2025年4月28日月曜日

あの人に会いたい フジコ・ヘミング

浜節句継承なるや春の雲
春の空基礎なきものに未来なし
春の雲越えしところに答えあり
限界を決めてはならぬ石鹸玉
ゴールなき目標持ちて春を生く

■あの人に会いたい フジコ・ヘミング(ピアニスト)
2024(令和6)年 92歳没

なにも心がなくて ただ こうやって 機械みたいに弾いていたら
世界のコンクールでは1等になりますよね なったって そんなので
お客を引き付けるということはできないですよ
母 投網子 父 ジョスタ・ヘミング
5歳の時から母にピアノを習う

ピアノを習わされていたんですか❓(長嶋一茂)
ええ習わされた うちの母がピアニストだったからね
わたしにどうしてピアノをやらせたかって 子どものときに
ピアノによじ登って 弾いているときのその音が 
もう何とも言えない いい音だから この子にピアノをやらせたら
きっときれいな ピアノを弾くだろうと思ってやらせたってね

6歳のころ 父はスウェーデンに帰国
母が夜になると弾く♪ノクターン作品9-2 ショパンが原点となった

私たちは8時になると 寝させられて 隣の部屋で母が弾いていたのは
いいなぁと思ったけど ああ美しいと思った ショパンの
「ノクターン」や「夜曲」なんかを ゆっくりした曲を弾いていて
ああ なんていいんだと思ったんですね 
16歳 右耳の聴力を失う
私 耳が聞こえなくなて 学校の授業もできなくなって
もうついていけなくなって 何も聞こえないの それで
とても悲しい思いをしました それでも東京芸術大学に進み
1953年NHK毎日コンクール入選
ドイツ留学を希望するも無国籍であることを知る
「日本からはどこにも出られません」って言って
それで「これは大変だ!」って言ってドイツの大使が
私のファンで 彼が全部やってくださって 赤十字の避難民の
パスポートをもらって 彼が作ってくださって 
1961年 ベルリン国立音楽学校へ留学できたのは29歳の時
地元の新聞ディー・ヴェルト紙
「ピアノのために ショパンとリストのために生まれてきた」
苦しかったですよ 私は 食べるものも倹約していたし
1週間くらい水にお砂糖を入れて かき混ぜて飲んでいましたよね
とにかくピアニストなんていうのは野球の選手と違って
すごい大きなで上の人が怒らない状態で ピアノが置いていないと
ダメじゃん? だからものすごく金持ちじゃなくちゃ
できないことなのよね
オーストリア ウィーン 活路を見いだすために移住するとチャンスが
レナード・バーンスタインが演奏を聞いてくれた
あの時はすごかった 忘れられないわよ 目を輝かせて喜んで
私を抱いてキスをして 口にキスをして その場所というのは
ベートーベンも演奏した会場なのよ だからすごいじゃない
もう天国へ行っても忘れないわよ あの時のことはね
バーンスタインの紹介でウィーンで演奏会を予定
再び悲劇が 直前に高熱を出し 38歳 両耳の聴力を失う
本当に 星が落っこちちゃった みたいな感じがした
自分が希望を持っているとね その時 何にも聞こえないときが
2年ぐらい続いたから ずいぶんチャンスが… 失いましたよ その期間
だから惜しいことよ 悪魔よ 悪魔がいるんだ この世の中に
左耳の一部の聴力は回復するもピアノ教師として生計を
立てるしかなくなっていた たまにですけれども 本当の私の値打ちを
認める人がどこにでもいるんですよ 例えばドイツ人の教養のある人が
私の新聞記事を読んで 「あんた こんなところでなにやってんだ
もったいない話だ」って「もっとニューヨークとかロンドンとか
東京とか そういう街へ行って」「一発やれば 今に有名になるな」って
言われたけど そんな移動するお金もなかったし 
もう諦めていましたね 私の出番は天国だと思って 

私は自分の「カンパネラ」が 一番気に入っていて
一つ一つ魂が入っているようなさ ぶっ壊れそうな「カンパネラ」
だっていいじゃない 私はぶっ壊れそうな繊細なピアニスト
芸術家のほうが好きだもの 少しは間違ってもかまいはしない
機械じゃあるまいしさ 
67歳で発売したファーストアルバム「奇跡のカンパネラ」は
クラシック界では異例の300万枚を売り上げます
フジコブームが巻き起こりました

うれしかったです でも反響があれほどになるとも思わなかった
ピアニストとして成功するなんてことは不可能だったはずだからね
まるで神様のいたずらみたい その人気は海外に広がりました

これからショパンの曲を演奏します
辛抱したほうがそれを乗り越えて鍛えられていくんじゃないかな
私はやっぱり すごい苦しんだ生活をしたり 
それを乗り越えてきたのが みんな演奏に出ているんだと思うから
それを聞いてくれた人が やっぱり 
感じる人は感じるんだと思うからね

私の妄想かもしれないけれど 段々演奏が 今のほうが
良くなっていると思うんです というのは自信が出てきて
若いときは 私よりももっとうまい人が 世の中には
星の数ほどいるんだろうと思って わからないですからね
それがそうじゃないってことがわかったから なんかもう
全然 自信満々で あんまりドキドキ怖くなくなったから
演奏がうまくいくようになったと思いますけど

完成なんて人間にはありえないですよね
どんな人も どんな芸術家も これでいいのかな なんて
天国に行ったら聞けばいいんだ 天国に行ったらモーツァルトや
ショパンに会って あれで良かったか聞いてみますよ
絶対「あれで良かったすばらしいです」というだろうと思うよ

奇跡のピアニスト フジコ・ヘミングさん
魂を込めた旋律で運命を切り拓いた92年の生涯でした

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