大衆の 個性攻撃 余寒かな
正しきは 人それぞれぞ 春動く
浅き春 大きな声で 我を通し
青饅や 箸が止まらぬ 止められぬ
葛飾北斎についてメモしました…。
春朗期 20~35歳
美人画、風景画、仏画、役者絵
鎌倉勝景図巻(34~35歳) 俳諧との繋がり 絵版切れ
宗理期 36~46歳
宗理美人 刷り物が多い 煙草と煙草入れ 狂歌
葛飾北斎 46~50歳
北斎辰政 北辰=北斗七星=妙見菩薩 日蓮宗
陰影の勉強 読本(よみほん)の挿絵 曲亭馬琴と組む
海老、美人画 画号を弟子に売却 筆の面で表現する
戴斗期 51~60歳
絵の手本となる「北斎漫画」を出版
初版は尾陽(びよう)と言う名古屋の版元と契約し、
後々15巻のベストセラーとなる。
遠近法を勉強。生首図
この頃、既に油絵が日本に入ってきていた。
ナマコ図、芋の図
為一期 61~74歳
波の絵 71~75歳 富嶽三十六景 71~75歳
赤富士、隠田の水車 北斎ブルー
風景画 それまでは名所絵
画狂老人卍 75~90歳
諸国瀧廻り、美濃の国の養老の瀧
木曽路、奥阿弥蛇ヶ瀧、霧降の瀧
錦絵を終える。
肉筆画の登場。洋風を取り入れ陰影を描く。
向日葵図(88歳) 年齢を印す。
枯れた感ががなく、理想を目指す芸術家の姿がある。
弘法大師修法図(88歳、最晩年に最大級の肉筆画を描く)
縦153㎝×横240㎝ 元々は絵馬だった。
北斎は遅咲きの天才。
心をなくすことなく努力を続けた。
葛飾北斎の言葉
「天があと10年いや5年 命を与えてくれるなら
本物の絵描きになれただろうに」
ぶらぶら美術・博物館 より
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