2025年4月5日土曜日

回転寿司で一句&「PHシリーズ」ポール・ヘニングセン

石鹸玉所詮ドラマは作り物
春かなし打たれて強く生き抜かん
人はみな多面的なり春の草
人生の九割苦労春の月
星朧表二割のお付き合い

■プレバト纏め 2025年4月3日
回転寿司で一句 2時間スペシャル

特別永世名人のお手本 梅沢富美男
亀鳴くや光封じる寿司カバー
(亀鳴く:春の季語 亀の鳴き声が聞こえるかのように静かなこと
 空想的な季語 季語がそぐわない) 
寿司カバーに針魚(さより)のひかり封じたり

永世名人を目指す昇格試験 中田喜子
白きねたはんなり握り桜どき
(白きねたが何なのかが気になる 
 花鳥賊(はないか):春の季語桜が咲く頃にとれるイカ)
花鳥賊のし寿司飯はんなりと

一位 大西流星
祝日の回転寿司や夏近し
(ストレートに詠嘆しただけで描きたい映像が描けている
 夏近しは映像を持たない季語 全部を包んでくれる
 季語の選び方で成功した)

二位 AYANE
念願の当たりの文字ぞ初桜
添削(回転寿司と分からない 当たりを「」囲む 初桜では野外を想像する)
ビッくらぽん!「当たりの文字ぞ桜咲く

三位 高島礼子
〆の皿名脇役やわらび餅
添削(回転寿司だと分からない)
回転寿司は人気のわらび餅

四位 知花くらら
額(ぬか)寄せて蛤の沁む卒園日
添削(季重なり蛤と卒園 潮汁:魚介類のだしに塩で味付けた汁物)
額寄せて卒園の潮汁

五位 稲田美紀
それ取って!くらでもおかんはいなり寿司
添削(全体が散文 詩情に乏しい)
稲荷寿司ばかり回転寿司の母

■新美の巨人たち【北欧生まれの心地よい灯り「PHシリーズ」】
技術者たちは昔から夜を昼に変えてしまいたいという
夢を抱いているが、それは間違いで創造性を欠いている。
私は夜が昼になってしまうのはイヤだ
眩しすぎる 眩しさは敵だ! ヘニングセン

建築家 映画製作 デザイン批評家
多彩な分野で才能を発揮 中でも証明のデザインに最も力を注ぎました
ポール・ヘニングセンは
「彼女(母)がきれいに見えるような照明を作ってあげたかった」
1925年パリ万博で「パリランプ」を発表
1926年フォーラムランプを作製 3枚のシェードで眩しさを排除
対数螺旋(らせん)を用いた
光をコントロールして下に光を形づくる
同時に形づくられたランプ自体も照らす

今日の電球工場はバルブの内側をフロスト加工して
不正確極まりない光線を発する電球ばかりを生産している。
だから電球丸ごと包み込んでやるのだ。ヘニングセン

そして「PH5」が作られた
PHアーティチョーク(1958) 72枚のシェードで光を隠した
憤りから生まれたランプ

照明器具として必要な機能を達成するためにデザインされた結果できた形

人間は爽やかな昼の光から暖かみのある夕暮れの光の移ろいに、
ゆっくりと順応するようにできている。ヘニングセン

俵屋旅館 およそ300年前 江戸中期1704年頃に創業
スティーブ・ジョブズの定宿 錦市場から徒歩8分
PH2/1ステム・フィッティング(2004)
アーネスト・スタディー
場所がものを引き寄せる -俵屋旅館11代目当主 佐藤年-

谷崎潤一郎「陰翳礼讃」(1933)中央公論新社
美というものは 常に生活の実際から発達するもので
暗い部屋に住むことを餘儀なくされた われ〱の先祖は
いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に
添うように 陰翳を利用するに至った

Hygge ヒュッゲ デンマーク語で「居心地がいい空間」
「楽しい時間」「幸せを感じること」などを意味する言葉

北欧全般ですけど夜をしっかり受け入れて特に
冬は長い時期がありますので その中でどう灯りを
うまくやっていくか そんなあたりは日本の昔と
かなり似ているやり方だと思いますし グラデーションを
もって闇に消えていくのを好んでいるところがあります 小泉隆

新しいPH5は光源を作るメーカーへ追随ともいえる
これは以前と同じシェードでできている
それぞれ上中下のシェードがあるが追加部分がある

1967年 ポール・ヘニングセン 没72歳

影があるからこそ灯りというものに価値があって
人間がそこでくつろいだり 安らいだりするっていうことに
光というのが大きな影響を与えている実感した 田辺誠一

2025年4月4日金曜日

南総里見八犬伝 祖父江慎&山を音訓で詠む

陽春や肌が喜ぶ歌声を
春昼へ包み込むよに歌い出す
風光るコーラス圧倒指揮の声
春の風団員威圧指揮の声
春鳥よスタッカートよ軽やかに

■夏井いつき俳句チャンネル
【一句一遊】お便り紹介13【「山」にまつわる話・山の季語と音訓】

山四大季語
山笑ふ 
山滴る(夏山の形容を山滴るという。水の滴りとは関係なく、
青葉の蒼翠滂沱たる姿を讃える言葉である。)
山粧う(秋の山の姿を「秋山明浄にして粧うが如し」と比喩したものが出典。
    晩秋の紅葉に彩られた美しさ。)
山眠る(落葉し尽くした山々が冬の日を受けて静かに眠っているように見える)

山をやまとさんで詠んでみる
カメアシと石鎚山(さん)の山(やま)開き   家藤正人
山(やま)滴る山(さん)岳隊のお弁当   夏井いつき
富士山(さん)を見上げているのは山(やま)本君   夏井いつき
父さんが月(つき)から帰る月(げつ)曜日   家藤正人
月(げつ)桂樹匂やかにして春の月(つき)   夏井いつき
月(がつ)山に満月(げつ)月(つき)野博士の死   家藤正人

■知恵泉 べらぼう時代のソフトパワー「南総里見八犬伝」曲亭馬琴
祖父江慎 品川祐 板坂則子

絵の大切さに気づいた馬琴は葛飾北斎と組む
最初の頃は北斎も二流 馬琴も二流
10年間一緒に仕事したことで二人とも見事の花開き超一流に
「椿節弓張月」曲亭馬琴 文 葛飾北斎 絵 文章と絵が超一流
二人は10年間一緒に仕事をして成功を収めたが
以後2度と協力することはなかった

不得意を克服せず 得意技で勝負しろ!

祖父江慎
不得意なものに対して得意になるのは無理
苦手なまま突き進めば苦手な人の賛同が得られる
時代は動くから追いつくのか追いつかないのかたまたま乗るか分からない
いいとされているものに“乗っかる”のは良くない

馬琴は読本に辿り着くまでが大事だった
自分の得意技が何なのか見つけるのは難しい

品川祐
馬琴は自分が読みたいものを書き それが時代に刺さったのでは

祖父江慎
発見が次の発見を生む そのものと向き合った時 
今まで思ってなかった大切なことが見える

48歳で「南総里見八犬伝」に取り掛かる
水滸伝にアイデアを借りながら日本の歴史や伝承をかりファンタジーを記した
1973-1975連続人形劇 新八犬伝 脚本:石山透

妥協せず理想を追えば大業につながる!
武士から町人になった
武士の身分を捨てたことを後悔していた
名誉・勇気・忠義を持つより道徳・正義を持ち
社会のお手本となるそういうものに私はなりたい
武士の身分に戻る事が大きな目的となっていく
息子宗伯に期待をかける 医師として松前藩から扶持
しかし病死 そこで孫に託す 
御家人株 生活に困った御家人が身分や役職を株化して売れるようにした
そこで130両を工面しようとした
八犬伝の世界の中へ理想を映し出そうとした
天保11年(1840)74歳 目が見えなくなる
八犬伝を諦めるわけにはいかないので アルバイトを雇って
口述筆記させたがすぐに辞められてしまう
困り果てた馬琴を助けたのは息子宗伯の妻お路でした
水戯自得(すいれんじとく)の老婦(おうな)にあれば
一字一句教え膨大な時間をかけて八犬伝を書き上げました
天保13年(1842)完成

祖父江慎
話の作り方の巧さ 書きっぷり 原文は怖い 

お路がお路らしく生き出したのは夫が死んだあと
生きていく目的を見出した
戯作の地位が上がっていく
鴎外や漱石のような立派な地位の人が小説を書いても恥ずかしくない
馬琴が小説家の地位を上げた
自分の本が世の中を変えていく 人間を高みに連れて行く
稗史七則 馬琴がまとめた小説の創作技法
隠微(いんび) 作者が書いた文章に隠されている本当に伝えたいメッセージ
百年後も読まれ続けその時代の読者にも自分の真意を届けたい

祖父江慎
ほどほどに妥協は必要 妥協しつつもそれに伴う残念と向き合い続ける

馬琴の周りは大変だった

板坂則子
馬琴の一生は挫折の連続 本当に自分がダメになってしまいそうな
挫折にあった時 どうやって自分を信じるか 自分の力を信じて立ち上げるか❓
大業を成し遂げる人との違い

祖父江慎
うまくいかないことが多い程、わくわくしてしまうのでは❓
思った通りのものが出てくると楽しくない 
馬琴もうまくいかないことを楽しんでいたかも❓
上手にいくと退屈 

品川祐
馬琴は48歳から書き始めたんだから
52歳だから書ける事ってあるよなあ

2025年4月3日木曜日

こころの時代 西田幾太郎

仲春や背を伸ばしたる高き声
春日和臍から胸が声ださん
背中から遠くへ声を風光る
春の空抑揚揃え歌い出す
芳春や字面を肌で感じきる

■こころの時代 西田幾太郎 悲しみの❝底❞をみつめて
西田幾太郎(明治三年~昭和二十年)

我々の現実の世界 日常の世界が何であるかを 
よく摑(つか)んで見なめればならない。
そして其処から学問、道徳、宗教などの
立場を考へていかなくてはならない。
我々の最も平凡な日常の生活が何であるかを
もっとも深く摑むことに依つて最も深い哲学が
生まれるのである。(歴史的身体)

純粋経験
経験するといふのは事実其儘に知るの意である。
全く自己の細工を棄て、事実に従うて知るのである。
例えば、色を見、音を聞く刹那、未だ之が外物の作用であるとか、
我が之を感じて居るとかいふやうな考のないのみならず、
此色、此音は何であるといふ判断すら加はらない前をいふのである。
(善の研究 第一編 純粋経験)

主体 客体 主客未分 純粋経験 

平常無事の時には何事も分つた様で容易なる様であるが、
一旦不慮の不幸に際会し実地に此身此心を苦しめる時には
心底に潜伏せる疑問は蜂の如くに起りて忽(たちま)ち暗澹たる
疑惑の深抗に陥らぬ者はないのである、(略)
生は何処より来り死は何処へ去るのであるか、人は
何の為に生き何の為に働き何の為に死するのであるか、
これが最大最深なる人心の疑惑である。(人心の疑惑)

哲学の動機は「驚き」ではなくして
深い人生の悲哀でなければならない

理性の上よりして云へは軍人の本懐と申すへく当世の流行語にては
名誉の戦死とか申すへく女々しく繰言をいふへきにあらぬかも知らねと
幼時よりの愛情は忘れんと欲して忘れ難く思ひ出つるにつれて
堪え難き心地致し候 昨日満身元気 意気揚々として分れし者か
今は異郷の土となりて屍たに収むるを得す(略)
人生はいかに悲惨なるものに候はすや(明治三十七年山本良吉宛て書簡)

今まで愛らしく話したり、歌つたり、遊んだりして居た者が、
忽ち消えて壷中の白骨となると云ふのは、如何なる訳であらうか。
若し人生はこれまでのものであるといふならば、人生ほど
つまらぬものはない、此処には深き意味がなくてはならぬ、
人間の霊的生命はかくも無意義のものではない。死の問題を
解決するといふのが人生の一大事である、死の事実の前には
生は泡沫のごとくである、死の問題を解決し得て、
始めて真に生の意義を悟ることができる。(「国文学史講和」の序)

西田さんはボクもよみ出した えらい人がえらい事を
し出したもんだと思つて驚嘆しながらよんでゐる
実際こつちの不真面目な所へ棒喝を食つてゐるやうな気がするね
(大正六年 松岡譲宛て書簡)

死にし子の夢よりさめし東雲の窓ほの暗くみぞれするらし
(大正九年の初夏の頃 長男謙の死にあひて 自撰詩歌集)

運命の銕(てつ)につなかれてふみにしられて立つすべもない
(大正十一年十二月 自撰詩歌集)

悲しみ×運命
人間の存在自体が持つ悲しみ

わが心 深き底あり よろこびも 憂の波も とゝかじと思ふ
(大正十二年二月二十日 自撰詩歌集)

わからない=「無」 絶対無

世界と云ふものは絶対無い、無である。併し無であると云ふこと
それが即ち 我々の個物を成立たしめるところの意味を
有つて居る本当の世界である。かう云ふ風に見える。
(現実の世界の論理的構造 第二講)

戸坂潤 三木清 田邊元

無の論理は論理ではない、なぜなら、それは存在そのものを
考えることは出来ないのであって、ただ存在の「論理的意義」だけを
しか考え得ないのだから(「無の論理」は論理であるか)

我々の自己は此の世界から生れ、此の世界に於て働き、
此の世界へ死に行くのである。(略)此故に我々の自己は、
創造的世界の創造的要素として歴史的世界を形成し行くのである。
(哲学論文集第四補遺)

  限定
世界 ⇨ 個人
  相互限定

人間は新しい世界・歴史的世界を創造していく

世界=自己を殺すもの 生むもの

矛盾的自己同一的現在として、自己自身を形成する世界は、
多と一との矛盾的自己同一世界であり、かゝる世界の個物として、
何処までも自己自身を限定する我々は、無限なる欲求で
なければならない、生への意思でなければならない。
而して世界は我々を生むと共に我々を殺すものでなければならない。
世界は無限ある圧力に似て我々に臨み来るものである、何処までも
我々に迫る来るものである。我々は之と戦ふことによつて生きるのである。
(絶対矛盾的自己同一)

人間の尊厳
ブリーフケア 深い悲しみを抱えた人に寄り添う

我々の自己は物となつて見、物となつて働くと云ふ、
物来つて我を照らすと云ふ。
此処では、我々は物を自己から離して、対象的に見て居るのではない、
身心一如的である。(知識の客観性について)

無心に 物来つて我を照らす しないわからないまま聞く

エンドオブライフケア

自己の永遠の死を知ることが、自己存在の根本的理由であるのである。
何となれば、自己の永遠の死を知るもののみが、真に自己の個たることを
知るものなるが故である。それのみが真の個である、
真の人格であるのである。死せざるものは、一度的なものではない。
繰り返されるもの、一度的ならざるものは、個ではない。
永遠の否定に面することによって、我々の自己は、真に
自己の一度的なることを知るのである。故に我々は自己の永遠の
死を知る時、始めて真に自覚するのである。
(場所的論理と宗教的世界観)

日常の底を生きる

昭和20年6月7日没 享年75

神は美しき詩の如くに 対立を以て世界を飾った、
影が画の美を増すが如く、若し達観する時は
世界は罪を持ちながらに美である。
(善の研究 第三編 善)

2025年4月2日水曜日

松平定信&無季の話&明月余情

幸せに気付かぬ人よ春の雲
幸せな心描きて長閑なり
芳草や市井の女を演じ切る
春潮や全ての女(ひと)をリスペクト
眼力と画力を持ちて春の浪

■偉人・敗北からの教訓 第85回「松平定信・度が過ぎた寛政の改革」

定信「ならば幕府を支える立場で
権現様や吉宗公のように歴史に名を残そう」

門閥「我々の抹持米まで減らすなど聞いておりませんぞ!」
定信「領民の為だ 倹約質素は我を手本にせよ」
「宇下人言」より意訳

定信「仙台では40万人が亡くなったと聞くが
   我が領国では餓死者は出なかった」
「宇下人言」より意訳

定信「女を増やし結婚を推奨しなければ
   人口も年貢も増えない」

定信「金銭 穀物が滞りなく流通し世が平穏になるよう
   自分の一命のみならず 妻子の命もかけて乞い願う」

「御年若し 末頼もしく思ふものは松平中守(定信)」

定信「これまでは橋に無宿人たちが連なっていたが
   今はいない 盗賊なども減ったと聞く」

松平定信 敗北の伏線
改革を進めるには強い使命感と有力者への根回しが重要!

定信「皆 大飢饉の時の混乱を忘れてしまったのか❓」
幕府重鎮「あと10年はお勤め頂きたい」
「宇下人言」より意訳

定信「ならば引き続き緊縮を進め 歴史書に倣い
   9年の凶作にも耐えうる国を目指しましょう」
「政語」より意訳

定信「中国の為政者はまず飢えと冷えから民を守り
   その上で道徳を説き国を豊かにした」
「政語」より意訳

定信「そもそも酒というものは高ければ飲むことが少なく
   安ければ飲むことが多くなるものだ」
「宇下人言」より意訳

白河の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき

幕府重鎮「定信の老中首座 将軍補佐の職を解く」

松平定信 敗北の瞬間
命を大切にした政策はお見事 しかし過信し やり過ぎてしまった

未だ欲を無くすことが出来ない
ことに名誉欲は金欲や色欲よりも強いものだ
「修業録」より意訳

「世の中に蚊ほどうるさきものはなし
ぶんぶ(文武)というて寝てもいられず」
狂歌師 太田南畝

松平定信の敗北から学ぶ教訓
時代の流れを見極める

■夏井いつき俳句チャンネル
【一句一遊】お便り12【無季の話「季語ってなくていいの?」】
「季感がある」
明確な季語は無いけれど、季節の気分は十二分に感じられる、
というのは一つのジャンルとして俳句では認められている

季語有グループ 季語がある
季語無グループ 季感はあるけど季語はない
        季語や季感はないけど詩になっている

「無季」
しんしんと肺碧きまで海の旅   篠原鳳作

有季定型で詠んで欲しい 夏井いつき先生 家藤正人先生

■べらぼう~蔦重永華乃夢噺~(12)俄なる「明月余情」
鳥が啼く東の華街(いろざと)に
速戯(にわか)をもてあそぶこと
明月の余情(よせい)を儲(もう)けて
紅葉葉の先駆けとせんと
ある風流の客人(まれびと)の
仰(おう)せを秋の花とす
我と人と譲りなく
他(ひと)と我との隔てなく
俄(にわか)の文字が調(ととの)いはべり
朋誠(ほうせい)しるす

「べらぼう」一話より拝見していますが初めて
胸が熱くなり涙が零れ落ちました…。感動致しました…。

2025年4月1日火曜日

あの人に会いたい やなせたかし&スプリングパーティー

亀鳴くや西行のごと逝けたなら
地蔵院五色の八重よ散椿(ちりつばき)
蜆花(しじみばな)ちらちら揺らす春の風
信長や三月に切る蘭奢待(らんじゃたい)(天正2年正倉院収蔵香木)
(武相荘)木瓜(ぼけ)、椿、梅に桜に李(すもも)咲く

■あの人に会いたい やなせたかし(漫画家)
漫画家 やなせたかし 2013(平成25)年 94歳没

正義の味方なら そこにひもじい子どもがいれば
食べる物をあげるのがいちばん正しいと思った
怪獣をやっつけるというより おなかがすかないように
してあげるのが正しいと思った

正義っていうのは逆転する 僕らは兵隊にいって
向こうにやられたときに 「これは正義の戦いで
中国の民衆を救わなきゃいけない」と言われた
ところが終わってみれば 俺たちが非常に悪いやつで
侵略をしていたってなる だから要するに
戦争には真の正義というものはない

アンパンマン「さあおれのほっぺたをすこしかじれよ
えんりょするな ガブリといけ 

正義を行なう人は自分が傷つくことを覚悟しなくちゃいけない
だからアンパンマンは自分の顔をあげる自分のエネルギーは
落ちるんだけど それはそうせざるをえない そうしなくては
しかたがないという そういう正義には一種の悲しみというか
傷つくところがある そんなに格好いいものじゃない

そうだ おそれないで みんなのために 
愛と 勇気だけが ともだちさ
69歳でつかんだ代表作でした

なんのために生れて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!
今を生きることで 熱いこころ 燃える
だから君はいくんだ ほほえんで

「詩とメルヘン」30年以上無報酬でイラストレーターや詩人を
目指す人たちが作品を発表する雑誌の編集長です。

世の中に出ていくときに何もないんですよね
何もないところに僕らは売りだしていくから
どこかに手がかりが欲しいんだけどなかなかない
だから僕の場合はそういう手がかりを いくらかでも
チャンスをあげられるようにしたい

2011年3月11日東日本大震災
当時、やなせさんは90歳を迎え引退を決意していました
ラジオ番組に多数のアンパンマンの反響が寄せられていた

現地の子どもから手紙が来る「私は少しも怖くない」
「いざというときはアンパンマンが助けに来てくれるから」と
書いてある そう信じているなら やっぱりなんか
それに値することをしなくちゃいけない
「ぼくが 空を とんでいくから きっと 君を たすけるから」
と、記しました

アンパンマンそのものはどうも生きるんじゃないかと思う
晩年に このヒーローにめぐりあったので もう夕日なんです
その中で 君にあえてよかったと 思っています

漫画家 やなせたかし 1919-2013

■2025年3月30日 
内海ダンススクールスプリングパーティーへ

ゲストは福田裕一&エリザベス・グレイ組(Segue「鶴の恩返し」)、
立石勝也&裕美組(PasoDoble&Samba&Rumba)、
青木康典&知子組(Quickstep&Waltz&Tango)でした。
感動のダンスをご披露くださいました。
また、最高のTalkを楽しませて貰いました。
立石勝也先生の紀代先生へのお心遣いにも胸が熱くなりました。

今回の収穫は赤堀恵佑&山岡千恵組!
キレ&安定感を備えた素晴らしいCoupleでした。
頑張ってくださいね。

食事の時にはミニライブがありました。
Nuages BleuヌアージブルーVi:谷崎雅之 Gu:西平元気
「愛の賛歌」に始まり「Libertango」で盛り上げて下さり
最後は「My Way」で閉めて下さいました。素晴らしかった…。

お隣の席にいらした赤池唯人先生(医療法人赤池循環器消化器内科院長)、
仲良くして頂きありがとうございました。
嬉しかったです。

杉本順子先生のダンスを見逃したのは不覚でした。
次回は何が何でも拝見いたします。

内海紀代先生!来年(2026年3月26日)も期待しています。
感謝を込めて…。