稲光ブラックマンデー到来か
原油ガスユーロとポンド安の秋
いなつるびトリプル安(株・通貨・債権)に襲われん
スイスではビッグマックは流れ星
インフレの抑制効かず秋黴雨(あきついり)
プレミアムカフェ (1)文豪の食卓(1999年)(2)草枕(2001年) より
河豚汁や死んだ夢見る夜もある 夏目漱石
新しい短歌づくりを目指して集まるようになった。
メンバーは与謝野寛、与謝野晶子、北原白秋、石川啄木…。
これが観潮楼歌会(かんちょうろうかかい)
観潮楼は鴎外邸の名称。
1907年(明治40)3月から10年4月までの間に開催記録26回。
毎月、第1土曜日の夕方から行われ、歌会の形式は、
初期のころは参加者各自の持ち寄り歌の相互批評を、
漸次兼題詠の互選と批評が行われた。
これやこの石の油を焚きし世にもてはやされしランプてふもの
鴎外
カンテラのいぶる煙に隣りたるランプの如し愁あかるし
寛
木曜会(もくようかい)は、夏目漱石宅で、
漱石の教員時代の教え子や漱石を慕う若手文学者が集まり、
さまざまな議論をした会合のこと。
森田草平、鈴木三重吉、芥川龍之介、高浜虚子、内田百閒(ひゃっけん)ら
大正期の文学を担っていく若い作家たちや、
小宮豊隆、寺田寅彦、野上豊一郎ら、創作家にはならずエッセイ、
評論の世界で活躍することになる青年たちが集っていた。
晩年の鴎外が好んで食べたのは「まんじゅう茶漬け」
よく火の通った潔癖症の鴎外ならではの「茶漬け」です。
腸(はらわた)春滴るや粥の味 漱石
漱石の危篤から目覚めて言った言葉は
「何か食ひたい」
漱石に与えられたのはひと匙の葡萄酒でした。
「うまい」と言って息を引き取られたとか…。
森鴎外家系図 https://4travel.jp/travelogue/10938126
夏目漱石家系図 https://star-children.com/iiiuminate/natsumehimika
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