2026年1月5日月曜日

兼題「初詣」&テーマ「白」

ちゃんづけの米と野菜の冬の朝

鍋鶴や冬の田んぼへ飛来せり

ちゃんづけの牛をいただく冬の夜

昆布飾る日ごと変わる味噌の味

初雪やシャッターチャンス逃しけり

 

■NHK俳句 兼題「初詣」

選者:堀田季何 レギュラー:庄司浩平 司会:柴田英嗣

年間テーマ「俳句のコリをほぐします」

 

・今週のテーマは「人名」

①   信長に焼かれし寺の蝉しぐれ   百合山羽公(うこう)

蝉時雨:夏の季語 はかなさを表現 過ぎ去るものと合っている季語

諸行無常 人名で物語や背景が立ち上がってくる 

②   カフカ去れ一茶は来れおでん酒   加藤楸邨(しゅうそん)

カフカは不条理で暗いイメージ 一茶は暖かいイメージ

おでん酒:冬の季語 人名を2つ使ってコントラストをいかす

③   ナウシカの谷間もいまは麦の秋   高野ムツオ

麦の秋:夏の季語 俳句に小説や映画などのフィクションの作品から

人命を取り入れることもできる

④   尚毅居る裕明も居る大文字   波多野爽波

岸本尚毅さんと田中裕明さんは波多野爽波の弟子だった

大文字:京都で行われる盆行事の一つ 

如意ヶ岳の山腹に「大」の字の送り火がたかれる

読者が限定される覚悟が必要になる

⑤   露人ワシコフ叫びて石榴(ざくろ)打ち落す   西東三鬼

隣に住むワシコフの配偶者が結核で亡くなった

石榴:秋の季語 鮮烈な感情と激情とがピッタリ合っている

誰も知らない名前を使うこともOK インパクトが重要

 

ツボポイント

人名は歴史や物語を立ち上げる

 

・人命を使った句を詠もう 季語「初夢」

 

柴田

初夢やテキトーさ増す純次かな

(「や」と「かな」が一句に使われている)

夢始見てたら純次忍び寄る

(「初夢を」にした方が分かりやすい)

庄司

季何さんに怒られ笑う夢始

👑初夢や新札見た諭吉の黙(もだ)

(五六六は座りが悪い 新札をとする 新札眺め 

これは私のお気に入りとなりました)

 

まとめ

人名の持つイメージを句にいかす

 

・今週の兼題「初詣」

類想になりやすい季語 自分だけの視点を入れるようにする

 

特選六句発表 兼題「初詣」

ポケットに折り紙あなたのゐない初詣   村瀬ふみや

飛行機の腹を見てゐる初詣   関美奈子

大腸のごとき列なし初詣   松本健(たけし)

肉球を合はされてゐる初詣   玉木たまね

私 初詣ほとけも神もみな裸眼   押見げばげば

内言(ないげん)も騒がし首都の初詣   夏風かをる

 

・柴田・庄司の歩み

柴田 好きな人を詠む

庄司 思ったより自由だ!

 

■NHK短歌 テーマ「白」

選者:横山未来子 生徒:菊池銀河 横田真子 司会:ヒコロヒー

年間テーマは「三十一音で扉が開く」

 

・本日のテーマは「字余りと字足らず」

短歌の定型は「五七五七七」の五句 三十一音

 

透けたようスターの素肌映し出す瞬きさえも忘れ過ぎゆく

菊池銀河

透けるようなスターの素肌映し出す瞬きさえも忘れ過ぎゆく

(個性的なリズムを作りだすことができる)

 

悲しむべきことなきごとき冬晴れよ凧と地上の人は引きあふ

横山未来子

 

群(むらが)れる蝌蚪(くわと)の卵に春日さす生まれたければ生まれてみよ

宮柊二「日本挽歌」

(字足らずの効果によって「生まれてみよ」という強い言葉が印象深い

 これによって生まれてくることの厳粛さを感じさせる)

 

月を見つけて月いいよねと君が言うぼくがこっちだからじゃあまたね

永井祐「日本の中で楽しく暮らす」

(七七五九五)

 

ただの推敲不足ではなく意識して使うことが大事

何度も口ずさんでみてリズムを自分で吟味しながら作ってみる

 

・入選六首 テーマ「白」

私 私の手覚えていてね目が白くなりゆく犬の背中を撫でる

百野芦花(もものろか)

写真だと白くなっちゃうからスマホしまって歩こう花びら踏んで

井上智景(ちあき)

私 冬の中へ繊(ほそ)くて白い香をはなち遠くの誰かを呼ぶ沈丁花

和田直樹

一席 二十二時の新幹線は白い繭 鞄の中に眠る赤福

新井場公徳(あらいばきみのり)

ほんとうに私になにか起きた日を白いページは記憶してゆく

小鷹佳

湯気で曇るめがねを見せる時いつも笑ってくれるあなたは見えない

はるかぜ

 

・菊池銀河と横田真子の歌人への道

口癖が幽(かす)かに聴こゆ「ぬくたいわぁ」亡叔父の白きダウンを着たらば

菊池銀河 添削

口癖がかすかに聴こゆ「ぬくたいわぁ」亡き叔父の白きダウンを着れば

五七六八七 にしてもすんなり流れる 表記も考えて推敲しよう!

 

暗闇の遠くでひかる白雪に心躍らせ湯沢に進む

横田真子 添削

暗闇の遠くでひかる白雪を見つめ見つめて湯沢に進む

動詞は3つまでと以前は言ったが、たまには4つにしても良い

 

歌人への道ポイント

自分が考えた言葉で表現しよう!

 

・ことばのバトン

米はあるかとメールを送る

小池理雄(精米店3代目店主)

⇩

瑞穂国(みずほのくに)八十八(やそや)のこころひと粒に

五方山 熊野神社 宮司 千島俊司

(奉納していた)馬が像になり 絵馬になりという変遷があります

瑞穂国:稲の穂がみずみずしく実る国 日本の別称

父 騎手 祖父 調教師 

2026年1月4日日曜日

100分de名著「死ぬ瞬間」④

身の程に型弁えて炉の薄茶

冬座敷畳をこする足袋の音

(井川スキー場)冬の陽や最後の滑り楽しまん

(井川)スキー場最後の冬となりにけり

過疎の山採算捕れぬ(井川)スキー場

 

■100分de名著 

キューブラー・ロス「死ぬ瞬間」④希望と「死の向こう側」

島薗進 伊集院光 阿部みちこ

 

第五段階 受容

やがて患者は自分の「運命」に気が滅入ったり、

憤りをおぼえることもなくなる。

(中略)

そうして患者はある程度の期待を持って、

最期の時が近づくのを静観するようになる。

患者は疲れきり、たいていは衰弱がひどくなっている。

まどろんだり、頻繁に短い眠りを取りたくなる。

だがそれは抑鬱のときに欲する眠りとはちがって、

回避のための眠りでもなければ、痛み・不快感・かゆみを

忘れるための休息でもない。

しだいに長い時間眠っていたいと思うようになる。

それは新生児の眠りにも似ているが、最期の時へと近づく眠りなのである。

鈴木晶・訳

 

患者に益よりも害を与える

 

患者はただ手招きして私たちを呼び、

しばらく掛けていてくれと伝える。

(中略)

患者とともに、窓の外の鳥のさえずりに耳を傾けるのでもよい。

私たちがそばにいるだけで、

患者は最後まで近くにいてくれるのだと確信する。

重要なことの処理は済み、患者が永遠の眠りにつくのももう時間の

問題であるのだから、何も言わなくてもかまわない

ということを患者に知らせるだけでよい。

それだけで患者はもう何も話さなくても

ひとりぼっちではないのだろうという確信を取り戻す。

 

周りが「この人が今去りつつある」

ということに対して心の準備ができていない 伊集院

 

ただ静かに寄り添い「一人ぼっちではない」ということを

感じられるようにする 島薗

 

受容を幸福な段階と誤認してはならない。

受容とは感情がほとんど欠落した状態である。

あたかも痛みが消え、苦闘が終わり、

ある患者の言葉を借りれば

「長い旅路の前の最後の休息」のときが

訪れたかのように感じられる。

 

何にもできない中で 心の波が次第に静まっていく

むしろ消極的な意味で受容を捉えている

世間の出来事や問題に煩わされたくない 島薗

 

もう心身ともに為す術がない 伊集院

 

「寂しい」「なんとかまだ生きていたい」

「もうやむを得ない」「静かにこれでお別れだ」両面ある気がする 

キューブラー・ロスも揺れている 島薗

 

勝手な解釈をつけがち 伊集院

 

死について語りたいと思う日もあるし 翌日には人生の楽しい

側面についてだけ 語りたいと思うかもしれない そういう事実を

軽視しない 島薗

 

肯定的に死を受容したG氏という患者の事例

医師 Gさん、あなたは珍しい方ですよ。自分の死が間近に迫っていながら、

   恐怖を感じないなんて…。(中略)その一方で、治療や医学上の

   新発見にまだ希望をかけていらっしゃるのですね。

患者 ええ。(中略)聖書では、神に願えば治癒が約束されるのです。

   ですから私は神に呼びかけ、この約束をお願いしました。

 

どのような重篤な患者に対しても、末期だからという理由で治療を

あきらめることがあってはならない、(中略)どの患者に対しても

けっして「さじをなげ」たりしてはいけないと言いたい。(中略)

私たちのほうがあきらめてしまったら患者もまた希望を失う。(中略)

「私の知識のおよぶ限り、なしうることはすべてやったつもりです。

でも今後もあなたができるだけ楽に過ごせるよう努力を続けます」

―こういわれた患者は一筋の希望を失うことなく、その後も医師を、

最後まで苦難をともにしてくれる友人のように思うのである。

 

キューブラー・ロス 1947年頃 マイダネック強制収容所の跡地を訪問

テレジン強制収容所(蝶の絵)

 

太陽の光は金色のベールとなって輝きあまりの美しさに私の体は疼く

頭上には叫びだしそうな青い空 確信を得てわたしは思わず微笑む

世界は花で満ち 微笑んでいるかのようだ

飛び立ちたい、でもどこへ?どこまで高く?

有刺鉄線に囲まれていても花は開く

それなら この私だって!絶対死んだりしない!

一九四四年 作者不明「陽ざしあふれる夕べに」

 

「希望」とは?

患者はどの段階にいても希望を持っている

病気が治るんじゃないか 死んだ後に天国に行く

自分が生きてきたことや この苦しみに何か意味がある

希望を遮るようなことはしてはいけない

偽りの希望は与えるようなことも言うべきではない

否定しないほうに力点がある 患者が「見放された」

「見捨てられた」と感じてしまうことがないようにと記している 島薗

 

「私の知識のおよぶ限り、なしうることはすべてやったつもりです。

でも今後もあなたができるだけ楽に過ごせるよう努力を続けます」

本当に冷静な人だから言える こんなに正直に話してくれる人が

そう言ってくれているというのは すごい希望の持てる話 伊集院

 

いよいよ臨終が近づくと、先に亡くなった愛する人たちと再会し、

現実そのもののような経験をしているようにみえる患者もたくさんいた。

(中略)例外なく、どんな場合でも、死の直前には独特の静けさが

訪れていた。そして、そのあとは?それが知りたかった。(中略)

そんな場所があるとしての話だが、いのちはどこにいってしまったのか?

人は死ぬ瞬間に、どんな経験をしたのか?

 

地球に生まれてきて、あたえられた宿題をぜんぶすませたら、

もう、からだをぬぎ捨ててもいいのよ。

からだはそこから蝶が飛び立つさなぎみたいに、

たましいをつつんでいる殻なの。

ときがきたら、からだを手ばなしてもいいわ。

そしたら、痛さからも、怖さや心配からも自由になるの。

神様のお家に帰っていく、とてもきれいな蝶のように自由に…。

―がんの子どもへの手紙から

「人生は廻る輪のように」上野圭一・訳

 

「死の向こう側」とは?

死を前にした苦しみは自分が成長するためのLesson

科学から見ると言い過ぎだと医師たちから反発を受けることもあった 

全く先駆者がいない領域を突然切り開いた 彼女自身孤独だった 島薗

 

蔑ろにされていた子供の恐怖や苦しみを

少しでも緩和できるのは私のジャンルで何だろう 伊集院

 

キューブラー・ロスは人助けが生き甲斐だった 

死が近いので苦しんでいる人に応じていこうとする

そうすると何かPositiveな答えを示したい 

そういうことが希望と死後の生と結びついた 島薗

 

そこに行った彼女の優しさには素直に感心できる 伊集院

 

私たちは、冷たい社会ではなく、死と死の過程の問題を扱うことの出来る

社会をつくり、この問題に関して進んで話し合い、人々が死を迎える

ときまでなるべく怖がらずに生きていけるよう努力すべきだろう。

 

「科学こそ全てを解決する」となると人間味がなくなってくる

それを変えたい 人と人との交わりの中で死もある 

誰もがその人なりの経験に基づいて死について共に考えていく

死を前にした人のケアは社会全体で取り組むべき問題 島薗

 

人間の穏やかな死は、流れ星を思わせる。

広大な空に瞬く百万もの光の中のひとつが、

一瞬明るく輝いたかと思うと無限の夜空に消えて行く。

臨死患者のセラピストになることを経験すると、

人類という大きな海の中でも

一人ひとりが唯一無二の存在であることがわかる。

そしてその存在は有限であること、つまり寿命には

限りがあることを改めて認識させられるのだ。(中略)

その短い時間の中でかけがえのない人生を送り、

人類の歴史という織物に自分の人生を織り込んでいくのである。

2026年1月3日土曜日

新ジャポニズム 時代劇

Routineはいつもと同じ三が日

初景色流れ穏やか吉野川

晴れやかに最後となった年賀状

 

■新ジャポニズム 第7集 時代劇 世界を魅了するタイムトラベル

 

ジャパニーズ・カルチャー

「SHOGUN 将軍」エミー賞史上最多18部門受賞

真田広之

「これは日本の時代劇というか歴史的な物語ですが その歴史で何が起こったかを

知っている方でも 新鮮に驚いて興奮していただける」

須藤泰司

「とにかく誰かがどこかで始めないともうなくなるぞという危機感」

渡辺謙

「大きなターニングポイントを迎えている 旧態依然とした時代劇を

撮っていたら 今のお客様に飽きられてしまう」

世界を熱狂させる魅力とは

サムライの精神 時代劇ならではの刀を使った殺陣

 

時代劇の心

今から130年前映画発祥 その地パリ

アートハウス・フィルムズ(映画配給会社)

「碁盤斬り」草彅剛 主演

誠実 誇り 誠実 忠誠 などといった価値観が注目を浴びた

 

これらの美徳を死ぬまで貫いた武士

社会における道徳というのは寓話を介して表現されることが多い

現実の世界で何かをそのまま描くのではなく

(時代劇という)架空の世界を舞台にすることで伝えたいメッセージを

より自由に表現できるということです 時代劇は古臭いと感じていた

美意識を新しい現代によみがえらせているのです

 

映画は「誇り」「誠実」といった私たちにとって根源的な価値観を

描かなくなりました だからこそその根源的な価値観を

時代劇の中で見ることは非常にPositiveなのです 全てをNegativeに

捉える現代社会において時代劇はなにかPositiveな展望を

与えてくれるものなのです 

 

時代劇の表現

 

時代劇の俳優が台詞ではなく存在そのもので演じている事

どこで笑うか どこで立つか どう立つか 肩の位置 そして表情

細かい所作を通じて表現している 

 

時代劇のキャラクターがもつ精神や考え方 そして全体の空気感を

自分の演技にも宿らせたい 

「ああ自分もこういうキャラクターを演じたい」と思う

 

「SHOGUN」

完璧な”本物“に到達するなんてこと 不可能だと分かっているけれど

でも“本物”に近づけば近づくほど物語を具体的に語れて より記憶に

残るものになる 日本の映画製作者たちの技と芸術性といった

時代劇が持つ日本独自の表現は失われないだろう 

 

「SHOGUN 将軍」には長年にわたって時代劇を人気Genre

にしてきた要素 セット 小道具 衣装 キャラクターという

強みがあります それは私が「美的」と呼ぶ感性 時代劇にこそ

見出される美意識です そこには絵画的な優雅さがあり美しさ

があります それはまさに”日本の美意識“を反映しています

自然と芸術を調和させ そして自然を芸術へと昇華させる

日本らしさが表れているのです 

 

時代劇の挑戦 太秦

 

「木挽町のあだ討ち」

自分たちの信じる正義とかそういうことに加担していく 

やってることとか 描きたいことは 変わっていない 

永遠不変というか その時代の 人間の持っている価値感とか 

 

時代劇復活

最盛期の20分の1となった時代劇

 

明快に時代劇は流行らないから 作らないというスタンスでやっていた

東映が時代劇というものを この3年位作っていつのは本当に数本です

東映だけじゃなくて日本映画が時代劇をコンスタントに作らなくなって

ご存じの通り久しいですけど とにかく誰かがどこかで始めないと

「もうなくなるぞ」という危機感がありました

 

京都文化博物館

 

戦前で昭和恐慌のころ 食べるものがない 仕事のない時代

(現代劇で)警察官を直接殴ってしまったら それは検閲でカット

ところが時代劇の場合は御用ちょうちん「御用だ御用だ」御用ちょうちんを

持った捕り手に囲まれて 最後に主人公がその捕り手を刀で斬る

これはOKだったんです 今生きている人たちの不満とか寂しさ

つらさというのに寄り添えるのが現代劇ではなしに逆に時代劇のほうが

寄り添えてた 

 

西洋人が最初の日本映画を見たのは時代劇です フランスで配給された

最初の日本映画は黒澤明監督の「羅生門」でした フランスや西洋の

観客にとって時代劇はとても魅力的でした そこで全く別世界を

目にしたわけですから 人間のキャラクターやサムライだけでなく

草を揺らす風にも 同じように意識が向けられています こうした

時代劇のすべての要素に意味を持たせる演出が実に魅力的なのです

 

ジョージ・ルーカスは黒澤明の「隠し砦の三悪人」に

インスピレーションを得て「スターウォーズ」を製作しました。

セルジオ・レオーネは「荒野の用心棒」で「用心棒」を

リメークしました 他にもたくさんの例があります

 

1970年代以降 時代劇がほぼ消滅してしまったのは事実です

(若者は)サムライや将軍といった昔話は見たくなく 現実に根差した

映画を求めるようになったのです 

 

今作る時代劇をいろいろまだ模索しているんですよ ようやく再開

したばかりなので 今回はそれにミステリーっていうのがあるので

その斬新さにかけてみようと 

 

時代劇×謎解き

柄本佑  

また新たに時代劇というものを出会い直すようなアプローチがどこかで

できたら 時代劇もどんどん活気が出てくるんじゃないかと思う

渡辺謙

すごく大きなターニングポイントを僕は迎えているような気がするんですよ

継続してやっていくためには今までの伝統だけではもの足りない

時代劇としてもっともっとトライしてほしいとは思うんですよね

ある種(時代劇は)けれんみだと思うんですよね 驚くというのかな

サプライズがあるのが“けれん”だと思うので 結構ばかばかしかったり

するじゃない でも それって飛躍できるのよ 時代劇だと

お芝居の仕方もオーバーにやるというのではなくて 普通に

「こうやるだろうよね」っていうことから ちょっとはみ出したり

ずらしたり そういうことが時代劇って わりかし踏み込めるんですよ

それをやっぱり体現できるのが 所作のひとつひとつだと思うんですよね

 

峰蘭太郎(所作指導)

自らも俳優として60年以上時代劇を作り続けてきた生き字引

こうして礼をしないで ここから 

正座からあぐらに変わるときの動き方というか ひざがボンと

浮いた形になったので そうじゃなくてひざをついたままで

正座からあぐらに変えられる そういうやり方があるので 一応

元は武士(という役)なので そういった心得も知っているという

前提を それをお伝えして反映していただくようにして 

(武士としての身なりということですね)

武士は体幹でずっと動いている体なので”なごり“として

ちゃんと残っている

 

太秦の技

 

装飾 三木雅彦(装飾)

ここだけでは収まりきらないので 5~6か所に分散して 

纏めてあります

空間を作ることが大事なので 監督さんによっては「こっち(見えない所)は

という人もいますけど四方八方作り込んであったらその中で

雰囲気に浸って演出なり 演技なり カメラワークなりが

できるんじゃないかなと 江戸時代の雰囲気を作り上げた中へ

みんなを放り込んであげる 

 

結髪 山下みどり(床山)

(頭の形が)いびつな人は綿の位置が変わってきたりするんですけど

きれいに(かつらが)乗るように微調整 つぶしは代々先輩から教わって

夏は硬く 冬は柔らかくしてます はげ そった跡を作ります

お年寄りの人は薄くして 若い人は濃くしています とばし

目が変わりますね 俳優さんはね メークしてかつら乗せたら

顔変わる人やっぱり多いです 日常じゃないからこそ入り込み

やすいのかもしれない ただ単に侍だから侍の顔とかじゃなく

その人の顔に合うために もうちょっと鬢を膨らましたほうが

いいとか 色気出すためにシケを出したほうがいいとか 

 

衣装 大塚満(衣装)

町娘も若い娘さんなので 明るい色目 あとは着物とのバランスで

襟の合わせ方でも若い人 年配の人 もっと年配の人で全然

変えてはいる 結婚式とか写真館はきれいに見せるための

着付けなので がんじがなめなんですよね 体が動かなくても

いいように でも僕らの着付けというのは 普段着ているような

着付けとといったらいいですかね 自分が着て その体に

合わせたりとか 日に焼いたりとかをしながら その本人が

ずっと着ていたっていう形に作り上げるようなことをしています

 

エマニュエル・オセイ=クフォー 映画監督 「将軍」第8話の監督

これは京都フィルムメーカーズラボの写真です 初めてロケハンを

した時の写真だと思います 

当時私は時代劇を「アメリカの西部劇の日本版」だと思っていました

つまり歴史上の激動の時代を舞台にしているだけの歴史劇だと

でも京都フィルムメーカーズラボに参加して より多くの

サムライ映画を見るようになってから 時代劇には全く違う側面が

あることにきづきました 殺陣を学べたことは本当に貴重な

経験だったと思います 私にとって殺陣は単なる剣術やアクションの

振り付けではありませんでした むしろ戦いの前の静けさや

ひとつひとつの動作に込められた意図を学びました そこで日本の

映画がもつ独特の感触を深く理解できたと思います 「多くのことが

起きなくても緊張感は生まれる」という感触です

このシーンは妻と夫が再び心を通わせる場面でもあります 第8話の

 

脚本を読んだ時に気づいたのはページに書かれている事よりも

「書かれていない事」が重要だということでした 静けさに

重みと意味を持たせるよう意識しました 台詞よりもむしろ

それが重要でした 静けさが非常に重要です 他の文化では

夫が妻の心を取り戻そうとするシーンは 全く違う形になるでしょう

色々な意味で時代劇は日本文化 そのものを映し出すレンズです

時代劇は日本映画の基盤であり太秦のような場所は存在し続ける

必要がある 

 

須藤泰司

すべて京都のスタッフで映画を作ることが今できております

京都撮影所の技術をやっぱり継承していかなきゃいけないと

(時代劇を)日本映画の中に人気のあるジャンルとして残るように

作りたいと思います

 

エキストラも絵に画面の力として出てくる 役者とエキストラの

相乗効果は大きい

 

渡辺謙

久々に東映の京都に来られて 時代劇 やっぱりこいつらの

やる気は本物やなと 身にしみて思いました 久々に江戸時代に

浸れて…。

 

源孝志(監督)

日本人が失ってしまったものというか そういうものがたくさん

時代劇にはあって 人間のマインドだったり 倫理観だったり

正義感だったり どっかDNAの中にあると思うんですよね

そういうものを見せられると理由もなく心が動いたりとか

 

須藤泰司(プロデューサー)

時代劇の”時代“っていうのは ”今の時代“ということじゃないかなと

思うんです 時代劇だってお客さんが作られる 内容のものを

ちゃんと作れれば 自動的に作ってくれって話になると思うんです

昔のように量産されることはないにしても 次に続く人たちに

渡していかなければならないし やっぱりきちっと日本映画の

ひとつの伝統として作られていくようになればいいなと思っています

 

ジョグジャカルタ

アジアフィルムマーケット

日本時代劇×インドネシアホラー

 

パリ

「陽が落ちる」

配給会社代表

日本市場で知られていない映画を発見するのは嬉しい これは挑戦なんです 

私たちはただ日本の市場をコピーするのではありません

(時代劇の)紋切り型のイメージに陥らずにそこから脱出したかった

2026年1月2日金曜日

追悼 谷川俊太郎

青き空多忙極めて年来る

年新た今年こそはとまた決意

二日には面白きこと願います

 

■追悼 谷川俊太郎さん~Nコン合唱曲 子どもたちへのことば~

 

Nコン課題曲を作詞

「青空のすみっこ」

「生きる」

「いのち」

「信じる」

「とどいてますか」

 

(詩を)読む人 聞いてくれる人に なにか感動を与えたい

笑いであっても 涙であってもいい 言葉の意味だけでなく

日本語の響き 音を大事にしている 本能的ですけど

 

「とどいてますか」

こんにちは とどいてますか わたしのこえ 

こんにちは とどいてますか ぼくのこえ

わたしたち ホモサピエンス ちきゅうというなの

うつくしいほしに いきています

くさやきや けものやとりや さかなやむしの

いきものなかまと おおむかしから 

うちゅうにひろがる そらのしたで

わたしたちうたいます いろんなこえで あなたにむかって 

わたしたちきょううたいます あしたにむかって

 

合唱に限らず子ども一人一人がなにかいう時や歌うとき

相手に「とどいているか」をいちばん気にしないといけない

みんなSNSとかあるから 本当に言いたい放題になりかねない

でも すごく言いたいことがあっても それが相手に

とどいているかどうかが 言葉の一番大事なところ

だから「とどいてますか」っていうのは 僕にとっては

すごく基本的なことば 

 

「青空のすみっこ」1974年中学校の部課題曲

青空のすみっこで ひらひらの雲が湧いた

とどきそうで とどかない 

青空のすみっこで ひらひらの雲が消えた

青空のすみっこを 一羽の子鳥が飛んだ

つかめそうで つかめない

青空のすみっこに 一羽の小鳥が消えた

 

「生きる」1995年高等学校の部課題曲

空の樹にひとに 私は自らを投げかける

やがて世界の豊かさそのものになるために

…私は人を呼ぶすると世界がふり向く

そして私がいなくなる

生きているということ いま生きているということ

泣けるということ 笑えるということ 

怒れるということ 自由ということ

人は愛するということ あなたの手のぬくみ いのちということ

やがて世界の豊かさそのものになるために

空の樹にひとに 私は自らを投げかける

やがて世界の豊かさそのものになるために

 

〈六十二のソネット〉から「62」

世界が私を愛してくれるので(むごい仕方でまた時にやさしい仕方で)

私はいつまでも独りでいられる

 

私に始めてひとりのひとが与えられた時でも 

私は世界の物音ばかりを聴いていた

私には単純な悲しみと喜びだけが明らかだ

私はいつも世界のものだから

空の樹にひとに 私は自らを投げかける

やがて世界の豊かさそのものになるために

…私は人を呼ぶすると世界がふり向く

そして私がいなくなる

 

(作曲した)新実さんがこの二つを結びつけたのはちょっと

意外だったんですけど 読んでみるとね (二つの詩には)同じような

テーマがあるんですね 人間というのは一人で生きていながら

必ずどこかで ほかの人と 自分の愛する人と繋がっているし

その人を通して もっと広い世界につながっている というのは

共通のテーマでね そういうことを 自分のことばで 歌って

もらえるといいなと思う 人の書いたことばを歌うというのではなく

自分のことばに翻訳して 歌ってもらうといい

 

誰かの声で 自分の詩が広まることは 新鮮な体験でした

第75回NHK放送文化省 受賞Message(2024年3月)

 

私は自分では演奏しませんが 音楽が大好きで

自分の詩が歌になることはいつでも歓迎していました

 

「課題曲を歌おう」2004年3月放送

「信じる」2004年中学校の部課題曲

笑うときには大口あけて

おこるときには本気でおこる

自分にうそがつけない私

そんな私を私は信じる

信じることに理由はいらない

地雷をふんで足をなくした

子どもの写真目をそらさずに

黙って涙を流したあなた

そんなあなたを私は信じる

信じることでよみがえるいのち

葉末(はずえ)の露がきらめく朝に

何をみつめる小鹿のひとみ

すべてのものが日々新しい

そんな世界を私は信じる

信じることは生きるみなもと

 

「信じる」っていう抽象的なことばだけではちからがないと思ったので

なにか具体的なことを書きたいと思った 第一に「自分を信じる」って

いうことを ことばにしたくて 今の子どもたちは 自分を信じ切れない

子どもたちがいるような気がする 真実ということは 自分を

肯定する事でもあるし 自分を愛する事でもある 人間って そういう

ところから始めた方がいい という考え方が まず頭にありました

信じるっていう行為の中には 感情がすごく感情が入っていると思う

感情抜きでは語れない事だから 感情というのは 理由を考えても

わからないもの 理由がない激しい感情 強い感情 深い感情

そこのところを書きたいなと思いました

 

はじめ この詩を「信じよう」ってかたちで書きだしたんですね

だけど それがどうしてもうまくいかなかった 信じるっていう

心の働きは すごく心の深いところで起きるものだろうと思うので

だから 松下さんが曲の終わり方を歌い上げないで すごく静かに

終えてくださったことが 僕はうれしかった 信じる働きというのは

とても静かで深いものだと 頭に入れて歌ってもらえるうれしい

 

「いのち」

命の多様性ということを 具体的に歌詞の中で出せたらいいな

相当 試行錯誤した 大きな象と小さなアリみたいな対比をすることで

命の多様性を出そうと思った 

 

「いのち」

サバンナに立つ象の足元

アリが一匹迷子になっている

太平洋の青い深みで

イワシの群れが銀にひらめく

コンクリの割れ目に咲いて

たちまちに踏まれた花も

大空に輪を描くトビも

みんないのち いのちをうたう

 

いのちがいのちを奪うときも

いのちからいのちは生まれ

いのちがいのちと争うときも

いのちはいのちとむすばれている

 

ホモサピエンスであるより先に

ヒトもひとつの無名のいのち

生きとし生けるもののふるさと

地球は生きていのち育む

 

のびやかに地を蹴るいのち

ひたむきに夢見るいのち

いま響くこの歌声も

みんないのち いのちをうたう

 

初めて聴くんです きょう すごくダイナミックで

スケールが大きいというのが第一印象ですね

ことばが立ち上がって 空へ飛び立ったみたいな

そういう印象になる 

 

Q.お二人にとって「いのち」とは?

難しいよね ひとことで言うのは いのち=波動

人を好きになったときに 好きになった気持ちって

全然目に見えないんだけど ちゃんと どこかにある

心と体の中にある 波動的なものが「いのち」

波動的なものが 植物になったり動物になったり

人間になったりしていると考えると 「いのち」は

すごく広く 考えられるんじゃないかと思う 

 

Q.「いのちをうたう」とはどういう意味?

詩の場合は いろんな比喩的な言い方というのがあるからね

あなたは 自分はいのちでしょ 人間なんだけど 元をたどればいのち

今 歌ってたじゃん そういうあなたのことだと思うといいんじゃないの

 

全国コンクール高等学校の部 2010年10月放送

パックンのインタビューでは谷川氏「優劣付けたくないですね」

きょう 入場料払ってないのが 申し訳ない気がして

やっぱり(11校の演奏が)微妙に違うんですよね 

それがすごくおもしろい

作曲されると 詩に潜んでいるドラマみたいなものが

音楽によって出てくる そのドラマの解釈が 

ひとつずつ(学校によって)違う

昔 これはうちの父が覚えていたんですけど うちの庭で

犬がカマキリかなんかを ちょっかい出して殺そうとしていたら

幼児の僕がすごい勢いで泣いたんですって 僕 わりと

子どもの頃から 生き物を殺すのが苦手だった 僕 ゴキブリと

同居している 殺しにくい ネズミもいるんですけどね

できるだけ邪魔にならないよう 時々 食べ残しを置いといて

やったりして 飼ってるっていうわけじゃないけど その方が

気持ちが楽 殺すよりも 

 

身体をすこやかに 魂もすこやかに 生きていってください

これからの未来は きっと大変なことがあるだろうけれども

それに負けずに 生きていってほしいと思います

 

誰かが歌っていると 自然に自分もそこに参加したくなる

一人の自分の歌が そのまま何人もの違う自分の歌になる

それが合唱の始まりです 単数のメロディが 複数の

ハーモニーになることで生まれる美しさ それは人間社会の

ありかた そのものではないでしょうか  

2026年1月1日木曜日

謹んで初春のお慶びを申し上げます

ふたりきり今年もよろしくお正月

雑煮餅ついに一つとなりにけり

祝い膳いつまで書ける?箸袋

 

謹んで初春のお慶びを申し上げます

笑顔にあふれ幸多き年でありますよう心からお祈りしております

お体を大切にお過ごしください

本年も宜しくお願い申し上げます

 

令和八年元旦 天河水 丙午