり
土佐日記
江戸時代前は和歌、それ以降は短歌と呼んでいる。
俳句や川柳など日本の詩歌は全部和歌が源にある。
「古今和歌集」は日本初の勅撰集(天皇の命令で作られた)
「万葉集」は自然に詠まれた和歌をまとめた歌集
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
色ごのみの家に埋もれ木の人知れぬこととなり
「古今和歌集」仮名序
「古今和歌集」は型を創った歌集 歌集の型を創った
時の推移と移ろう人の心を詠んでいる歌
人間の心のカタログ 心と言葉の見本帳
やまと歌は人の心を種として
よろづの言の葉とぞなれりける 「古今和歌集」仮名序
そして、表現の型も創った
春を詠むには梅に鶯 桜と霞 
秋を詠むには紅葉に錦 月と雁(かり)
春たてば花とや見らむ白雪のかかれるえだに鶯の鳴く
花の香を風のたよりにたぐへてぞ鶯さそふるべには遣(や)る
梅の花見にこそ来つれ鶯のひとくひとくといとひしもをる
型を共有することで新しい想像をして喜べる
お互い理解もできる 共感し合える
和歌はブームとなり国風文化が興隆
魅力を伝えるには「型」を創れ!
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
桜花散らば散らなむ散らずとてふる里人の来ても見なくに
上記二句は失恋ソングの型
春風亭一之輔さんの知恵
一生懸命型をコピーすると自分の個性が出てくる
形なし 型破り は全然違う
かなを使った
真名序と仮名序があった
紀貫之はかなのオタク
誰よりの仮名を愛していて
誰よりもかなの可能性を信じていた
土佐日記より
男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり
土佐日記は和歌入門書
をしと思ふ人やとまると葦鴨のうち群れてこそわれは来にけれ
棹(さお)させどそこひも知らぬわたつみの深きこころを君に見るかな
貫之が「これはいい」「これはもうちょっと
直したほうがいい」と具体的に指摘する
読者は「なるほど和歌はこう詠めばいいんだ」
「もしかしたら俺これ以上詠めるかも」と思うかも
民衆の生きざまエネルギーをどこか感じていたんじゃないか
まことにて名に聞くところ羽ならば飛ぶがごとくに都へもがな
自分の言葉で身分に似つかわしく詠む
そこから和歌が始まる
自分にもできると思わせろ!貫之の知恵
推しを布教するタイプのオタク
和歌やかな文字を布教したい
歌論所を詠むことで和歌の本質が掴める
土佐日記も歌論所の一つなのではないか
春風亭一之輔さんの知恵
勘違いさせるというのも大事
万葉集と土佐日記は似ている
「万葉集」という古い歌集の方法も取り込んで
日本中の和歌の歴史を振り返りつつ
自分の理想の和歌を探し求めていた
自分の言葉でしゃべるのが最終目標
お客さんも壁がなくなって喜んでくれる
古典は過去ではない未来を作るために必要

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