2026年7月9日木曜日

瀬戸内寂聴 「愛」&「愛した書いた祈った」

大谷は何はなくとも夏の季語

大谷へエールを送る午前4

大谷の笑みで微笑む夫かな

大谷の幸は我が家の幸となる

大谷と一喜一憂ともにせり

 

■大人のEテレタイムマシン 

現代ジャーナル 瀬戸内寂聴「愛」ということば 1990年放送

シリーズ 日本語 私のみつけた美しい日本語

瀬戸内寂聴「愛」ということば

木の中から仏様にお出まし願う 木像

石の中からお出まし願う 石像

 

大正11年 徳島県生まれ 「かの子繚乱」「美は乱調にあり」「青踏」など

多くの作品を発表、昭和62年から天台寺住職

 

「愛」とは仏教では、渇愛と慈悲 百八は無限を表している 

煩悩は数限りなくある 人間が一番困る煩悩が渇愛 

人間の愛はお返しを求める愛 期待し満たされないと腹が立つ

慈悲は無償の愛 人間にはない 忘れてはいけない 喜びを与え苦しみを抜く

人間は男女とも愛されたい 愛されないことは一番寂しい 

キリスト教では、エロスとアガペ

 

愛は相手の欲してるものを与えること 欲していないものは与えない事

相手が何を欲しているかを想像する力が大切

想像力は思いやり 粗暴な言葉は吐かない 暴力を振るわない

体罰は愛ではない 戦後の教育が間違った 自己主張 基本的躾はあっていい

自愛が強いのは良くない 自分が傷つきたくない 情熱の欠如

愛が使われ出したのは明治時代 それまでは惚れた 愛はLOVEを訳した言葉

I LOVE YOU.死んでもいいわと訳した人がいる 想うが使われていた

 

天台寺は奈良時代の創建と伝えられ、東北の名刹として知られている

近く国の重要文化財に指定の予定 秋の大祭を前に本堂の修復も進む

 

観音様は慈悲 本当はおひげがついている 男でも女でもない

平安時代は女は男の欲望のために使われた

平安時代より万葉時代の方が情熱的だった

出家したら男女の関係は絶たなければならない

明治時代からは尼さんでも結婚している

光源氏すら出家した女には手を出さなかった

出家には期待と信頼があった

源氏物語の中で一番不幸だったのは紫の上

出家願望が強かったのに出家できないまま亡くなってしまった

愛と恋は違う 恋はすぐ覚める 恋を愛に持ち直す

男女の間に友情はないと思っていた 年を重ねそうではないと思えてきた

性愛を抜きにすると男女もよい人間関係が構築できる

渇愛から離れれば友情でも自愛でも新しい愛の形が生れる

相手に好きな人が出来たら自分から離れるのが愛

寂聴女史はいまだ嫉妬があるらしい 私は自分から身を引く

今が一番良い時間だと寂聴女史 何が自分の中から出て来るか楽しみ

己を忘れ他を利すれば慈悲の極みなり 平安時代に天台宗を開いた最澄の言葉

忘己利他(もうこりた): 

自分の利益や評価()にとらわれず、相手が喜ぶこと(利他)を純粋に行うこと

これこそが愛の極み

人間は孤独だから愛を求める 生まれる時も死ぬ時も独り

寂しいから愛を求める 寂しいと思う気持ちへの共感と同情

他人の痛みを思いやる心 

 

■知恵泉 瀬戸内寂聴 愛した 書いた 祈った

岩手県天台寺(1300年の歴史を持つ寺)に一人の女性が眠っています

作家・僧侶 瀬戸内寂聴(1922-2021)

 

髙橋源一郎 瀬尾まなほ(22歳から10年間寂聴の秘書を務める) 美村里江

 

泣きたい時は泣いた方が良いのよ 泣くのが当り前よ 

どん底に落ちるとね はずみで上に上がるんですよ

波乱万丈 許されざる恋 流行作家 51歳で突如出家

みんな死ぬんです 死ぬために私たちはこの世に生まれてきている

「私は死なないわ」と思う方 手を上げてください 

 

過去のこともくよくよするな 未来のこともくよくよするな

今を切に生きてください

 

髙橋源一郎氏

僕が書いた作品が最終候補(群像新人文学賞)になった

寂聴さん以外全員大反対 その後デビューした作品の帯を寂聴に書いてもらった

「私が生み出した」って言ってました

 

大正11(1922)徳島市の仏壇屋に生まれる

本名 晴美

文学に没頭 徳女(現 城東高校)を首席で卒業

昭和15(1940) 東京女子大学に進学

在学中に中国の音楽史を研究する学者と20歳の時、見合い結婚

昭和18(1943) 夫と北京へ渡り 娘を授かる

絵にかいたような良妻賢母の道を疑うことなく歩んでいました

昭和20(1945)年 日本敗戦 晴美23歳の時でした

 

それまで信じていたものは 何だったんだろう ということを考えました

ただ教えられていたとおりに素直に信じて生きてきましたけれど

これからは教えられたとおりのままじゃなくて

自分で考えて自分の心と肌で感じたものだけしか信じちゃいけない

 

揺らぐ価値感

25歳の時、夫の教え子を恋することに 晴美にとっては初恋だった

家族を捨て出奔(しゅっぽん) あっさり破局

まだ、喋れない子どもを見捨てた事だけが後悔

独りになった晴美は以前から興味のあった文筆を始める

振り出しは少女小説「岬の虹」や童話「山羊トコスモス」

昭和32年 35歳になった晴美はセンセーショナルな作品を世に送り出す

「花芯」昭和32(1957)知人女性をモデルに性愛をドライに描く

 

私ははじめてこれまでの自分が、

どれほど孤独で虚しく生きてきたかをさとった。(中略)

眠りから覚めていく細胞の一つ一つが、

越智への恋でふくらむように思えた。

瀬戸内晴美「花芯」より

 

越智とはじめて肉体的に結ばれた時、私の恋は終わったのだ。

瀬戸内晴美「花芯」より

 

瀬戸内寂聴記念館 事務局長 竹内紀子

プラトニックな恋のままなら お互いに尊重し合って

精神的に好きだけれど 寝てしまうと その思いが変質する

精神的な恋と性愛は 全く別のもの 

 

子宮作家とレッテルを貼られ 文壇から干された

 

5年間完全に干されました このわからず屋と思っていました

今に見ろと思っていた 寂聴

 

いっぽう石原慎太郎が発表した「太陽の季節」が芥川賞を受賞

 

当時の分断は大半が男の人だし男社会だったと思う 

寂聴さんはまだ35歳くらい よく知られていないし

❝男によって女は救われない❞みたいなことを書いている 

当時は男が女を幸せにするのが当たり前の時代 

生意気だって思われた 好き勝手に若い子が書いていいものか? 竹内

 

最大のピンチ

 

瀬戸内晴美の知恵

己の痛みをさらけ出す覚悟を持て

 

作家 田村俊子(1884-1945)

官能的な退廃美の世界を描き人気を得る

代表作「木乃伊(みいら)の口紅」「炮烙(ほうらく)の刑」「あきらめ」

女性作家のパイオニア ❝魔性の女❞というレッテルを貼られる

 

彼女(田村俊子)も考え方が非常に目覚めた「新しい女」

自我を持つ「新しい女」であるとともに 

本能に流される無知な女の一面もある。

(晴美は)共通があるなと思ったんじゃないか 

 

大正6(1917)「女作者」田村俊子作

この女作者の頭脳のなかは、今までに乏しい力をさんざ絞りだし

絞りだし爲してきた 残りの滓(かす)でいつぱいになつてゐて、

もう何()うこの袋を揉み絞つても、肉の付いた一言も

出てこなければ血の匂ひのする半句も食みでてこない。

 

昭和37(1962)「夏の終り」

自らの不倫体験を描いた私小説

 

涼太とどんな激しい密会を重ねていっても、知子は慎吾への愛が一向に

薄らがらない自分を感じていた。

けれども、涼太との事が、慎吾に発覚する瞬間を想像すると、

血の凍るような恐怖が全身に流れる。

誇りはとうに見失われていた。

気づいた時には底のない虚無の淵どっぷり腰までつかっていた。

瀬戸内晴美「夏の終り」より

 

本当に人間は自分の中のダメなね 煩悩の五欲煩悩の

どうしようもないものを吐き出したら何かそこに光が見えてくる

そこに腰を据えて自分のしたことを見つめてみましょう

 

昭和38(1963) 第2階女流文学賞を受賞

100万部を超えるロングセラー

 

自分が書いたものを自分が面白いと思っていた

寂聴曰く「だって面白いんだもん」

「誰も言ってくれないから自分で言うしかない」

自分の文学に自信があったし諦めなかった

 

過去の自分を応援している感じ 

女性作家でロールモデル(手本となる人物)を発見した

「私の書くべき小説の宝庫がある」気がついた

「花芯」には社会が出てこない(「夏の終り」に)社会が姿を現す

普遍性を見つけた 高橋

 

自分がした事は自分で責任を持つ まなほ

自分で全てを決めるところが瀬戸内の文学にも生活にも出ていた

 

書いた作者の「痛み」を感じた時に「この人は信用できる」

髙橋源一郎の知恵

「痛み」を感じる言葉から「信用」が生まれる

 

世間を驚かせた「決断」の境地とは?

岩手県 中尊寺 昭和48(1973)出家得度

この頃、たすうの連載を抱え忙しさはピーク

私生活でも作家 井上光晴と不倫関係に陥り 悩みを抱えていた

二人の関係を清算した寂聴は

京都 嵯峨野「寂庵」という庵を結びます

隠遁生活を送りながら作品を書き続けました

 

寂聴の言葉

私は立派なお坊さんにはなれないし 悟りなんか到底開けない

お坊さんなんか無理だと思いますね 出家はしてるけど

そういうふうにはなれない 

 

出家して10年が経過したころ寂聴に転機が訪れる

きっかけを作ったのは5歳年上の姉 艶

 

よく十年もつづいたわね、何か御恩報じをしなければ(中略)

ここに人が集って来られる空間をつくったら

瀬戸内晴美「春美と寂聴のすべて」より

 

忘己利他(もうこりた) 

無明(むみょう)仏教用語で無知である事

どうしようもない煩悩に身を任せている

そのときがいちばんつらい そのつらさをおさめるために

無明に光を与えなければいけない これは知恵

 

ある依頼が舞い込む 岩手県 天台寺 住職依頼

奈良時代開かれたとされる古刹(こさつ)でしたが荒寺となっていました

 

天台寺は、想像に絶する 荒廃の極みにあった。

はじめて天台寺の境内に立った時の恐怖を伴う

全身の震えは、今も忘れることが出来ない

瀬戸内晴美「晴美と寂聴のすべて」より

 

多い時は寂聴の法話に15,000人もの人が天台寺に訪れた。

 

瀬戸内寂聴の知恵 肯定力で寄り添え

 

寂聴88歳の時 平成23(2011)311日 東日本大震災

何をあの人たちに言葉をかけていいか

何をしてあげていいか分からないね

 

苦しみに付き合う

 

明日はあるかどうか分からない

今日一日を切に一生懸命生きましょう

ありのままの自分と素直に向き合い一度しかない人生を慈しむ

 

なぜ出家したのか?

「小説家としてのバックボーンが欲しかった」と言っていた 瀬尾まなほ

最後のほうは「神秘的なもので導かれた」と言っていた

 

ロールモデルは時代によって変わってくる

古いロールモデルがある 出家 

「源氏物語」(平安時代中期 紫式部作)

登場人物の多くが世俗のしがらみを断つため出家する

これは日本が歴史的に持っている知恵

(出家は)自由になるやり方の一つ

ダイレクトに言葉を届けると胸にささっちゃう

横にいるのがいい 小説だと「意味がある言葉」

現実には「意味がなくてもいい」言葉の出し方の幅が広がった

一つの大きな流れとなった

 

高橋さんは2015年より新聞で人生相談を担当

ヘンリー・ダーガー(1892-1973)

アメリカの作家・画家 死後15,000ページにも及ぶ小説

「非現実の王国」が発見される

友達が1人もいない 60年間小説を書いていた

亡くなってから発見される 世界最長の小説

この人生は不幸か?彼は自分のために小説を書いていた

小説家になるんだったら誰にもなれます

 

髙橋源一郎さんの知恵

世界は「肯定の材料」にあふれている

 

私自身を肯定してくれたのは瀬戸内だった

「私なんか」というような人間は寂庵にいらない

自分を愛せない人間はもう要らないって初めて怒られた

自分がいじめている自分を励ましてくれている

すごくありがたいと思った 

瀬戸内のお陰で濃い10年を過ごせた 瀬尾まなほ

 

「源ちゃん 長生きしなきゃだめだよ」

「嫌なやつはみんな死ぬから」高橋

2026年7月8日水曜日

柳宗悦と民藝運動

トランプの壟断(ろうだん)固執汗の飯

夏のフランス独りぼっちのトランプよ

メローニへ不満たらたら夏の仏

レオへの批判メローニ憤怒蓮見

アメリカとイスラエル夏の一線

 

■民衆による民衆のための美~柳宗悦と民藝運動~

東京駒場 日本民藝館 展示されているのは民藝

民藝と提言したのは柳宗悦

軍国化 同化政策 孤独な戦いの始まり

小さくても弱くてもキラキラ輝いているような

美というのはそこに宿っているから 

それを敬う気持ちが人としても国としても大事なんだ

 

作家

当時の日本政府の植民地支配・同化政策は

柳にとってとんでもなく野蛮な事

 

哲学者

一種の社会運動であったことは間違いない

本当に自分たちが誇ることができるものはなにか

芸術の力 文化の力を真剣に信じた人

 

沖縄

 

柳宗悦(1889-1961) 民藝という言葉を世に知らしめた

名もなき職人が作った日用品にも芸術家の名品に負けない美がある

欧化政策 同化政策とぶつかることになる

時代の風潮とどのように闘ったのか

 

明治43(1910) 白樺が創刊された

創刊メンバーには志賀直哉、武者小路実篤

その中で最年少の執筆者が柳宗悦(21)だった

オーギュスト・ロダン、ファン・ゴッホ、ポール・セザンヌを担当

彼らと交流を深めた

げに藝術は人格の半影である。そは表現せられたる個性の謂に外ならない。

「革命の畫家」より

 

欧化政策 鹿鳴館(明治16年建設)

柳宗悦 明治22(1889)東京麻布に生まれる

父は海軍軍人 栁楢悦(ならよし)

母は加納治五郎の姉 勝子

 

大正13(1924)35歳で山梨を訪れた時「木喰上人」と出会った

日用品とも出会った 西洋美術にはない美を宿していた

 

私は即座に心を奪われました。

その口許に漂う微笑は、私を限りなく惹きつけました。

「木喰上人発見の縁起」より

 

柳宗悦は京都に住まいを移していた

濱田庄司、河井寛次郎と「蚤の市」に通うようになった。

売られているものは「下手物(げてもの)」と呼ばれていた。

そこにはとりわけて 彩もなく飾りもない。

至純な形、二、三の模様、それも素朴な手法。

彼らは知を誇らず、風に奢らない。

奇異とか威嚇とか、少しだにそれ等の工(たくら)みが含まれない

「雑器の美」より 

 

杉山享司(日本民芸館 常務理事)

それまで柳たちが評価していたゴッホやセザンヌは まさに天賦の才を持った

藝術家 天才といわれる人たち そういう人たちが美を生み出すことのできる

人たちだと限られた才能を持った人たちだという風に思っていたところが

目の前にあるものは無名の職人が用いることを前提に作っている 芸術家が

美を意識して作ったものではなく 「用いる」ってことを前提に使いての

事を考えて生れてきた 日常生活の道具の中に本当の美しさがあるのではないか

自然の中から湧き上がるようにできあがったものに本当の美がある

 

民衆的工藝 略して 民藝

 

本日のゲスト 朝井まかて

何か違う空を見るような発見だったのではないか

もう一人のゲスト 鞍田崇

西洋的な美術界の尺度の中だけでは測れない美しい世界があるじゃないか

 

磯田道史

未来から来た留学生

 

鞍田崇

自然から乖離した結果 本当にこれが人間らしい暮らしなのかなという

批判的な視点を培ってきた

 

磯田道史

一等国と呼ばれるようになり凄い自信を持った ところがやってみたら

そんな幸せな日本と思えない

 

帝国美術展覧会

「用途を指示せぬ美の創案」杉田禾堂

これを柳は近代人の錯覚と批判

湖西の現はした形態や模様と此の素材の性質とが、工藝美を織り出すのである。

と杉田は反論。

美の巨人と歌われた北大路魯山人も痛烈な批判を浴びせている。

徳川期の民芸さんに岡惚れして、もう一遍 元のお顔に縒()りを

戻してみたいなんてまったく寝言だ。なんたる妄想だ。

「柳宗悦氏の民藝論をひやかすの記」より

 

6年後 昭和11(1936)日本民藝館 開館

初代館長は柳宗悦

 

馬ノ目皿

この目の模様が凄くこなれて 何回も何回も繰り返し繰り返し描くことで

体や手が勝手に動くみたいな そこから体が自然に動いてくるので

作為なんてことが入り込む余地もないですし 無心から生まれる

美というものになります

 

意識よりも無心がさらに深いものを含むからです。

作為より必然が一層厚く美を保証するからです。

個性より伝統がより大きな根底と言えるからです。

「民藝とは何か」より

 

杉山享司

よく柳の思想を自我や個性の否定のように取り上げる方がいるが

そうではなくて 没個性と言いますか 個性をあえて超える

自分の力で自力を超えていく 例えば自然の恵みとか伝統の力とか

そういったものを味方にすることによって 初めて生まれ出るもの

ということを実感していく

 

染付秋草文面取壷 朝鮮18世紀

 

その冷ややかな土器に人間の温み、高貴、

壮厳を読み得ようとは昨日まで夢見だにしなかった。

「我孫子から通信一」より

 

朝鮮・鶏龍山 陶磁器調査中の柳宗悦 3年後

1919(大正8)三一独立運動

人は愛の前に従順であるが 抑圧に対しては頑強である

日本は何れの道によって隣人に近づこうとするのであろうか

平和がその希望であるなら何の痴愚を重ねて抑圧の道を選ぶのであろう

「朝鮮人を想う」より

 

皇民化政策

 

お持ちくださったお気に入りの民藝

朝井まかて 花器 河井寛次郎作

鞍田崇 からむし(イラクサ科)の繊維 すきんのう(麻繊)

 

無心は無心を狙うとなったら大変難しいことです 朝井

作るんじゃなくて「生まれる」と言う どこかで委ねるような感じ 鞍田

日本政府の植民地支配 同化政策は柳にとってとんでもなく野蛮なことで

受け入れがたいもの 一個の日本人としてのステートメントを

ペンで堂々と表明した 朝井

決して安穏な状態ではなかった 義憤みたいなものもあったんでしょう 鞍田

隣や周辺をローラーで塗りつぶすように平たく染めてゆくことへの

非常な抵抗感があり 小さくても弱くても キラキラ輝いているような

美というのはそこに宿っているから そこが大事というのが柳の思想 磯田

 

沖縄 49歳で初めて訪れた そこは民藝の宝庫だった

紅型(びんがた) やちむん シーサー 

 

私たちはまるで宝の山に入ったような想いでありました

なぜなら日本のどの地方に行ったとてこの島に於いてほど

固有の文化が濃く残っている所を見出すことが出来なかったからであります。

「沖縄の思い出」より

 

昭和12(1937)日中戦争勃発

 

方言札 標準語励行(れいこう)運動

 

小熊英二

大きな理由は沖縄の人たちの忠誠心があてにならない

つまり戦争になったときにいったいどこにつくのかわからない

はっきり忠誠心の対象を示すものとして標準語

それから天皇に対する忠誠心を教えようとした

1940年当時は朝鮮や台湾でも日本語の励行運動をやっていたから

それと重なるように見られたということもある

 

琉球方言(しまくとぅば)

 

私の家では標準語の外は一口も語らせぬようにしている

 

選択一 沖縄県民に方言を守ろうと主張し続ける 朝井 磯田

選択二 全国に歌や踊りを通して沖縄の魅力を伝える 鞍田

 

柳が選んだのは選択一

県民よ、再び云う。標準語を勉強せよ。

されど同時に諸氏自身の所有である母語を振興せしめよ。

諸君は日本国民として 不必要な遠慮は堕してはならぬ。

県人よ、沖縄県民たることを誇りとせられよ。

「琉球新報」昭和15114

 

昭和16(1941)太平洋戦争開戦

昭和16(1941)アイヌ工藝文化展

「切伏(きりぶせ)」の模様がされている 木綿の布のアップリケ

その上に刺繍で文様が施されている

切伏衣装 19世紀 

「北海道旧土人保護法」明治32(1899)制定

 

私はここでかかる解決には二つの道があると思うのだ。

第一はお互いが相手の立場に立ってみることだ。

第二の方法は何なのか。互が互を尊敬せよと云うのである。

尊敬する何ものかを掴むまで、互を見守れと云うのである。

「アイヌ人に送る書」より

 

昭和36(1961)柳宗悦 死去(享年72)

 

江戸時代 両敬関係 お互いが敬う関係っていうのは存在する

 

多様な状態の面白さがやがて人類に価値を持ち始める 磯田

2026年7月7日火曜日

村雨さんと日本庭園たしなみ巡り 三溪園

境界線を描き続けて夏の空

掌の宇宙と共に夏を生き

雲の峰笑うクマさん溢れる涙

夏の月気が小さくて弱虫で

夏の風吹く泥禿庵(でこあん)と放屁庵

 

■村雨さんと日本庭園たしなみ巡り 三溪園

村雨辰剛

 

広さ東京ドーム約4個分 175,000

17棟の建造物 10棟が国の重要文化財 3棟が横浜市の有形文化財

研究者の間では東の桂離宮と呼ばれている

明治時代に実業家が私財で作庭 名建築とともに見る庭

 

大池

三溪園は開園して120

三溪園保勝会 事業課長・学芸員 吉川利一

春は桜 夏は蓮 秋は紅葉 冬は梅

外苑(1906年 原三渓が一般に公開)と内苑からできている 

正門 臥竜梅 三重塔 聴秋閣 臨春閣

原三渓は明治時代 生糸の輸出業で成功 富岡製糸場を所有

三溪園のシンボル 三重塔 国の重要文化財

三重塔と大池は元々ここにあったものではない

原三渓の構想にデザインをして造り上げている

人力で池を掘る 出た土で山の形を整える

旧燈明寺三重塔 京都で解体し三溪園で組み立て直した

原三渓は日本の古き良きものが次々と失われていく事に対して

危機感を持っていた 存続の危機にある歴史的建造物を

三溪園の地に移築・収集した

近代化が進む日本 横浜

日本の美を守り伝える為三溪園を市民に開放

哲学がある 庭園をつくって自分だけで楽しまずに

広く公開して日本の良さを分かってもらって分かち合おう

正門には 「遊覧御随意」 昔は24時間自由には入れた

初音茶屋では当時の来園者へのおもてなし 

戦前までは来園者に無料でお茶を提供していた

その中の一人が芥川龍之介 ここで俳句を詠んだ

「ひとはかり浮く香煎や白湯の秋   芥川龍之介

 

三渓がプライベートで作った内苑

臨春閣 国の重要文化財

移築当時は聚楽第の遺構とされ「桃山御殿」と呼ばれていた

近年の研究では紀州徳川家の別荘「厳出(いわで)御殿」とする説が有力

臨春閣と調和するように池を造成

 

たしなみポイント 

州浜:水辺に石を敷き詰める表現手法 

州浜がある池は海や川を表現していることが多い

水辺を意識すると建物の特徴が見えてくる

 

池に張り出している部分は紀の川に面して建てられていた部分と言われている

建物が元々あった環境を再現したかのよう 良い石が使われている

大名品ナレバイザ知ラス普通之品ハ一切買入中止仕候 原三渓直筆の手紙より

 

視点を変えて庭を見る

原三渓によるデザインの橋 唐破風 高台寺観月台 国の重要文化財

原三渓は豊臣秀吉好き

庭師に名所・旧跡を視察させた

 

臨春閣 1649年の建物

研究者の間では東の桂離宮と呼ばれていた

幕府の御用絵師 狩野派による障壁画

各部屋に豪華な美術品

波の欄間 銀箔 和歌の色紙がはめ込まれた欄間 菊の透かし彫り

原三渓が見せたい風景 絵画のような景色 原三渓が描いていた理想の風景

デザインの中心 

「臨春閣」の名の由来 臨春閣の移築当時は箸の向こうに桜の木を植えていた

桜を見る⇨春の見る⇨臨春閣

二階へ 村雨の間 村雨松林図 

村雨 急に激しく降ったり弱く降ったりするにわか雨

金箔と銀箔

自分の家の中に描きたいくらいです 村雨辰剛

百人一首の色紙

 

たしなみポイント

座ることで美しい景色が見えてくる 座って見上げた先に三重塔

三重塔の上に昇る月

 

臥竜梅

三溪園の梅を題材にした作品 弱法師(右隻)下村観山 国の重要文化財

 

原三渓 若手芸術家の支援に尽力

その一人が 下村観山であり横山大観 

原三渓の影響で新しい芸術家が生れた

鴨の嘴(はし)よりたらたらと春の泥   高浜虚子

横山剣(クレイジーケンバンド)横浜市中区本牧出身

松並木ストラット 現代でも文化サロンでもある

 

渓谷エリア

聴秋閣 国の重要文化財 二条城にあった

楼閣建築 火灯窓

この建物の前が池で当時は庭園で舟遊びが凄く流行っていた時代

対岸から舟でここまで近づいてきて 直接舟で上がった空間ではないか

水辺にあった建物の構造をいかした作庭

 

聴秋閣から臨春閣への水の流れ⇨川から海への流れを表現

 

たしなみポイント

水の流れを辿ってみると発見があるかも!?

聴秋閣越しに見る三重塔 縦の構図

原三渓が最後に移築した建物

最終的な仕上げ これを置いたら完成

 

作庭家はみんな庭に魂が宿ってしまうと思う

僕が今まで見てきた庭の中で三溪園ほど

魂が宿っている庭はなかったかもしれない 村雨辰剛

2026年7月6日月曜日

兼題「香水」&テーマ「雷」

夏の(動物)園狸四匹生まれけり

黙ってりゃいい気になって雲の峰

夏の空何度も言うと複数に

何となく引き合う孤独夏木立

暑き夜や満腹なれどもの足らず

 

NHK俳句 兼題「香水」

選者:堀田季何 レギュラー:庄司浩平 司会:柴田英嗣

年間テーマ「もっと俳句のコリをほぐします」

 

コリの悩み 歳時記ごとに季語が違う

季語はどうやって誕生する?

上記の季語は歳時記に載った理由が違う

 

俳壇の権威者の勧め(高浜虚子 水原秋桜子 山本健吉など

それぞれの時代に歳時記を編む人たち)

パイナップル ハイビスカス(夏の季語)

 

名句は広く認知される

万緑(夏の季語)語源は中国の詩

万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男

この句がきっかけでみんなが「万緑」で句を作り始めた

苦があってから歳時記に入る事が多い

 

歴史的な出来事から生まれる

原爆忌(秋の季語) レノンの忌(冬の季語)

 

流行・文化から生まれる

ボジョレーヌーボー(冬の季語) ヴィシソワーズ(夏の季語)

 

季語が消えて行くこともある

 

   食べたかず串で数へて焼鳥屋   鷹羽狩行

焼鳥 冬の季語 本来の「焼鳥」は野鳥を山や野原で焼いたもの

生活の変化で季語の意味やイメージが変わった

   休日は老後に似たり砂糖水   草間時彦

季語は砂糖水 夏の季語

歳時記に載っていても使う時にリスクがある

歳時記に載らなくなってしまう可能性がある

   逢うときは目をそらさずにマスクとる   仙田洋子

マスク 冬の季語 「マスク」という言葉に冬のイメージはない

 

季語の「季」が揺らぐこともある

ツボポイント 季語は変質する

 

・実践

風走る 歳時記には掲載されていない

冷蔵庫 夏の季語 歳時記には入っている

ハロウィン 秋の季語 最近歳時記に入った

ハンカチ 夏の季語 汗拭ひ(夏の季語)

ゲリラ豪雨 歳時記には入っていない

 

まとめ 季語に絶対はない

 

・特選六句発表 兼題「香水」(夏の季語)

香水の消えて二人目退職者   小林さおきち

香水の霧にフォーレの音の形   西﨑秋雲(しゅううん)

(フォーレ フランスの作曲家)

香水や検閲されし夢のあと   灰島りんこ

香水や陸に上がりし日の記憶   二階堂慧(さとし)

香水は奪ふよ贅沢は敵だ   IquedaQuenshi(いけだけんし)

ガス室のボタン香水つけて押す   真夏乃雪

 

柴田 庄司の歩み

柴田英嗣 季語を知って時代を知る

庄司浩平 移ろいゆく季語柔軟に捉える

 

NHK短歌 テーマ「雷」

選者:横山未来子 レギュラー:横田真子 司会:ヒコロヒー

年間テーマ「三十一音、次の扉へ」

今回のテーマは「表記の工夫」

 

・三十一音次の扉へ

くたびれたカバンを抱え一本の橋渡る時切なかりけり

田中拓也「直道」

鞄 かばん カバン 表記でそれぞれに印象が変わる

 

黒板ノ化学式消ス永遠ヲ消スはるかなる秋の教室

小島ゆかり「はるかなる虹」

 

紙の袋にからだををさめたる猫のおのがぬくもりのなかにやすらふ

横山未来子「午後の蝶」

 

―*と蜘蛛たれてきて寒がりな振子時計を演じ始めぬ

笹井宏之「八月のフルート奏者」

 

・入選六首 テーマ「雷(かみなりカミナリ)

一席 一心に乳を飲む子の足の指時々ひらく雷の夜

すずきなずな

猫舌の君を待つ間に今日もまたラーメン鉢の雷紋数える

遠藤恵子

春雷が亀裂のように走る夜この世がスノードームなら出して

石川真琴

()り鉢の胡桃の音はごおろごろ山の向こうの雷になる

森岡さや

僕たちはうまくいかない新品の浴衣を雨で濡らして帰る

桃園ユキチ

かみなりを遠くに聞いたあの夏のそばにいたのにもういない犬

カワシマサチヨ

 

・歌人への道

「雷(かみなりカミナリ)」を入れて詠む!

バリバリとガラス引き裂くカミナリが安らぐまでに固く瞑する

横田真子 添削⇩

バリバリとガラス引き裂くカミナリが安らぐまでに固く目を閉ず

 

カミナリに撃たれたくなる長い夜超えて私は朝に出掛ける

菊池銀河 添削⇩

カミナリに撃たれたくなる長い夜超えて私は朝へ踏み出す

 

白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう

斎藤史「魚歌」

 

・いちご摘み

たましいを祈りを時を託さんとトックリキワタのが舞い落つ

屋良健一郎

紫陽花のへ手出しをしたのちに鏡にどこか色が足りない

早月くら(好きな俳人 笹川諒)

摘んだのは白 紫陽花のミステリアスな魅力です

 

しなやかなめまいがあって手をついた場所から果樹が広がってゆく

歌壇20242月号本阿弥書店より

短歌ですと思い出して自分でまた組み立て直す再生することができる