ビジョンなき人生を生く朧月
涅槃雪棘ある言葉浴びせられ
木蓮や日本語通じぬ美容院
スクリューフレーション深刻な春
襲い来るインフレーション春の街
■あの人に会いたい 楳図かずお(漫画家)
楳図かずお1936(昭和11)-2024(令和6)年 88歳没
マンガが動いているのは僕の大きな拘り
マンガって動かないじゃないですか
動くようにどうやったら描けるだろうかというのが
いつも頭の中の問題
1936(昭和11)年 和歌山県高野山生まれ
生れて7~8か月くらいに母親がふと こういう子どもに
絵を描かせると描くかなといって 鉛筆を持たせて 丸はこうだよ
とかいって そうしたら描いたものだから
「新寳島」手塚治虫著
パッと見ると おもしろそうだったから 買って読むと
おもしろくて それが手塚治虫のマンガだった
読んだ瞬間に「プロになろう」と思った
「森の兄弟」で1955(昭和30)年にデビュー
まだストーリーが作れなかった
グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」から(ストーリー)を
起こさせて貰った だけど僕のマンガの出発点
高校を出てプロでやっていく時にまわりを見渡すと
もうSFは手塚治虫さんがやっているのでだめ
「恐怖」というジャンルがなかった スリラーと怪奇は
あったが「恐怖」というのはなかった
子どものころはそれ(民話)が怖い話だと思っていない
単純におもしろい話だなと思って聞いていた
自分が嫌なものほど人はおもしろいだろうなと思って
僕も実際は嫌なんだけど マンガの中に出てくるのは
すごくおもしろい 実際に嫌だなと思うのは話の中に入ると
いちばん興味の持てるおもしろいものに変化する
恐怖というのは自分の頭の中の創造性 新しいものや
知らないもの 未知のものに対する興味が怖いという事だと思う
1975(昭和50)年 小学館漫画賞を受賞
1976(昭和51)年 「まことちゃん」連載開始
恐怖と笑いは表裏一体
追っかける側と追いかけられる側 それぞれの立場によって
ギャグになるか恐怖になるか それだけの違いだと思っている
追いかけられる側はやっぱり怖い もう恐怖そのもの
相手が転んだりしたらおかしいだろうなと
1982(昭和57)年「わたしは真悟」連載開始
仏アングレーム国際映画祭で「遺産賞」を受賞
「14歳」連載終了後 休筆
もう怖いマンガは(必要)ないと思うと言われたり
それだったら具合悪いなと思って たっていても
おもしろくも何ともないので
2022(令和4)年「連作絵画」の展覧会を開催
目指すところはマンガではなく絵画 両方のいいところを足せば
こんなふうになる そういう目標 今回描いたものには
つなぎがない やにわにクライマックスが来ちゃう
最初から(クライマックスが)来て 次もクライマックス
みんなクライマックス
生物は最初の無機物から有機物になった瞬間に
食う食われるの状態の怖さはそこから始まっていると思う
食われるところから どうやって 逃れようというので
生物は進化していって 食われる恐怖のない生物は
進化していない そこの部分が ちょっと緩んでいる
ところがあると思うから 少し鍛えていったほうがいい
怖さに対する防御力ですよね
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