2026年5月8日金曜日

100分de名著 ウィトゲンシュタイン④

夏きざす愛でた景色よそのままに

夏浅し背中押されてまた一歩

砂糖抜き作る蕗味噌涎かな

銀行の駐車場には燕の巣

雀の子レッドリストの可能性

 

100de名著 ウィトゲンシュタイン

論理哲学論考”“哲学探究 ④心はどこにある?

伊集院光 阿部みちこ 古田徹也

 

私は、予見不可能が、心的なもののひとつの本質的な性質に違いないと思う。

 

誰かが一秒間だけ、心からの愛や希望を

抱くことなどありうるだろうか。

いま起こっていることには意味がある

ーそれは、この環境においてだ。

いま起こっていることを取り巻く環境が、

そのことに重要性を与えるのである。

そして、「希望している」という言葉は、

人間の生活のなかの現象を指すものだ。

「哲学探究」第1

 

「言葉は生活の流れのなかで初めて意味を持つ」

それが❝心の状態❞の意味にも当てはまる

感情は特定の生活の流れや文脈の中で初めて形をなす

心は秘密の小部屋ではない

コミュニケーションには嘘や演技 誇張の要素を含む

 

子どもは、振りをすることができるようになる前に、

多くのことを学んでいるのでなくてはならない。

「哲学探究」

 

何かが痛みの表出でありうるのは、

それを取り込む特定の環境全体のなかでのみである。

しかし、痛い振りは、

さらにずっと広範な環境全体のさかでのみ存在しうる。

なぜなら、振りをするというのは、

生活という織物のなかの(特定の)パターンだからである。

「ラスト・ライティングス」

 

言語ゲーム=予見し難い実践

虚々実々の言語ゲームをプレイできるようになる

 

予見できないもの

 

私は、予見不可能性が、心的なものの

ひとつの本質的な性質に違いないと思う。

および、表現の果てしない多様性も。

「ラスト・ライティングス」

 

言語ゲームは予見不可能なものであるということを、

よく考えなければならない。

「確実性の問題」

 

それには根拠がない。それは理性的でない(また非理性的でもない)

それはそこにあるー我々の生活と同様に。

 

予見しづらい側面に宿るもの それが心

 

1939年ケンブリッジ大学哲学教授に就任

同年秋に第二次世界大戦

 

尋常でないことが私に起こった。ひと月くらい前から突然、

哲学するのに適した心の状態になったんだ。

それまで私は、もう二度と哲学することはできないと完全に確信していた。

私の脳内の幕が上がることなど、二年以上も絶えて無かったことだ。

―もちろん、それから私は五週間仕事をしているにすぎないし、

明日にも一巻の終わりになるかもしれない。

だが、そう思うと一層張り合いが出てくる。

(亡くなる前夜、看護している人が

あなたの友人たちは明朝には来るでしょうと語りかけると

ウィトゲンシュタインはこう答えました。

素晴らしい人生だった。彼らに伝えて欲しい。」これが最後の言葉となり

翌日62歳で息を引き取りました。)

ノーマン・マルコム「ウィトゲンシュタインーある回想」

 

人は思想に対して値札をつけることができるかもしれない。

値の張る思想もあれば、安い思想もある。

では、思想の代金は何によって支払われるのだろうか。

私の考えでは、それは勇気によってだ。

 

私はもっぱら鏡であるべきだ。

私の読者は、そこに自分自身の思考を

歪んだままの姿で見ることによって、

その歪みを直すことができる。

「文化と価値」

 

私感

田中眠氏の朗読の凄かったこと…。

これが朗読というものなのだとまざまざと魅せつけてくださいました。

このシリーズは多くの人に見て欲しい。

素晴らしかった。心に深く突き刺さりました。

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