2021年10月24日日曜日

10月の子規

台風の風と一緒に(オキナワビロウド)セセリ来る
舞う(タイワンアオバ)セセリ蜜吸うセセリ息飲まん
温もりと使い勝手を知った秋
宗悦の字に韓を見んそぞろ寒
秋深む使って壊れ修理して

夏井いつき俳句チャンネル より
【10月の子規】漱石は小説に書き、子規は句を作った遊郭とは...

色里や十歩はなれて秋の風   正岡子規

この句がどこで作られたのかは
すごくハッキリと分かっています。
この句が作られたのは愛媛県松山市宝厳(ごん)寺
伊月庵の3軒隣にあります。歩くと20歩の所。
明治28年10月6日
愚陀仏庵に居候していた子規が
漱石と一緒に吟行に出かけて
宝厳寺へ上る坂の両側が元々妓楼だったのです。
愚陀仏庵とは夏目漱石が英語の先生として
松山中学に赴任していた時借りていた下宿。
そこに子規が帰省してきて転がり込むわけです。
妓楼すなわち遊郭だったのです。
「上人坂」の両サイドは遊郭がビッシリ並んでいました。
この事は夏目漱石の小説「坊っちゃん」の中で
書いている一説があります。
北へ登って町のはずれへ出ると
左に大きな門があって「宝厳寺」と
刻んだ大きな石碑があります。そこのことです。
「門の突き当りがお寺で左右が妓楼である。
山門のなかに遊郭があるなんて前代未聞の現象だ。」
と、記されています。
2人は散策をして後に、
漱石は「坊っちゃん」という小説に書き
子規はこの句を作りました。
宝厳寺駐車場は朝日楼という
一番大きな遊郭が建物として残っていました。
その建物がコの字型にあって中庭みたいなところに
大きな桜があって、その桜がそこに残っています。
(上人坂の)両サイドの家は間口に比べて奥行きが長い。
この敷地の取り方が遊郭の敷地の取り方で
その反対側の裏道に必ず小道がありました。
裏側の細い道はお客を逃がすための抜け道だったのです。
イタリアのアルベロベッロのあたりに同じような
作りの家が立ち並んでいたという話を正人さんが…。
(京都の町屋の事情が知りたくなりました。)
この句碑は宝厳寺の門を入ったところにあります。
帰りには「伊月庵」を覗いて貰ったら嬉しい。

0 件のコメント:

コメントを投稿