2025年4月6日日曜日

100分de名著 ヘーゲル❝精神現象学❞④

春日和裏カウントを刻みつつ
心を込めた声受けとめてぬくし
春望や胸を開きて尻閉めて
一音を繋げる作業春陽かな
柔らかな音に声載せ春日向

■100分de名著 
ヘーゲル❝精神現象学❞(4)それでも共に生きていくー「告白」と「赦し」
ヘーゲル(1770-1831)G.W.F.Hegel
自由と共同性を両立する世界を築くにはどうしたらよいのか❓
キーワードは「然(しか)り」
対立するAとBが互いの矛盾を考え抜き両者を統合する「アウフヘーベン」
この「然り!」こそが ヘーゲルの示す弁証法的展開なのです

斎藤幸平 八嶋智人 伊集院光 阿部みちこ

良心
「相互承認」に現代社会の分断を乗り越えるヒントがある
道徳的社会観
カント(1724-1804) 定言命法
嘘をついてはいけない 嘘をつくな
自己が正しいと考えた判断が普遍的な意味を持つためには
「なぜ正しいのか」を皆に説明しその判断に従って果たすべき行為-
“純粋義務”を自ら皆に実践して見せ賛同してもらう過程が必要になる
「良心」の意識とは?
「良心」も伝統や宗教などに従うのではなく 自分が正しいと思うことを
自らの判断で行うという点においてはカント的な共通点がある
しかし何が正しいかは見方や立場によっても変化する
だとすれば良心は単に自分が「正しい」と思うからやるだけでは不十分
他の人たちにも善であることを承認して貰って普遍性が獲得される
対話型の道徳論

行為する意識 評価する意識 偽善と偽善

よく知り、より知っていると うぬぼれているにすぎないのに、
現になされたことを散々こき下ろし、じぶん自身をその所業の
上に置いて、みずからのなにもなさない語りが、卓越した
現実と受け取られることを要求しているわけである。

先に動くのが「行為する意識」⇨「悪である」と自己批判する
告白
告白は教養や啓蒙の意識にはなかった新たな行為
然り
相互承認が生まれる
赦さない人を「かたくなな心情」と呼ぶ
相互承認は強制できるものではない
赦してもらうことも相手に強制できないので
むしろ(相手が)逃げ出してしまう可能性もある
しかしヘーゲルは私たちの中には他の人たちと社会の中で
生きていきたいという欲求があるのでそこに「告白」と
「赦し」を通じた相互承認が成立する可能性を見いだしていた

この赦しとは自身を断念し、みずからの非現実的な本質を
捨てさることであって、この本質のかたわらに、後者の意識は
問題の他者をーこちらが現実的に行為することであったのだー
同等のものとして定立し、思想にあって行為することがまとう
規定からすれば、悪と名ざされていたものを、「善」として承認する。

弁証法に似ている 伊集院

最初はお互いが「自分が善」「相手が悪」固定化して非難しあっていたが
「自分の善は悪」「相手の悪は善」と
弁証法的に転倒させることで両者が統合される
これがヘーゲルのアウフヘーベン

相手が譲歩してきたから自分が悪だったことを
認めてやろうという横暴な行為―
これはつまりヘーゲルのいう相互承認ではありません
相互承認に必要なのは「自己批判して双方が対照的に
変わっていく」という過程 「進撃の巨人」が紹介されました

「進撃の巨人」にみる相互承認
ガビ 告白 
ニコロ 告白 
カヤ 赦し
三者の間で相互承認 憎しみ合う関係から助け合う関係へ
「森から出られなくても出ようとし続けるんだ」
ヘーゲルも相互承認で万事解決とは言っていない
有限で様々な判断をする個人が集まる現代社会で
必ず対立そのものはなくならない
だからこそ森から出続けようとする
ともに変わっていこうとする姿勢こそが欠かすことができない
批判とそれに対する応答を歴史的に繰り返す
それがなぜ起きるかというと私たちは社会の根底に
相互承認関係をひいているから
新しい知に開かれた始まりの状態 
絶対知
私たちは有限性を受け入れたうえで
それぞれが普遍的に正しいと思うことを主張していく
でもそれが完全に普遍でない以上相手の反論を踏まえながら
修正しつつ自分の正しいと思うことを打ち出していく
このプロセス自体はずっとなくならない
人間が本来持っている反省という力を手放して
動物に戻ろうとする事態になってしまう
社会の共同性を壊して自由を手放すことになる
ヘーゲルは自由を実現しようとする人間の力を信じていたと思う
どうするかは生きている私たち自身の選択にかかっている

18世紀に始まった人権問題 最初は白人男性の問題だった
それが広がり女性、有色人種、黒人、LGBTひいてはITへ

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