2019年2月18日月曜日

葛飾北斎の備忘録

才能は 育んでこそ 春の朝
大衆の 個性攻撃 余寒かな
正しきは 人それぞれぞ 春動く
浅き春 大きな声で 我を通し
饅や 箸が止まらぬ 止められぬ

葛飾北斎についてメモしました…。

春朗期 2035
 美人画、風景画、仏画、役者絵
 鎌倉勝景図巻(3435) 俳諧との繋がり 絵版切れ

宗理期 3646歳 
 宗理美人 刷り物が多い 煙草と煙草入れ 狂歌

葛飾北斎 4650
 北斎辰政 北辰=北斗七星=妙見菩薩 日蓮宗
 陰影の勉強 読本(よみほん)の挿絵 曲亭馬琴と組む
 海老、美人画 画号を弟子に売却 筆の面で表現する

戴斗期 5160
 絵の手本となる「北斎漫画」を出版 
 初版は尾陽(びよう)と言う名古屋の版元と契約し、
 後々15巻のベストセラーとなる。
 遠近法を勉強。生首図
 この頃、既に油絵が日本に入ってきていた。
 ナマコ図、芋の図

為一期 6174
 波の絵 7175歳 富嶽三十六景 7175歳 
 赤富士、隠田の水車 北斎ブルー
 風景画 それまでは名所絵

画狂老人卍 7590
 諸国瀧廻り、美濃の国の養老の瀧
 木曽路、奥阿弥蛇ヶ瀧、霧降の瀧
 錦絵を終える。
 肉筆画の登場。洋風を取り入れ陰影を描く。
 向日葵図(88) 年齢を印す。
 枯れた感ががなく、理想を目指す芸術家の姿がある。
 弘法大師修法図(88歳、最晩年に最大級の肉筆画を描く)
 縦153㎝×横240㎝ 元々は絵馬だった。
 北斎は遅咲きの天才。
 心をなくすことなく努力を続けた。

葛飾北斎の言葉
「天があと10年いや5年 命を与えてくれるなら
 本物の絵描きになれただろうに」

ぶらぶら美術・博物館 より

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