ごきぶり(蜚蠊)は虫に非ず廉き虫なり
鮟鱇や生々しさとグロテスク
(寛永寺)冬を龍素材生かして後世へ
(根本中堂)未来への不安と期待冬の板
天井絵見つむ手塚へ冬の風
■100分de名著 キューブラー・ロス「死ぬ瞬間」③死を受け入れる?
エリザベス・キューブラー・ロス(1926-2004)
島薗進 伊集院光 阿部みちこ
死の受容過程の5段階
①
否認 ②怒り ③取り引き ④抑鬱 ⑤受容
第3段階「取り引き」
「避けられない結果」を先に延ばすべく
何とか交渉しようとする段階に入っていく。(中略)
取り引きとは何とか命を長らえようとすることである
それは「よい行い」をすることへのご褒美を兼ねていて、(中略)
「もしそのための延命がかなったならそれ以上は望まない」という
暗黙の約束をすることになる。
鈴木晶・訳
医学的に大事なことをしっかりやる
それによって自分の一番大事なことをし続けたい
「こういうことはできるんじゃないか」ということを試してみる
生き方を変えていく なんとか生き続ける望みのほうに賭けてみる
願掛けに近いかもしれない
こういう交換条件をしたら これはうまくいくんじゃないか
かなりステップは変わっている
生きる望みを捨てきれないでいる段階 人の心の揺れ動き
迷いながら自分らしい生き方をしたい
死が近いという現実を認めた しかし認めきれない だから揺れている
治療のアプローチも受け入れて貰いやすくなる唯一の時期
第4段階「抑鬱」
抑鬱を招く原因は2つに分類できる
反応的な抑鬱
無気力さや冷静さ、苦悩や怒りは、すぐに大きな喪失感に取って代わられる。
その喪失感にはいろいろある。乳がんを患った患者は女らしい体つきを
失うことに抵抗を感じるだろうし、子宮がんの患者は自分がもはや
女ではないと感ずるかもしれない。(中略)
だがこんなことはまだ序の口で、患者はもっと多くのものを
失うことに耐えなくてはならない。
患者:(中略)だれかこの状況を助けてもらいたいのですが。
私たち家族はその日のことしか考えられません。
毎日毎日なんとか生き延びているようなものです。
でも、先のことを考えたら途方にくれてしまうのは
当然でしょう?何と言っても私がこんな病気なんですからね。
抑鬱1
反応的な抑鬱 この世で生きている中で生じる胸のつかえ
この世で解決できない問題がある 色々なものを喪失していくが
そのことに胸が塞がれて元気がなくなる 経済的な問題や
家庭に関する心配は反応的な抑鬱を生じやすい
直接的にその課題を解消する仕組み
病院で死ぬようになってそういう環境から離れてしまう
それをどう変えていくか という問題意識がある
より多元的な多職種連携 自分も専門家的ではないアプローチを
していたので 専門家のケアでは足りない所を
自覚的に取り組むことを提案している
反応的な抑鬱の中には精神的な解決が必要なものもある
患者:(中略)こんな状況の中で生きていても価値がないと
考えたことはあります。
牧師:価値がない?
患者:だって、私が明日死んでしまったとしても、妻はまったく
平然として、これまでどおり生きていくでしょうからね。(中略)
私は何十年も、長老派教会で教会のための仕事をしてきました。
(中略)この私にだって少しはできることがあったんです。
地域社会で役に立つと思われることが、私にもいくらか
できたのです。(中略)だけど、私のしてきた活動は、金もうけに
ならないという理由で、どれもくだらないとしか
評価されなかったんです。
薄々感じていたことがより顕著になってしまう 心のすれ違い
経済的・社会的サポートがあれば解消されるというものではない
妻に人生の中で生き甲斐にしていた 大事な意味があると思って
やってきたことを認めて貰っていない
ああいったこともこういったことも評価なんかされてないじゃないか
ロスは医師なんだけれど心の問題に取り組む
宗教と医療の間に自分の役割がある 従来は医者は身体的な問題を解決する
スピリチュアルな問題は教会関係者が解決するみんなが教会に
熱心にいかない時代 そういう時に医療職の人もこういう自覚を持って取り組む
これらすべてが抑鬱状態を招く原因となることは、患者を扱う人なら
だれでもよく知っている。だが、忘れがちなのは、死期の近い患者には、
この世との永遠の別れのために心の準備をしなくてはならないという
深い苦悩があるということである。
医師:あなたにとって、死とは何ですか。
患者:死ですか。それは価値ある活動が終わってしまうということです。
私の場合、価値あるというのは、妻とちがって、金を稼ぐ行為を
意味しません。
牧師:聖歌隊で歌ったり、日曜学校で教えたりということを
おっしゃっているんですね。人と交流を深めるとか、
そういったことですね。
医師:(中略)あなたがおっしゃりたいのは、自分の存在にいくらかでも
価値があって、有意義な活動ができるのなら、人生は
生きるに値するってことでしょう?
準備的な抑鬱
その抑鬱が、もうすぐ愛する者たちと別れなくてはならないことへの
準備段階であって、その事実を受容するためのものだったならば、
励ましたり元気づけたりしてもさほど意味がない。(中略)
自分がもうすぐ死ぬことについて考えるなと言っているような
ものだからである。患者に向かって「悲しむな」などと
絶対に言ってはならない。だれだって愛するものを失うのは
このうえなく悲しい。患者はこれから自分の愛する物も
愛する者もすべて失おうとしているのだ。だから、悲しむことを
許されれば、目前に迫った自分の死をもっと楽に受け入れることが
できるだろうし(中略)そばにいてくれた人にも感謝するだろう。
死にゆく彼にとっては「すべてを失うこと」
抑鬱2
準備的な抑鬱 この世から遠ざかっていくことによって生じる心の痛み
全てを失って向こう側へ行くときに抑鬱的な気持ちになるのは自然
だからそれを防ごうと考えてはいけない
伊集院
人間が呆けるのは人間が本能的に死の恐怖を弱めていくスイッチ
準備的抑鬱では、まったくあるいはほとんど言葉を必要としない。
むしろ、感覚でお互いを理解し合える。
髪をなでたりして手を触れればより通じるものがあり、
黙っていっしょにいるだけで十分なこともある。
(沈黙の時を共にするそういうことが力になる)
この時期には患者はお祈りだけを望むかもしれない。
ただそこにいる あなたの力になりたい
