秋日和大人になって「パインミー」
川渡る雲と戯(たわむ)る鮎の群れ
花カンナ落花戻らず青き空
渡り鳥破鏡写らずいらっしゃい
各自仕様の津軽鋏や夜長
■村雨さんと日本庭園たしなみ巡り 旧古河(ふるかわ)庭園
村雨辰剛
東京北区 約1万坪
古河虎之助 1887-1940
この家は自分の住居としてはぜいたくに過ぎるが
何かの場合にはお役に立てるつもりだからおごりになれてはいけない
「古河虎之助伝」より
旧古河庭園サービスセンター長 樋口直行
バラの開花時期 4月下旬-6月/10月-12月上旬
フランス式:左右対称に木々や花壇を配置して幾何学的な模様を描く
イタリア式(テラス式):傾斜地などに高低差をつけて庭を造る
旧古河庭園技能主任 久留宏二
ジョサイヤ・コンドル 1852-1920 設計
鹿鳴館 ニコライ堂などの名建築を残し「日本近代建築の父」と呼ばれています
河鍋暁斎はコンドルを描いている
河鍋暁斎の日本画の弟子になったジョサイヤ・コンドル
コンドルは庭園に込められた日本の文化や構造 精神性をリスペクト
この古河庭園の洋館はコンドル最晩年の作品
日本文化への敬意が現れています。
洋館の外壁には真鶴の新小松石(江戸城にも使用されている)が使われている
日本で大切にされてきたものを象徴的に使っている
コンドルの日本文化への敬意の表れ
庭園最大の秘密 グラデーション
和風庭園で見る刈り込み 曲線です
たしなみポイント
洋風庭園から日本庭園への移行スペースを設けた 中間エリア
グラデーションの仕掛けがもう一つあります それは階段です
洋風庭園の階段は 切石階段 から 日本風の階段に切り替わる
旧古河庭園 高低差約11mの斜面
日本庭園入り口には「黒ボク石積(いしづみ)
この和風庭園を手掛けたのは 七代目小川治兵衛 1860-1933
植治(うえじ)の庭と呼ばれている
京都・無鄰菴や平安神宮など数々の名園を創り出してきました
1918年(大正7年)日本庭園着工
小川治兵衛とジョサイヤ・コンドルの夢の競演
飛び石の先にあったのは 自然の中にいるような渓谷がありました
景色を見せたいところに平らな石を据えている
視点場=ビューポイント
洋館が見えない別世界への誘い 飛び石の先には見晴台
池泉回遊式庭園 枯滝(一個一個の石が水の流れを作っているかのような感じ)
水落ち石(今に蚯蚓が落ちてきそうに設置されている)
たしなみポイント
対岸の滝を枯滝の効果音に
大滝 全長約20m 落差約8m 水受け石
地下水をくみ上げた気をこしらえた
自然をそのまま体験してもらうような狙いがあったと思う
沢飛び
崩石積(くずれいしづみ)石同士でバランスを取っている
関東大震災 東日本大震災でも崩れませんでした
完成から百年あり続けるお庭
かつて庭園の一角に温室があったらしいんですけど
1923年関東大震災の時に取り壊した 被災した2千人の人々を
受け入れ救護所も設けました
温室も壊して500人ほどが暮らせるバラックを建てて向かいいれた
虎之助の言葉
「この家は自分の住居としてはぜいたくに過ぎるが
何かの場合にはお役に立てるつもりだからおごりになれてはいけない」
戦争 財閥解体 進駐軍接収
二人の巨匠が西洋と日本の文化を調和させて
共存した庭だからすごく大事にされてきた 樋口直行
お互いをリスペクトして力を合わせて
残してくれた奇跡の庭園 村雨辰剛
これから次の世代ずっとそういう思いをつないで
いけたらなあと思っています 樋口直行
先人が残したメッセージなど日頃感じていることは? 村雨辰剛
実際はまだまだわかっていないというか
まだまだ仕掛けが出てくるんじゃないかな
自分たちの理解を深め成長することによって
見えてくるものがあるんじゃないか
宝探しみたいな感じで頑張っていきたい 樋口直行
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