2025年12月19日金曜日

白洲次郎&正子

篠田桃紅を詠む

冬銀河玄(げん)は天地を想像す

偽りなく生きて来ました冬の暮

霜柱まがいものではないつもり

その日まで成し遂げようと冬を咲く

春を待ち百七歳を閉じ行かん

 

■白洲次郎&正子

・旧白洲邸武相荘 

無駄のある家

綿密な計画を立てて設計してみたところで、

住んでみれば何かと不自由なことが出てくる。

さりとてあまり便利にぬけめなく作りすぎても、

人間が建築に左右されることになり、

生まれつきだらしない私は、

そういう窮屈な生活が嫌いなのである。

白洲正子

 

https://www.youtube.com/watch?v=7uYhx99pSF8 より

 

・自分の信念を貫くということ - 白洲次郎|名言|格言|哲学|人生の知恵|

https://www.youtube.com/watch?v=QSZN27KCr1I

 

あなたには、何があっても曲げられない信念がありますか❓

人から嫌われても、損をしても、それでも貫き通したいと思える「何か」が…

現代社会では、空気を読むことが美徳とされ、

波風を立てないことが賢明とされています

でも、それって本当に正しいのでしょうか

今から80年ほど前、戦後の混乱期の日本にまるで風のように現れて、

自分の信念を貫き通した一人の男性がいました。

その人の名前は、白洲次郎

彼はこんな言葉を残しています

「我々は戦争に負けたが、奴隷になったのではない」

占領下の日本で、アメリカ軍に対してこんなことを言える

日本人が、果たして他にいたでしょうか

今日は、白洲次郎の生き方を通して、信念とは何か、そして、

それを貫くということの美しさについて、

一緒に考えていきたいと思います

あなたも、自分だけの信念を見つけたくなっているはずです

1章:プリンシプルという生き方

白洲次郎が最も大切にしていた言葉 それは「プリンシプル」でした

彼はこう言っています 

「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか」

この言葉に、彼の人となりが表れているように思います

西洋の概念でありながら、日本語では完全には表現しきれていない何か

それほど深い意味を持つ言葉だと、彼は感じていたのでしょう

プリンシプルとは、単なるルールや決まりごとではありません

それは、自分の心の奥底にある、譲れない価値観のこと

どんな状況になっても、それだけは曲げてはいけないと思える

魂の核となる部分なのです

彼にとって、それは何だったのでしょう

彼が生涯をかけて貫いたプリンシプルとは…

それは「人として正しいことをする」という、

とてもシンプルで、でもとても難しいことでした

彼はこのように語っています 「僕は人からアカデミックな、

プリミティブな正義感をふりまわされるのは困る、とよくいわれる。

しかし僕にはそれが尊いものだと思っている。

他人には幼稚なものかもしれんが、これだけは死ぬまで捨てない」

周りの人たちからは「幼稚」「理想論」と言われても、

彼は自分の正義感を手放しませんでした

現代を生きる私たちはどうでしょうか 「大人になる」ということを、

理想を諦めることだと勘違いしていませんか

 

2章:従順ならざる唯一の日本人

1945年、日本は戦争に敗れ、

アメリカを中心とした連合軍に占領されました。

多くの日本人が、占領軍に対して委縮し、言われるがままに従っていた時代

そんな中で、白洲次郎だけは違っていました 彼は占領軍のGHQから、

「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれていたそうです

これは、一種の恐れと敬意が込められた呼び方でした

なぜなら、どんな圧力をかけても、彼だけは決して屈服しなかったからです

ある時、アメリカ軍の高官が彼の英語を褒めて、

「君は日本人なのに英語が上手だね」と言いました

普通なら「ありがとうございます」と答えるところですが、彼は違いました

「あなたの英語も、もっと練習したら上達しますよ」

なんと、逆に相手の英語力を評価してみせたのです

これは、単なる皮肉ではありません 「私はあなたと対等だ」

というメッセージだったのです 戦争に負けた国の国民として

卑屈になること拒否した それが彼の信念でした

「我々は戦争に負けたが、奴隷になったのではない」

この言葉の重みを、私たちは理解できるでしょうか

 

3章:嫌われる勇気

白洲次郎は、こんなことも言っています

「人に好かれようと思って仕事をするな。むしろ、半分の人には

嫌われるように、積極的に努力しないと良い仕事は出来ない」

これは、現代の私たちにとって、とても耳の痛い言葉かもしれません

SNSの評価を気にして、みんなに好かれるような投稿ばかりしていませんか

職場でも、学校でも、誰からも嫌われないように、当たり障りのないことしか

言わなくなっていませんか でも、彼は真逆のことを言っています

「半分の人に嫌われるくらいでちょうどいい」なぜなら、

本当の価値のある仕事、本当に正しいことをしようとすれば、

必ず反対する人が出てくるからです 全員に好かれるということは、

誰の心も動かしていないということ 誰の現状も変えていないと

いうことなのです 彼はこうも言います

「リーダーたるべき人間は好かれたら終わり。

七割の人に煙たがられなければ本物ではない」

これほど明確に「嫌われる勇気」について語った人を、私は知りません

現代社会では、みんなで仲良く、みんなで同じ方向を向くことが

美しいとされています でも、それって本当に正しいのでしょうか

時には誰かが、みんなと違う意見を言わなければ、社会は前に

進まないのではないでしょうか 

 

4章:正義感という名の武器

白洲次郎が持っていたもの それは、彼自身が「幼稚」と言った

正義感でした でも、この正義感こそが、彼の最大の武器だったのです

戦後の混乱期、多くの人が自分の利益ばかりを考えていました

どうすれば得をするか、どうすれば損をしないか 

そんなことばかり考えていた時代 そんな中で、彼だけは違いました

「何が正しいか」を常に考えていたのです 貿易庁長官という要職に

就いた時も、彼は汚職の根絶に力を注ぎました 「白洲三百人力」と

呼ばれるほどの辣腕ぶりで、腐敗した組織を改革していきました

でも、これは決して楽な道ではありません 既得権益を持つ人たちからは、

激しい反発を受けました 陰口を叩かれ、足を引っ張られ、

時には命の危険すら感じることもあったでしょう それでも、

彼は自分の正義感を曲げませんでした 「自分の良心はきれいだと

思っているから、人が何言おうと平気なんだ」この言葉に、彼の強さの

秘密があります 他人の評価ではなく、自分の良心に従って生きる

それが、彼の信念だったのです 現代の私たちはどうでしょうか

自分の良心に、胸を張れるような生き方をしているでしょうか

 

5章:孤独という代償

信念を貫くということは時として孤独を意味します

白洲次郎も、その孤独を味わった一人でした。

彼は晩年、こんなことを語っています

「占領下の日本で、GHQに抵抗らしい抵抗をした日本人がいたとすれば、

ただ二人。一人は吉田茂であり、もう一人はこのぼくだ。吉田さんは、

そのことが国民の人気を得るところとなりずっと表街道を歩いたが、

もう一人のぼくは別に国民から認められることもなく、こうして

安隠な生活を送っている」これは、彼の心の奥底にあった寂しさを

表した言葉かもしれません 正しいことをしているという確信はある

でも、それが周りの人たちに理解されない 評価されない、

感謝されない そんな孤独感を、彼は感じていたのかもしれません

でも、彼は続けてこう言います 「けれども一人くらいはこういう

人間がいてもいいと思い、別にそのことで不平不満を感じた事もないし、

いまさら感ずる年でもないと思っている」これが本当の強さなのでしょう

理解されなくても、評価されなくても、自分が正しいと信じる道を

歩き続ける 現代社会では、承認欲求という言葉がよく使われます

誰かに認められたい、評価されたい そんな気持ちは、人間として

自然なことです でも、それに振り回されてしまっては、本当に

大切なものを見失ってしまいます 白洲次郎のように、他人の評価に

左右されない強い心 それを育てることができれば、どんな困難にも

立ち向かえるのではないでしょうか 

 

6章:死ぬまで捨てないもの

白洲次郎は、83歳でこの世を去りました

彼が残した遺言は、たった二行「葬式無用、戒名不要」

最後の最後まで、自分のスタイルを貫いたのです

形式や習慣に縛られることなく、自分らしく生き、自分らしく逝く

それが彼の美学でした そして彼が生涯をかけて追及したプリンシプル

それは、決して時代遅れのものではありません むしろ今の時代

だからこそ、私たちが学ぶべきものがあるのではないでしょうか

「これだけは死ぬまで捨てない」彼がそういった正義感 それは

どんなに小さなものでも構いません 困っている人がいたら

手を差し伸べる 嘘をつかない 約束は守る 弱い者いじめは許さない

そんな当たり前のことかもしれません でもその当たり前のことを、

どんな状況でも貫き通せるかどうか それが、その人の品格を決めるのです

彼はこんなことも言っています 「長く大事に持っているものは、

人に貰ったものより、自分自身の苦心の結晶に限る」他人から

与えられた価値観ではなく、自分で考え抜いて見つけた信念こそが、

本当に価値のあるものなのです それでは今日の話をまとめていきます

 

エンディング

白洲次郎の生き方を通して、信念を持つことの意味について考えてきました

彼の言葉をもう一度、心に刻んでみてください

「僕の幼稚な正義感にさわるものは、みんなフッとばしてしまう」

何て力強い言葉でしょうか 現代社会は複雑で、矛盾に満ちています

正解のない問題が山積みで、

どう生きればいいのか わからなくなることもあります

でも、そんな時だからこそ、自分だけの信念が必要なのです

それは人生の羅針盤となり、迷った時の道しるべとなってくれます

もしかしたらその信念のために、誰かに嫌われることもあるかもしれません

孤独を感じることもあるかもしれません でも、それでいいのです

いえ、それがいいのです なぜなら、そうやって貫いた信念こそが、

あなたという人間の価値を決めるからです 

白洲次郎が愛した言葉、プリンシプル

プリンシプルを持って生きることは、決して簡単なことではありません

でも、その中にこそ、本当に意味での自由があるのです

あなたはどんなプリンシプルを持って生きていますか?

今日という日を、自分らしく、誇り高く歩んでいけますように…。

2025年12月18日木曜日

100分de名著 「死の瞬間」②

篠田桃紅を詠む

冬陽射しカーテン閉ざし灯をともし

なぞらない他人の人生冬の月

寒菊や凛として立つ佇まい

息白し主を纏う着物かな

冬座敷主役の主包み込む

 

100de名著 キューブラー・ロス「死の瞬間」

死にゆく人の否認と怒り

島薗進 伊集院光 阿部みちこ

 

死の受容過程の5段階

①否認 怒り 取り引き 抑鬱 受容

 

どう向き合ったらよいか 手がかりになる

 

ほとんどの人は不治の病であることを知ったとき、

はじめは「いや、私のことじゃない。

そんなことがあるはずがない」と思ったという。

誰にでも最初の訪れるのがこの否認である。

鈴木晶・訳

 

信仰治療 病院の指示に従わない 

 

彼女は横に座っていた私の手を握り、「あなたはこんなに

温かい手をしているのね。私がだんだん冷たくなって

いくときにはいっしょにいてね」と言った。

そして何かがわかったように微笑んだ。

彼女も私も、この瞬間に彼女が否認をやめたことがわかった。

 

1段階「否認」

自分を守るための心の動き

認められないということは生きたいということ

厚化粧をして容貌を若く見せて自分も錯覚する

孤立・孤独がこの本の隠れたテーマ

孤独から助けたということで死の否認が克服できた

死を迎えていくことを受け入れた

否認していたら絶対でない言葉

 

2段階「怒り」

1段階の否認を維持することができなくなると、

怒り、激情、妬み、憤慨といった感情がそれにとって代わる。(中略)

私たちの患者の一人、G博士はこう語っている。

「私と同じ立場にいる人のほとんどは他人を見て

『どうしてあの人じゃなかったのか』と言うでしょう。

 私の心にも何度かこの言葉がよぎりりました。

 あるとき、子どもの頃から知っている

 老人が道を歩いているのが見えました。八十二歳です。

 どう考えても、世の中の役に立っている人間とは思えません。(中略)

 そのとき、頭がつんとなぐられたように、その考えが浮かびましたー

 どうして私ではなくあのジョーンズじいさんではいけないのか…」

 

このような状況に置かれたときにいちばん惨めなのは、金持ち、

成功をおさめた人、支配欲のつよいVIPだろう。

自分の人生を快適にしてくれていたものを失ってしまったからだ。

私たちは死ぬときにはみな同じなのだが、O氏のような人は

それを認めることができない。最後までそれと戦い、死を人生の

最終結果として謙虚に受け止めるチャンスを逃してしまう。

彼らは拒絶と怒りを爆発させるが、それによってだれよりも

絶望的になってしまうのだ。

 

悪循環

死が近いとそういう顧慮(こりょ)が失われてしまう

 

患者は自分が忘れられていないことを確かめようとする。

声を上げて叫ぶ。要求する。不平を言い、注目を引こうとする。

おそらく究極の叫びはこうだ。

「私は生きている、そのことを忘れないでくれ。

 私の声が聞こえるはずだ。まだ死んでいないのだ」

 

私は孤独のまま世間からいないも同然にされていく 伊集院

注目を引こうとする放っておかないでくれ 忘れないでくれ 

死が近づくと途端にどっと落ちた「あなたは大事な一人の人なんですよ」

そういうメッセージを伝える 島薗

 

患者

「君は嘘をついた」(中略)

「もし私が手すりを下ろしたままにしていたら、

あなたはベッドから落ちて頭が割れていたんですよ」

 

ナースが患者に対して断固とした態度をとるのは

死に対する心の準備がスタッフの側に足りない

死に対する恐れが無意識のうちに出たしまう

ケアする側も自分を振り返る必要がある

自分の中の不安や弱さを自覚しておく 島薗

 

自分の心の奥にある恐怖や不安も直視して向け合わなければならない 阿部

 

シスターI

激痛に襲われてナースコールを押したのですが、

誰も来てくれなくて…。もし、何かがあっても、

これでは間に合わないと思ったら、とても不安になりました。

私への対応がそうなら、他の患者さんにだって同じだろうと思いまして、

それでこの何年か、ここで患者さんを見回っているんです。

孤独感

患者 話し相手は、私が見回っている患者さんやその家族の方たちだけです。

そのお陰で、かなり精神的に支えて貰っています。

気分が落ち込んでいる時や泣きたい時、私は自分の問題に

かまけるのをやめて、少しでも他のことを考えるようにします。(中略)

医師 もし、それができなくなったらどうしますか。

患者 そうしたら、だれか手を貸してくれる人が必要になります。

でも、だれも助けてくれないでしょうね…。(中略)

医師 そんなことはありません。

そういうときこそ、私たちが力になります。

患者 ええ、でも、これまでだれかに助けてもらったことなんて

ありませんでした。(泣く)

医師 これからは大丈夫です。それもこの面談の意義なんですから。

 

シスターIの怒りの原因は死の恐怖ではない。 阿部

怒りの原因になるのものは生涯の中にあった 島薗

対話で解きほぐしていくことが死を受け入れていく準備になる 島薗

信頼感 

 

WHOによる緩和ケアの定義(2002)

緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者と

その家族のQOLを、痛みやその他の身体的・心理社会的・

スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、

苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチである。

 

スピリチュアルとは魂の次元の痛み

スピリチュアルペイン:

生きがいや生きる意味であったものをすべてを失うという痛み

どうやってスピリチュアルペインをなくしていくことができるか

答えは簡単に出てくるものではない ケアする側も

そういう問いがあることを分かっていることが大事

「その人の心の大事な部分に自分は向き合っているんだ」

こういう意識を持つことを示唆する本 島薗

2025年12月17日水曜日

髙田次郎&桜の和歌&「さんぽろりん」&「寒犬」&写楽

「ばけばけ」を詠む

女、子供を泣かしてなんぼ霜夜

適当第一迷惑第二冴ゆ

健康第一返済第二凍()

跡取りはペルーの子分❓冬の靄

(小日向文世氏)冬の朝我が腹筋は鍛えらる

 

■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん

昭和の大先輩とおかしな二人

ゲストは髙田次郎氏でした。

御年93歳のパワーに圧倒されました。

藤山寛美氏、南都雄二氏のエピソードには吃驚。

司会のお二人も右往左往しておられました。

髙田次郎氏の言葉「感謝 松竹新喜劇 髙田次郎」でした。




 






■長等山園城寺(ながちさん)(三井寺)の桜を詠んだ和歌

 

さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな   

平忠度(ただのり) 「愚管抄」より

 

見せばやな志賀の辛崎麓なる長柄の山の春のけしきを   

慈円

 

蜂須賀桜は私が詠みたく存じます…。

 

■【第7回】楽しい日本語【さんぽろりん・前編】

夏井いつき俳句チャンネル

今回の楽しい日本語「さんぽろりん」

しぐるるやさんぽろりんを懐に   ローゼン千津

黒豆のさんぽろりんと煮上がりぬ   家藤正人

狐火を捕へさんぽろりんになる   夏井いつき

 

■夏井いつきのおウチde俳句

一分季語ウンチク「寒犬」

 

文字通り寒い犬 寒さの中で過ごしている犬の姿

これが「寒犬」という季語なのです

元々犬というのは最も人間の身近に

存在する動物の一つでもあります

こういう寒い中で過ごす動物の姿というのは

いろんな季語になっているんですけれど

寒い猿と書いて寒猿(かんえん)と言ったり

寒くて凍えている猫のことを「かじけ猫」というような

言い方もしたりもするんですね

そういう様々な動物の中でも犬は比較的寒さを喜んだり

気にせず駆けまわるというような性質は持っております

有名な動揺の中にも「犬は喜び庭駆けまわり」

何て言いますね

そういうイメージにベタ寄りし過ぎると ちょっと類想には

なっていくんですけれども 走る姿だけじゃなくって

寒い中でも遠吠えを上げている姿 そんな描き方もできる

「寒犬」でございます

 

NHKに物申す…。

「べらぼう」の写楽について

阿波県民としてはどう描かれるのか一年間待ちに待っていました。

あ~それがこのように設定されていたとは…。

写楽は斎藤十郎兵衛でございます。

定説をこのような形に作り替えられるとは残念でなりませぬ。



 

2025年12月16日火曜日

手塚雄二 寛永寺天井絵

寒濤(かんとう)やぶつけてこその根幹ぞ

耳元で羽音うるさき冬の蚊よ

冬の蚊や射止め真っ赤に手の染まる

冬の空力関係逆転す

冬銀河いつの間にやら高齢者

 

■日曜美術館 上野の山に龍が舞い降りた 手塚雄二 寛永寺天井絵に挑む

東叡山 寛永寺 根本中堂 奉納 天井絵「叡獄双龍」2025

阿吽の龍

 

東叡山寛永寺 寛永2(1625)創建

明治12(1879)川越喜多院の本地堂を移転

2020年天井絵の依頼を受ける手塚雄二氏

 

2021126日 寛永寺輪王殿

大下図 

手伝った卒業生 松下雅寿 永井健志 加来万周

 

20211224

依頼主 故 浦井正明

 

2022411日 寛永寺 霊殿

島尾新

天井が持っている時代がそのまま絵に登場してくる 手塚

中国・明時代の名墨 程君房製の墨(400年前の墨)

得應軒(店主 宮内由紀子)に注文

入手困難な墨を使えた喜び あの墨を使えたことが良かった 手塚

1979年東京藝術大学在学中は平山郁夫に指示する学生だった

2023613日 白土を使うという後世に残る手法を用いた

田原白土 300年前の白土を絵具にしたもの 墨は400年前のものを用いた

たとえ白土が剥落しても下から(墨絵の)龍が出てくる 墨は剥落しない

修正に欠かせない存在だったのは弟子たちだった

数時間前の龍に比べると全く違った龍になっていたことが

細かな陰影がつけられていた

202355

時間を加えてあげている

塗ったり剥いだりといった地道な作業で龍は数百年生きることとなる

隅の金や銀は伝統的な日本の美が強く意識されている

伊勢集断簡(石山切)「きく人も」伝 藤原公任筆 平安時代12世紀

↑から発想を得た そして金を蒔いた

オリジナルというのは日本の伝統的な古典的な

良いところをすくい上げて現代にそしゃくしたもの

水墨画の上に日本画がのっている 日本絵画の歴史が詰まっている 島尾

2023915

直すところがなくなったときが完成 

2025424

筆翰点睛式(ひっかんてんせいしき)

完成を待たず亡くなられた浦井正明氏の梵字をなぞる

202565

板の裏には手塚雄二の名と助手の名が入れられた

2025912

龍に最後の一筆が入れられた 目に

点睛開眼式

 

東叡山寛永寺根本中堂奉納天井絵

「叡獄双龍」2025

 

5年かけて書いた龍がこの日から生き始めました

この龍を見て何かを感じていただけたらありがたい事だと思うし

この龍が皆さまを見守っててくださってれば良いなぁと思ってます

これはご本尊に向かっての天井ですからご本尊に向かって

お参りする時に天井絵が見守ってていてくれる そう思えるような

根本中堂の天井絵であって欲しいなあと思っています 手塚

2025年12月15日月曜日

兼題「石」&テーマ「電話」

日向ぼこ型には全部心あり

無き型に型破りなし冬星座

伝統に革新のある晩三吉(おくさんきち)

型に心を持ち後世へ雪見

冬を舞う勘三郎の型と切れ

 

NHK俳句 兼題「石」

選者:岸本尚毅 レギュラー:紅甘(ぐあま) 司会:柴田英嗣

年間テーマ「描写の工夫」

 

地味な石をどういうふうに主役をはらせるか脇役で使うか

 

・俳句の種を育てましょう!

石のやうな月と思う山眠る   紅甘

山眠る:冬の季語 山笑ふ:春の季語 山滴る:夏の季語 山粧ふ:秋の午後

歴史的仮名遣い現代仮名遣いどちらかにそろえる

 

石のやうな月が出てをり山眠る

浮く石のやうなる月や山眠る

ルネ・マグリット「現実の感覚」(1963)

 

描写のポイント浮かぶ石を月に見立てる

身近な存在の「石」によって突飛な発想が受け入れやすくなる

 

描写の工夫「石を描写する」

冬ざれ石に腰かけ孤独

⇩見事な遂行

冬ざれや石に腰かけ我孤独   高浜虚子

(冬ざれ:冬の季語)

 

・今週の特選句 兼題「石」

()つる夜の石像前の待合せ   鈴木秀行

石割れば蟹の化石や秋の風   白浜尚子

木の長椅子石の丸椅子秋の暮   小栗しずゑ

石炭で栄えし町のくじら鍋   奥田誠

石段を引っ掻()く箒(ほうき)寒雀   加藤幸龍

いつも石出す子に負けて炬燵の間   村野真澄

 

・特選三席

一席 五ユーロの焼栗パリの石畳   佐藤ひろみ

二席 大根を頼みましたよ石を置く   仲谷克巳()

三席 胆嚢に石ころ三つ草の花   草夕(そうゆう)感じ

 

・はみだせ!教室俳句

愛媛県宇和島市立明倫小学校 芳谷あゆみ先生

秋高し空中ブランコ握る汗

ジェットコースターの感覚残る秋薊(あざみ)

乗り物対決はジェットコースターの勝ち!

 

・「見どころあり!」の一句

花冷えのなゐに崩るる城の石   角谷厳(すみやいわお)

なゐ:地震⇩推敲

花冷なゐに崩れし城の石

(上五は切字を用い、中七は過去を示すために過去の助動詞連体形の「し」をつける)

 

・紅甘のつぶやき

今と過去と石

 

NHK短歌 テーマ「電話」

選者:荻原裕幸 ゲスト:ikoma 司会:ヒコロヒー

年間テーマ「短歌は時代の波に乗って」

 

死ぬことも生きていくことも選べなかったただ来年の手帳を選ぶ十二月

ヒコロヒー

 

・今月のテーマ「電話」

妻に電話をしたはずなのに海鳴りの響くどこかの街に繋がる

荻原裕幸

 

・入選九首 テーマ「電話」

ママごめん悪い娘しますアパートの受話器外してお出かけします

芋田智恵子

「あいさんをお願いします」「わたしよ♡」とお母さんが出たときがある

木村英樹

いちめんのなのはないちめんのなのはなたちおうじょうのでんわぼっくす

佐藤研哉(山村慕鳥(1884-1924)詩人の本歌取り 

有名な作品の語句や趣向の一部を自分の歌に取り入れて作ること)

二席 私 君からの「牛乳無い」の留守電を消せないままですぎる10

冨尾大地

傍らの天使に語り終えたあとブルートゥースのイヤホンを置く

野村真也

私 兄なりにグレてたらしい母からの着メロがダーク・ベイダーのテーマ

いずみはる

三席 クレームの電話専用左耳今Amazonで半額セール

竹内一二(かつじ)

一席 私 すぐそこにいると気づかず電話する恋人たちに挟まれて冬

成見薫

 天国の人とお話しできる機種あれば即座に乗り換えたいが

本那榮子

 

・荻原流 読み方指南

今月の詠み方指南 本歌取りをしてみよう

本歌取り:有名な作品の言葉や情景などを自分の作品に取り入れて作ること

 

咳をしてもしなくてもリビングに人がゐて二人なのだと思ふ

荻原裕幸

咳をしても一人 尾崎放哉 

自由律俳句の本歌取り 放哉にマウントを取っている荻原先生

尾崎放哉(1885-1926)俳人 

波乱に富んだ生活の中で独自の自由律の句境をを確立した

 

ヒップホップではサンプリングという文化があって曲の一部を切り取って

ループさせたり 誰かのラップとか言葉を用いて新しく作ることがある

元々の作品がいいからこそハードルが上がってしまう ikoma

その作品が好きかどうかが大事 荻原

短歌づくりのコツ

本歌取りは元の作品を心から大切にして深く理解してこそ新たな表現につながる

 

Ikomaさんの電話短歌

信号に姿を変えて訪れた画面に残る君の足跡   ikoma

(これは着信履歴)

 

ジャンルの垣根はどうやったら超えられる? 荻原

お互いのジャンルにリスペクトを持つ 

人を好きになればその人のやっていることも好きになる

 

胎動短歌にご投稿を…。 Ikoma

新聞の短歌欄(特に「読売新聞」の「読売文芸」など)、

歌誌(「短歌」「角川短歌」「短歌研究」など)の一般投稿コーナー、

SNSTwitter/X)のハッシュタグ(#胎動短歌、#短歌投稿など)、

そして特定の公募短歌会やウェブサイトが主な選択肢。

 

・ことばのバトン

赦すほかないほどの星、星、星、

挿元おみそ(SNSクリエーター)

甘く焦げてく凍ったはずの血

ハイパーミサヲ(プロレスラー)

 

ペガサスは私にはきっと優しくてあなたのことは殺してくれる 

冬野きりん

穂村弘著「短歌ください」の帯にもなっている

私にとって痛みを表現する方法が短歌 プロレス 

なんか似ているなという

2025年12月14日日曜日

スイッチインタビュー 佐野史郎&桜木紫乃

景変われども流るる水は冬野

吾を持たず群れ成す人よ寒気

表向きなど知りたくもなく凍る

虚像など見たくもないわ寒夜かな

笑われる人生目指す冬の月

 

■スイッチインタビュー

佐野史郎 桜木紫乃(直木賞作家)

家じまいとは家族とは

廃品遺品の整理 処分したのは20トン余り

買う時より手放す時のほうが大変

実母は施設に入所していた 20242月艶子92歳で他界

160年の歴史 医家の歴史に幕を閉じることになりましたと

守ることができず申し訳ございませんが

5代目として告げなかったことを詫びて守れなかったことが

じくちたる思いがある 佐野

長男が継いでいた医業を継いだのは次男の和也さんだった ナレーション

ずっと長男でつながって 桜木

継げというふうに枕元で 曾祖父に言われたので 

どうしても継がなければいけないと思ったと

父は言っていました 代々佐野家は長男が継ぐものだと

父もそのバトンを自分の責務として子どもに渡すのが

自分の役割だと 佐野

呪縛ですね 桜木

悪く言えば不幸の手紙 佐野

プレッシャー 重たくはなかったですか 桜木

そこは僕は相当ずるいですよね 長男であることを 親の愛情とか

ずいぶん受けて育ったから 受けるだけ受けて 

裏切ったみたいなところが 佐野

家を継がなかったことを裏切ったって思う気持ち

嫁に出たあと今もそうなんですけど 

かすかな罪悪感と共に生きているんです 

親が思うように生きなかった自分 桜木

一緒ですかね 佐野

佐野さんの罪悪感と私の罪悪感は何となく似てるんじゃないかと

 

父が経営していたラブホテル HOTELローヤル

私が15歳のときにラブホテルを父がいきなり始めたんですけど

ある日突然1億の借金をしてくるわけです

父の手形というんですかね ハンコを押すのが私の役目で

2人で流れ作業 桜木

重い 加担していたわけですね 佐野

全部お前のものになるんだからと言われてそだつわけですよ 桜木

その時は本当に信じて 佐野

家を継ぐというのをずっと小さいときから言われ続けていたので 桜木

そこは一緒ですね 佐野

床屋って言われていたら継ぎます頑張りますみたいな

そういうと親は喜ぶんです 桜木

正反対のところもあるけど環境として 家というものを継ぐ

家業を継ぐとか 医者であろうが 佐野

床屋ラブホテルであろうが 桜木

重くかかっていたという意味では 男女問わず 佐野

周りに育てられたようなところも いつの他人が出入りしていて 

お弟子さんが何人もいたので 桜木

祖母と母が厳しく看護師さんたちに当たると そのはね返り

ツケが陰で「おまえの母親は」ってゴリゴリ 佐野

同じ同じ よくストーブの上で北海道ですから 火あぶりの刑ってされて 桜木

 

継ぐ家を出たい 俳優になりたいって思ったきっかけは 桜木

医者にはなれないっていうのもあるし 弟は医者の道を進んでいるし

当然弟が…継いで欲しい お兄ちゃんの勝手ですよね 

 

マザコンの話だったけど お父さんがいないっていう話で いきなり

過保護に育てられてきた冬彦君に 親の代祖父の代曾祖父の代のツケが

彼に突きつけられた というふうな解釈で 佐野

重たい荷物ですよね 桜木

男って何という 佐野

 

食べられるようになって知られるようになってから

父も家族も親族も初めて認めてくれた

そのときには子どもが生まれて 医者にしたいという物語では

なかったでしょうね 父はバイオリンをたしなんでいたり

趣味の写真があったり音楽好きで 母は文学少女だったので

ゲーテ「若きウェルテルの悩み」とか好きだった

だから根っこではそういう僕の気持ちが 分からなくは

なかったと思います 父も でも父は長男としての物語を

生きたかったんだろうと思いますよ

この医者の物語の4代目ということを みずから望んで飛び込んだ 佐野

お父様を支えていたお母さまが医者を継ぐことは同で見良いじゃないか

と言えない立場から 医者を継ぐことはどうでもいいじゃないかと

言えない立場から お母さまの壮大にたくらみではと 

佐野さんをお医者さんにしなかったのは 桜木

だから子どもが生まれてきたときに 

そういう思いがなくはなかったようですよ 

写真が残っているけど 胎教で音楽を聞かせたり 佐野

1人で住みやすいようにしたら」と母に言っても

「私は家を守るために生きてきた」とその思いを佐野家の長男として

父は亡くなったけれども母の思いは そんなのはやめてくれとは

言えなかった 

 

母親は晩年 幻聴幻覚が激しく盗聴されているとか 1人になってから

そういうものを見るようになったことは事実 この家を

どうしたらいいんだろう 守り続けなきゃ 後ろめたく思っているのに

孤独にさせてしまったこと やっぱり大きいですよね

申し訳なさはあるけど 

 

20214月 多発整骨随腫に罹患 5年生存率は約40

過酷な入生活を経て復帰

 

ご病気されて大変なときとかぶっているんですよね 桜木

かぶってるけど母はよく分かってなかった それは責められないですけど 

特に敗血症のときは本当に危なかった時期があったので

そういう時期 母が亡くなっていく 死に対する感覚が近いですよね

だから家の物語を自分が生きている間に どう落とし前をつけるか 佐野

 

ここはすごく浄化された場所なんだと すごくいい家だったんだなって 

誰かが守って 傷つけないように傷つけないように 

大切にされた家だったんだなって そうじゃない所に行くと

体調が悪くなるんですよ 桜木

1番の家じまいのご褒美 しまう 供養のような気がします 

家じまいの廃品遺品の整理をした直後に 佐野家の歴史を振り返ると

それぞれの代のことも考えながら 供養 祖先に対して 

なかったことにするのではなく この人たちがこの家の物語を

続けようとしたから 自分もその家の物語の末端に 存在することが

できたんだという感謝 今までやったことのない 大きな供養の儀式 佐野

 

全員ビバ人生 みんなよく生きた よく生きたって好きな言葉なので 

だからよく自分も生きていこう 現在進行形だったり過去形だったり 

1人1人しまって よい形でしまっていけたら 

家じまいはよく生きること 桜木

そこに立ち会っている 生きている子孫が行うのが 家じまい

供養なんじゃないかと 祖先に対して失礼のないように感謝を込めて

ありがとうございました これからもお守りください 佐野

家 家族とか もう一度考えてみる必要があるんだなと

こんなに家をしまうご両親のこと 

家の歴史をこんなに考えている人がいるんだ

ここを舞台にして自由に使えるセットなので 桜木