2025年4月4日金曜日

南総里見八犬伝 祖父江慎&山を音訓で詠む

陽春や肌が喜ぶ歌声を
春昼へ包み込むよに歌い出す
風光るコーラス圧倒指揮の声
春の風団員威圧指揮の声
春鳥よスタッカートよ軽やかに

■夏井いつき俳句チャンネル
【一句一遊】お便り紹介13【「山」にまつわる話・山の季語と音訓】

山四大季語
山笑ふ 
山滴る(夏山の形容を山滴るという。水の滴りとは関係なく、
青葉の蒼翠滂沱たる姿を讃える言葉である。)
山粧う(秋の山の姿を「秋山明浄にして粧うが如し」と比喩したものが出典。
    晩秋の紅葉に彩られた美しさ。)
山眠る(落葉し尽くした山々が冬の日を受けて静かに眠っているように見える)

山をやまとさんで詠んでみる
カメアシと石鎚山(さん)の山(やま)開き   家藤正人
山(やま)滴る山(さん)岳隊のお弁当   夏井いつき
富士山(さん)を見上げているのは山(やま)本君   夏井いつき
父さんが月(つき)から帰る月(げつ)曜日   家藤正人
月(げつ)桂樹匂やかにして春の月(つき)   夏井いつき
月(がつ)山に満月(げつ)月(つき)野博士の死   家藤正人

■知恵泉 べらぼう時代のソフトパワー「南総里見八犬伝」曲亭馬琴
祖父江慎 品川祐 板坂則子

絵の大切さに気づいた馬琴は葛飾北斎と組む
最初の頃は北斎も二流 馬琴も二流
10年間一緒に仕事したことで二人とも見事の花開き超一流に
「椿節弓張月」曲亭馬琴 文 葛飾北斎 絵 文章と絵が超一流
二人は10年間一緒に仕事をして成功を収めたが
以後2度と協力することはなかった

不得意を克服せず 得意技で勝負しろ!

祖父江慎
不得意なものに対して得意になるのは無理
苦手なまま突き進めば苦手な人の賛同が得られる
時代は動くから追いつくのか追いつかないのかたまたま乗るか分からない
いいとされているものに“乗っかる”のは良くない

馬琴は読本に辿り着くまでが大事だった
自分の得意技が何なのか見つけるのは難しい

品川祐
馬琴は自分が読みたいものを書き それが時代に刺さったのでは

祖父江慎
発見が次の発見を生む そのものと向き合った時 
今まで思ってなかった大切なことが見える

48歳で「南総里見八犬伝」に取り掛かる
水滸伝にアイデアを借りながら日本の歴史や伝承をかりファンタジーを記した
1973-1975連続人形劇 新八犬伝 脚本:石山透

妥協せず理想を追えば大業につながる!
武士から町人になった
武士の身分を捨てたことを後悔していた
名誉・勇気・忠義を持つより道徳・正義を持ち
社会のお手本となるそういうものに私はなりたい
武士の身分に戻る事が大きな目的となっていく
息子宗伯に期待をかける 医師として松前藩から扶持
しかし病死 そこで孫に託す 
御家人株 生活に困った御家人が身分や役職を株化して売れるようにした
そこで130両を工面しようとした
八犬伝の世界の中へ理想を映し出そうとした
天保11年(1840)74歳 目が見えなくなる
八犬伝を諦めるわけにはいかないので アルバイトを雇って
口述筆記させたがすぐに辞められてしまう
困り果てた馬琴を助けたのは息子宗伯の妻お路でした
水戯自得(すいれんじとく)の老婦(おうな)にあれば
一字一句教え膨大な時間をかけて八犬伝を書き上げました
天保13年(1842)完成

祖父江慎
話の作り方の巧さ 書きっぷり 原文は怖い 

お路がお路らしく生き出したのは夫が死んだあと
生きていく目的を見出した
戯作の地位が上がっていく
鴎外や漱石のような立派な地位の人が小説を書いても恥ずかしくない
馬琴が小説家の地位を上げた
自分の本が世の中を変えていく 人間を高みに連れて行く
稗史七則 馬琴がまとめた小説の創作技法
隠微(いんび) 作者が書いた文章に隠されている本当に伝えたいメッセージ
百年後も読まれ続けその時代の読者にも自分の真意を届けたい

祖父江慎
ほどほどに妥協は必要 妥協しつつもそれに伴う残念と向き合い続ける

馬琴の周りは大変だった

板坂則子
馬琴の一生は挫折の連続 本当に自分がダメになってしまいそうな
挫折にあった時 どうやって自分を信じるか 自分の力を信じて立ち上げるか❓
大業を成し遂げる人との違い

祖父江慎
うまくいかないことが多い程、わくわくしてしまうのでは❓
思った通りのものが出てくると楽しくない 
馬琴もうまくいかないことを楽しんでいたかも❓
上手にいくと退屈 

品川祐
馬琴は48歳から書き始めたんだから
52歳だから書ける事ってあるよなあ

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