2025年12月25日木曜日

べらぼう&しゃらくさい狂歌大会&磯崎新&さんぽろりん&「山眠る」&西村典子&徳光和夫

霜月や一度限りの垂らし込み

大雪を畑狭しとカリフラワー

大雪をでっかく育った華てまり(カリフラワー)

企画満載冬の上板来しマルシェ

友の笑み初収穫の柚子蜜柑

 

■べらぼう~蔦重栄華の夢噺~

鳴く声はぬへに似たるか香やいかに浮かぶ湯船のあはれなりけり

通い路も二階もせかれ閨(ねや)の花甘きはみつのあはれなりけり

水責めに火責めのあとは半殺し目黒の餅はあはれなりけり

 

淡雪にしばし人目は包めどもあらはれて良き妻の移り香

ぽんぽんと打ち笑はする万歳の鼓の皮の張るはきにけり

春雨に寒さの縒()りのもどりてやながく延たる青柳の糸

 

蔦屋重三郎の実母の供養碑

巧緻な発想とすばらしい商機の読みは誰も及ぶべくもない

 

■「しゃらくさい狂歌大会」大賞

 

後期とは誰が決めたかしゃらくさい

我は生き抜く百を超えても   渡辺秀夫

 

何という意気込み素晴らしい

蔦屋重三郎は早すぎましたよね…。

 

斎藤十郎兵衛 (能役者)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E5%8D%81%E9%83%8E%E5%85%B5%E8%A1%9B_(%E8%83%BD%E5%BD%B9%E8%80%85)

 

■磯崎新氏の言葉

建築することは、人々が生きているその場のすべて、

社会、都市、国家にいたるまでを構想し、

それを眼に見えるよう組み立てることだ

 

■夏井いつき俳句チャンネル

【第7回】楽しい日本語【さんぽろりん・後編】

「さんぽろりん」方言である。意味は無一文なこと、零落したみすぼらしい姿。

 

なまはげにもなれぬお父やさんぽろりん   ローゼン千津

さんぽろりんへ一本与ふきりたんぽ   夏井いつき

かまきりとカレーとさんぽろりんなぼく   家藤正人

 

■夏井いつきのおウチde俳句

一分季語ウンチク「山眠る」

 

非常にメジャーな季語 しかも使いやすい季語として

句に使ったことのある方もいらっしゃるかもしれませんね

これは冬の山に対する形容した言葉になっています

冬の山はすべて山の木の葉っぱが落ちていって

静かに冬日を受けて眠っているかのようだと

そういう言葉になってまいります

山の様子を形容した季語シリーズというのは

それぞれの季節にありまして 春は「山笑う」夏は「山滴る」

秋が「山装う」そして冬が「山眠る」ということになっています

それぞれの山の表情を昔から人は捉えて

ああ今あの山はこんな状態にあるねと

目にしながら過ごしてきたのでしょうね

 

■西村典子「夢見る羊の街」

それはどこにあるのか 誰も知らない

でも空想の扉を開けば 誰でも行くことができる 不思議な街

 

夢を見ている羊が、街を載せて空に浮かんでいる

「空想街」という独自の世界観を描き、人気を博している西村典子さん。

ユニークな発想の原点は、つらい小学生時代に…。

 

「空飛ぶ魚の街」に「おもちゃの王国」

思わず飛び込みたくなるような空想の世界を描く、西村典子の「空想街」の絵。

デザインされた雑貨は、今若い女性を中心に人気急上昇中。

単なるファンタジーな絵ではありません。驚くほど緻密で、手の込んだ描法。

アイデアとユーモアに溢れ、老若男女誰もが惹きつけられるのです。

そんな「空想街」はなぜ生まれたのか?秘密は作者の小学生時代の辛い経験に。

今も「空想街」を描き続ける彼女の思いとは?

参照:https://www.tv-osaka.co.jp/onair/detail/oaid=2181735/

 

■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん 徳光和夫登場!

 

徳光和夫氏が神様として崇める長嶋茂雄氏の話。
立教大学への入学、アナウンサー試験の経緯、

プロレス実況中継で知り合ったジャイアント馬場氏の

話など62年間のアナウンサー人生を語ってくださいました。

人生の先輩のお言葉は「禍福は糾える縄の如し」でした。



2025年12月24日水曜日

あの人に会いたい 瀬戸内寂聴

勘三郎を詠む

味噌搗ついて心宿して役となる

凍てつかん吾の背見澄ます子の視線

習ったことをそのまま伝授面見世(つらみせ)

伝統へ流行り盛り込み足揃(あしぞろえ)

顔見世や勘三郎を今一度

 

■あの人に会いたい 瀬戸内寂聴

作家・僧侶 瀬戸内寂聴 2021(令和3)年 99歳没

 

愛するというのは喜びと同時に 苦しみが始まるものだと思うんですよ

でも それでもですね やっぱり人間は愛した方がいいと思う

愛するためにわれわれは生きているというふうに

文学というのはそれを描くものじゃないでしょうか

みんないつか死ぬんですからね いつかは死ぬからね 

今日に1日が大切なんですね 明日はあるかどうかわからない

ですから今日1日を切に一生懸命に生きましょう

 

大正11年仏具商を営む両親のもとに生まれました 

 

私の文学の源泉と言えば人形まわしなんです

なんかこの世の中にね 人生というものはね 

楽しいだけじゃなくてね

苦しいことがあるんだなとかね 悲しいことがあるんだなとかね

それから人を好きになる そういう男女の間に引き合うね

愛があるんだなってね そういうことをね 

覚えたのは人形からです 私は

 

結婚は見合いでしたからね だから初めて恋愛して 

恋愛っていうのはね ちょうどね 雷が落ちてくるみたいなもんでね 

もう防ぎようがないんですよ 気が付いたらもう打たれているんですよね 

家を出る名目としてね どうして出るのかって言われたときに

「男にほれて出ます」ってみっともないからね

「小説を書きたい」って言っちゃったんですよ

 

女子大生・曲愛玲(チィアイリン) 認められたのは35歳の時

昭和32年 新潮社同人雑誌賞受賞 文壇デビューを果たした

 

私がとにかく作家にならなければですね 

もうこれはマイナスのままだと思います

しかし私がね もし自分の志を貫いてですね

とにかく作家になれればですね 彼らも

許してくれるというふうに思っていました

 

続けて発表した「花芯」では大胆な性描写が批判にさらされます

 

5年間完全に干されました 筆を折ろうとは思わないですよ

このわからず屋と思っていましたから 今に見ろと思っていた

 

昭和38年「夏の終り」で女流文学賞受賞

 

われわれの働く女たちの道をね 切り開いてくれて人たち

まだ非常に世の中の因習的な壁の厚い時代にね

自分のはだしの足に血を流してね 爪から血を流して

その道を切り開いてくれた そういう女性たちに憧れますね

 

1962年には言い知れぬ不安から自殺も考えたとか…。

 

やっぱり自分の書いた小説がね 世界的名作のレベルに

達しないと嫌だと思っていた そりゃ自分の書いたもの見たらわかりますよ

もうそんな 何十年も書いていたら ああ この程度かと思ってね

口もきけない子供を捨てたしね ええ 悪くもない夫を裏切ったりですね

そういうことをしてまで小説を書いた それで手に入ったものが

「あっなんだ こんなもんか」っていうのでね 非常に空しかったです

 

昭和48年 得度 岩手県の中尊寺にて

出家は生きながら死ぬこと 

そのときはもうこれで 猛(作家としての)幕が引かれると思っていましたよ

だからどこも書かせてくれない それでもいいかって いうことを

自分にずいぶん問い詰めました だけどふたを開けてみたらね

何か よけい仕事が来るようになって いろんな…もっと仕事がね

発展しましたね だからやっぱりね 自分でね 途中で命を絶つとかね

何か自分を投げ出すということはね やはり傲慢なんですよ

やっぱりね 与えられた命はね もう死ななきゃならないときが

くるまでですね やっぱり精いっぱいに生きることがね 

これが人間の務めだと思いますね

 

70歳から6年がかりで書いた「源氏物語」現代語訳 

女性に焦点を当てた 新しい視点と読みやすい表現で200万部を超える

ベストセラーとなりました

 

世界中が認めている「源氏物語」をですね 

日本人は殆ど読んでいないんですよ こんな素晴らしい文化 

千年前にあったんだよと 日本はこんなに素晴らしい国だよっていうね

誇りを持ってもらいたかった 

 

天台寺(岩手)毎月開催された青空法話

みなさんですね この中にたくさんね 

愛する人に死に別れた方が今日いらっしゃいます

それはですね 亡くなった魂はですね その人を守るためですね

必ずその魂はですね この世に帰ってきてね 愛する人たちの…

一緒にいるんですよね

 

しかし88歳の時 腰椎を骨折 一時は歩けませんでした

 

平成23年 東日本大震災 東北に励ましに出かけて行った

見て木 木がほら 

もうね 泣きたいときはね 泣いた方がいいのよ 泣くのが当たり前

どんなにつらいことでもですね それをばねにして 生きるね

そういう力がね 人間にはあるんですね 

 

平成27年 安全保障法制に抗議するデモに参加

 

このままでは駄目だよ 日本は本当に怖いことになっているぞ

ということを申し上げて死にたいと思いました

いい戦争というのは絶対にありません 

 

「いのち」を執筆 最後まで作家であり続けました

 

生きているってことは情熱を燃え立たせてなければ

つまらないですね なまぬるい生き方をしたくない

書き尽くしていないですね やっぱり1つのものが

仕上がったらそのあとに何かまた湧いてきます

ペンを握って死にたいです

 

愛と自由を求める女性の魂を描き続けた瀬戸内寂聴

自分の足で立ち 常に前に進む姿勢を貫いた99年の生涯でした

 

思い煩うな くよくよするな 

過去のこともくよくよするな

未来のこともくよくよするな

今を切に生きてください

今を切に生きる

 

作家・僧侶 瀬戸内寂聴 1922-2021 

2025年12月23日火曜日

蔦文也&「コート」&「さんぽろりん」

(十八代目 中村 勘三郎を詠む)

俊寛の冬やり遂げた勘三郎

役やらせて貰いました冬の月

冬を笑む父の言いつけ守れまじ

入水禁止役になり切り冬の言い訳

周り見て己を俯瞰冬の霧

 

■あの人に会いたい 蔦文也2001(平成13)年 77歳没

試合じゃ そのつもりでやれや ただ練習のつもりでやるから あかんのじゃ

ピッチャーと真剣勝負するつもりでやらないと あかんのじゃ

1球で勝負が決まるんじゃけんな わかっとるか

うちの父親が普通科の徳島中学に入れたいと思っていたんですが

子どもが野球したいというなら子どもの意見を聞いてくれたのがよかった

そういう時に親が思い切って好きな道を歩ませてくれるということを

非常に今でも感謝している

徳島中学から同志社大学へ 学徒出陣

リーグ解散令(昭和18) 知覧飛行場へ送られた

東急フライヤーズの投手(26) 1年後解雇通達

徳島県池田町の高校で野球部の監督に(昭和26)

 

「山あいの町の子供たちに一度でいいから

大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ

蔦文也」

 

これが最初ですわ 監督になって退職するまでに1回くらい甲子園へ行ける

これだろうと思っていた 初め 無理に優勝することまで考えて

監督を引き受けたのではない 実際は

 

昭和49年 春 初出場 わずが11人の部員で準優勝 さわやかイレブン

野球は技術だけでなしに人数が少ないのがチームワークで

体が小さいのが根性であれば やれば 高校野球というのは

優勝までにはいかないがよい成績をあげられると教えられた

 

金属バットの登場で蔦監督の野球が大きく変わりました

 

力をつけるんじゃ なんで力をつけるかと言ったら

金属バットになって重いバットを使いよるだろだから

力をつけないと いかんのじゃ やまびこ打線の誕生

 

バッティングフォームは型には絶対入れたりしない

その子は控えに回すというような指導の方法もある

私はそういう指導はしない 人間というのは神様じゃないから

いいところもあるし 悪いところもある いいところを

先に伸ばしてやるのが大事 

 

昭和57年 夏 初優勝 昭和58年 春 夏春連覇

 

不安は多分にありました まあ なんぼで勝ったんか あれ?

わたしも試合の結果は覚えとらん 勝ったらええんです

 

野球ばっかしできたんではあかんのだぞ 勉強これも大事

赤点取るようなやつは練習させんからな そのつもりでやるように

 

控えの子にも気配り

体の割りに構えが大きすぎるよ 

下積みになっても その逆境に負けずに 3年間やった子と言うのは

野球を甲子園で優勝したというよりも むしろいい経験を得て

社会に出ることができるのかなという感じはしますね

 

平成4年監督を引退 ノックのバットが振れなくなったのが要因でした

これが重くなってからはいかんね 上手にさせてやろうと思って

ノックしたから そういうのがやっぱり 懐かしい

 

生徒一人一人のことを思って務めた40年の監督人生でした

 

試合は細かいことばっかりしていたら かえって生徒に

プレッシャーがかかる 練習の時に ち密なことやっているけど

こういう場合にはババーンと行けるなとー おおまかな 

拙速なところも必要になってくる 細かいことをいちいち言って

やりよったんでは 生徒もたまらんわ

 

高校野球監督 蔦文也 1923-2001

 

■夏井いつきのおウチde俳句

一分季語ウンチク「コート」

 

もう寒い時期になってきて全国の皆さんも そろそろコートを

着用されている頃合いではないかと思いますねぇ

実は普段から身に纏っているその「コート」も立派な冬の季語に

なっているわけです 元々季語としては和服の上に羽織る防寒具として

「コート」という言葉があったようなのですが 現在では

もう和服も着る機会も随分と少なくなり 日常的に目にする

「コート」全般を指す季語として理解してよいのではないかなぁと

思いますねぇ こうやって寒さを凌ぐための色々な物というのは

沢山冬の季語として歳時記に載っております 例えば「冬服」

といったり「セーター」なんていったりした場合も それぞれ

季語になるんですね 季語を使う時に「セーター」がいいのか

「コート」がいいのか それぞれ色々使い分ける詠み分けるのも

楽しい季節です

 

■夏井いつき俳句チャンネル

【第7回】楽しい日本語【さんぽろりん・延長戦】

さんぽろぴん酒田のしぐれ聴いてゐる   ローゼン千津

即身仏とさんぽろりんの違い冬   夏井いつき

山に雹さんぽろりんな鉢の罅   家藤正人

大榾火さんぽろりんも神管も   夏井いつき

竜宮へ参る夕焼のさんぽろりん   家藤正人

初冬の穴子、かすまき、さんぽろりん   ローゼン千津 

2025年12月22日月曜日

兼題「枯野」&テーマ「かたち」

(出アフリカ)

数千から八十億へ冬銀河

北颪(おろし)恐怖の記憶残す人

星冴ゆる不安感じぬ人のをり

危険予知備える人の鰤起し(ぶりおこし)

寒し夜や火星で住む日あと少し

 

NHK俳句 兼題「枯野」

選者:和田華凛 ゲスト:志村昌司(しょうじ) 司会 中川緑

年間テーマ「季語からみるDNA」

 

志村昌司氏は志村ふくみ(人間国宝 紬織)の孫

草木染をして手機(てばた)で織っているので

着物の風景からイメージしたタイトルをつける

色の和名を使って俳句を読むことが好き

格調高くなったり 名前からのイメージが膨らむ

 

兼題「枯野」は草の枯れ果てた野原 冬の季語

枯野の季語としての重要さは色を失った後の静けさ 寂しさ

公園の片隅の枯れ草は枯野とは言いません

広くてあまり人工物がないイメージ

 

枯野色 色のイメージが強い 茶系やグレー

植物の最後の色が枯野色のイメージ 志村

いろんな植物から茶やグレーは染まる

団栗(どんぐり) 夜叉五倍子(やしゃぶし) 冬青(そよご) 

百日紅(さるすべり) 白樫(しらがし)で染める

日本の伝統で「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)

という色がある 草木染をやっていると色は二度と出ない

同じ色は出ない 無限のグラデーションができる

團十郎茶 路考茶(ろごうちゃ) 銀鼠(ぎんねず) 深川鼠 志村

 

日本人は粋 四季があるから草木が枯れたり緑になったり

それで日本人の色に関する感性が敏感 和田

 

出ない色は植物に無いですけど 最後に行き着く色は「色なき色」

般若心経に中に「色即是空」命の移ろい 種から植物が育ってきて

青年期を過ぎて壮年になって晩年になって枯野に最後になっていく

色でもいろんな色が出てくるけど 最後 色なき色に戻ってくる

それが色即是空(に通じる) 祖母が100歳になって

色なき色の世界に気持ちがいっている 無常観 人生の本質にたどり着いた

枯野って命が尽きて 全てが無くなった死の世界ってイメージ

冬は春に向けての予兆の季節 次の命が胎動している というイメージも

枯野の中にある 必ずしも寂しいイメージだけではない

地面の上は枯野ですけど 地面の下は根があったり次の種があったり

次の生命を宿している そういう生命の循環を感じる意味では

冬は寂しいけれども 次の新しい季節にもなっている 繋がりがある

それが死と再生の循環 自然の摂理 志村

 

流転 和田

 

枯野の色も枯れて終わっていくとか 

寂しい色じゃないように見えてくる 中川

 

次の世代 次の命にどうバトンタッチするかが大事

枯野の時代に 次の春にどうバトンを渡すかが大事 志村

 

・名句鑑賞

度に病で夢は枯野をかけ廻る   松尾芭蕉辞世の句

 

夢と枯野の対比が凄く印象的 ただ野をかけ巡るだと印象が違う 志村

芭蕉にとって旅は自己の人生を深めるためのもの

感動を得ることで人生を豊かにしていく 今は病で旅に出られないけど

エネルギッシュな魂のまま今もかけ廻っている

病を治して旅に出ていこうという未来への希望 ふたつの意味に取れる 

野ではなく枯野というところに深いものを感じる 

詫び寂びの心が感じられる 和田

 

・特選三席 兼題「枯野」

一席 枯野より声なき声のにぎやかに   松山真弓

二席 書き足してみたき枯野の地図記号   工藤陽子

三席 枯野宿イートハーブを探す旅   貞森修(しゅう)

 

・特選句 兼題「枯野」

土偶まだ目覚めぬままの枯野かな   川口泰英

飛行機の巨大な腹の行く枯野   鈴木正也

縄電車枯野につくる無人駅   齋藤満月

太陽も印象派めく大枯野   矢作輝(あきら)

一対の星の真中の枯野かな   桑澤柊(しゅう)

みのりからいのりの色へ大枯野   山地千晶

(草木染は実り染めとも呼ばれている)

 

・志村昌司の一句

草木(そうぼく)の色を脱ぎ捨て枯野かな   志村昌司

草木というのは自然の摂理に従っている生き物

冬になると潔く色を脱ぎ捨てる 

自然の摂理に従って潔く生きている草木たち 志村

草木が主語になっている 擬人化して色を自ら脱ぎ捨てる

「色を」というのが説明的 草木の色を脱ぎ捨てるということが

この句の一番の主張 枯野の本位に近い 添削なし 和田

五・七・五で十七音しかないので いかに削ぎ落して説明的にならない

考えてるうちに分からなくなってきた 志村

 

自然との対話 心象風景を自然の色を通して表現する

自然と自分が一体となる 俳句も自然と人間が一体となったときに

出てきた言葉 志村

 

・はみだで!教室俳句

愛媛県宇和島市立明倫小学校 芳谷あゆみ先生

 

修学旅行での移動の様子

行き 秋高しスーツケースの音軽し

帰り バス窓に映る街灯(がいとう)流れ星 (金賞)

 

(俳句対決は)ものを見る力 鑑賞する力になると思う

 

俳句で輝く

~どの子も光原石だから

 

NHK短歌 テーマ「かたち」

選者:永田紅 ゲスト:佐藤卓 司会:尾崎世界観

年間テーマ「“理科のことば”で羽ばたく」

 

塚本邦雄

1950年代に前衛短歌運動を牽引 伝統的な五・七・五の枠を

意図的に崩したリズムや暗喩で思想を表現する革新的な作風を打ち出した

 

ルールを守りながら新しいルールを発見して遊んでいく

デザインの仕事と完全に重なる 直接に影響を受けた 佐藤貞子

 

まだ名前がない形を発掘して歌に詠むと 新しい感覚を得ることができる

「かたち」が詠み込まれた歌

数か月ピペットマンを持たぬ掌()にときどき握る形をさせぬ

永田紅

 

出産後に育児休暇中で実験ができない時に作った歌

 

・入選九首 テーマ「かたち」

自転車で日本一周したけれど分からなかった日本のかたちは

川村空也(ひろなり)

三席 私 努力って泡になったり結晶になったりもして近寄りがたい

髙山准

「以下同文」にされてしまった光たち筒のかたちで引き出しにある

里見脩一(しゅういち)

黄金比見た正しい上カルビ縮めるために網に乗せてく

さとうきいろ

ロマネスコ食べてるみたいにフラクタル知れば知るほどあなたに出会う

佐分利碧晴(へきせい)

一席 真四角のハンカチの角のクローバー刺繍のとこだけ涙を吸わない

全美

三角のてっぺんだけを詰め合わせ入院先の母へスイカを

水の眠り

二席 水通しした産着は風にふくらんでこれがまだ見ぬあなたのかたち

神守彩枝(さえ)

是非もなく取られた飛車の五角形その切っ先を突きつけらるる

原拓(たく)

 

・“理科のことば”ピックアップ

同年代結構増えて通過したM字型就業図のへこみ 熊谷香織

 

漢字がいっぱいある中にアルファベットが一つは言っているのが面白い 佐藤

 

・私の“理科のことば”

可塑性(かそせい) 外部から力が加わった時に元に戻らないという性格

クリエーターにとっては大切な性格 自分を持つ事にもなる

世の中のいろいろな課題を「間」を繋ぐことによって

スムーズにしたり解決していく 「間」に合わせて自分がどんどん

変わっていくべきものではないか 個性ともつながる

何かに没頭することで個性は自然に出てくる 佐藤

 

創作活動していると 人と違った目新しい表現しなきゃという

強迫観念が常にみんなを縛っちゃう 永田

 

デザインを目立たせようとすることが世の中では多い 実は奥にあるものと

繋いでいるわけなんですよね だからうまくつながると途中が見えなくなる 佐藤

 

レトリックにばかりこだわってそこに腐心すると やっぱり奥に届かない

作為が見え過ぎちゃう 永田

 

富山県美術館 屋上庭園「オノマトペの屋上」

「ふわふわドーム」遊具を作ってからオノマトペを付けるのではなく

遊具になりそうなオノマトペから遊具を考えるというアプローチを思いついた

「ひそひそ」「うとうと」「ぐるぐる」など…。 佐藤

 

感覚的に響き合うような素材になりますよね 佐藤

 

試験管のアルミの蓋をぶちまけてじゃん・ばるじゃんと洗う週末

永田紅

ジャン・バルジャンは「あゝ無常」「レ・ミゼラブル」の主人公の名前

 

・ことばのバトン

甘く焦げてく凍ったはずの血

ハイパーミサヲ(プロレスラー)

そっくりな猫と出会ってしまった日

仁尾智(さとる)(歌人)

 

猫が来るほめてほめてという顔で何か不穏なものを加えて

猫であく穴は猫でも埋まらないけど猫だけが入れるかたち

幸せは前借りでありその猫を看取ってやっと返済できる

 

短歌として生まれてきてくれるもの自体が

僕を楽にしてるイメージがありますね

 

その人は終生飼育がちゃんとできる しかも死んでしまって悲しめる

あなたすごくいい飼い主さんなんだから 

また猫と暮らしてみませんかっていう意図でつくった

誰かが猫を飼い始めるとその人とその猫が幸せになる 

2025年12月21日日曜日

スイッチインタビュー 佐野史郎&桜木紫乃

すっぴんにマスク施し冬の朝

息白し口を尖らせ肩すぼめ

冬の夢百まで生きて何とする

石積みて神山校の冬を勝つ

伝統を繋ぎ繋ぎて冬勝利

 

■スイッチインタビュー

佐野史郎 桜木紫乃(直木賞作家)

 

「父の人生劇場」

「長男なんて言う言葉に一生を振り回されて生きてるやつは気の毒なことだなあ」

その一行を書くために800枚を費やすんです もと取れないですね 桜木

正直に自分と向き合ってお父さんに向けて語りかけた言葉ですよね 佐野

 

桜木さんの表現はフィクションの中で“うそですよ”とと言ってるわけですが

そこは自然なわけじゃないですか 佐野

そう見えるように文章の芸ですよね 桜木

僕の仕事は芸でやることではなく 芸を見せてはだめ 

“演じていない”ができない 明後日の現場もカメラの前で

演じなきゃいけないわけですよ どうしたらよいですかね? 佐野

でも佐野さんなんだから その悩みもないと佐野史郎は

出来上がらないのであれば ずっと悩んでくださいという感じ 桜木

自分の中に蓄積したものを使って物語の中の人が私を使って

表現してくれている事なので 桜木

この家族背景ももちろん 家族環境とか家じまいとか前にしていることを

まるごと受け入れたうえで 佐野

自分に起こることは常に面白いような気がしています 自分にもし

強みがあるとしたら 5年6年デビューできなくてもやり続けること 桜木

時間がかかるのは当たり前のこと前だと思ってるから 今日書いたものが

あした評価されるなんてないですから 桜木

父がたぶん私のことを認めてくれるというか小説を書く人間なんだ

コイツは職人なんだと認めてくれた日を覚えていて

直木賞の授賞式だった 桜木

2013年大49回直木賞受賞 「ホテルローヤル」

もう自分の娘じゃないと思ったみたい それは母も同じだったと思います

あの日から一回も向こうから電話がかかってくることはない

親の電話で心が揺れ動いてはいけない 仕事に差し支えるからと 桜木

ものすごく心が通っているということじゃないですか 佐野

()のことをもしかしたら理解したいしできるかもしれない 桜木

 

猛男()は現在87歳 現在ラブホテルのあった場所で桜木の母と

二人で暮らしている ナレーション

 

母が認知症で私のこともよく覚えていないし5分前のことも全然わからない

昔苦労させたからって父がずっと面倒を見ているんです

「お前たちは嫁に行った人間なんだから俺たちのやることに口出さないでくれ」

好きに生きてきた男のセリフだなと 口を出さないで黙って見てるのが

最後の親孝行かなと 責任を取っているつもりなんだと思います

自分の落とし前をつけてる だから嫌いにはならないでね 私も 桜木

いいなあ 娘にそんなことを言われてみたい 佐野

嫌いじゃないですよ そんな人生もあることを教えてくれた1番近い人 桜木

 

「家族じまい」桜木紫乃著

 

「家族じまい」は“お終まい”ではない 最近たどりついたのが

”お片づけ“という言葉で 人それぞれ気持ちのいい形に

持っていくことだと思う 桜木

同感です 佐野

”お片づけ“という言葉に行きついてよかった 

生きやすくする 暮らしやすくするという点で 

”片づける“って身軽になってまた歩いていく

2025年12月20日土曜日

あの本、読みました?和田竜

寝ていたいずっとず~っと冬の朝

煙草手にスピード違反新参者

落ち着きを取り戻さぬか冬の暮

値を下げた甘くとろける白菜よ

冬星座何にもない日おめでとう

 

■あの本、読みました?大ヒット映画の原作・歴史小説特集「のぼうの城」和田竜の新作

和田竜 永井沙耶子 鈴木保奈美 山本倖千恵 林祐輔P

 

和田竜デビュー作 本屋大賞2(2009)「のぼうの城」

12年ぶりの最新作「最後の一色」

その人物をずっと追っていきたくなる

人物を好きなるように書く ということに気をつけている

 

「超高速!参勤交代」土橋章宏

城戸賞(日本映画の未来を担うシナリオライターを発掘・育成する脚本賞)

を受賞した人

 

「木挽町のあだ討ち」永井紗耶子

2026227日 劇場公開 柄本佑 渡辺謙出演

 

吉澤ほたる:芝居小屋の衣装係りで、女形としても舞台に立つ。

幼い頃、浅間山噴火で孤児となり、火葬場の労働者の米吉に救われ育てられる。

 

「木挽町のあだ討ち」の一文 永井紗耶子著/新潮文庫

私はこれまでの人生で、人のことを羨んだり哀れんだりしたことがついぞない。

それは端から手前が何にも持っちゃいなかったから。

欲しがるだけ空しいし、裏切られるのも辛いばかりだ。

でも、もしもっと豊かな家に生まれ落ちていたらって、

思い描いたことがないわけじゃない。

だから手前とまるで違う世界にいる武者や姫君が出てくる芝居を、

面白いって思うわけだからね。

しかしこうして綺麗な若衆の菊之助さんを見ているうちに、ああ、

何処に生まれ落ちたって苦しいことはあるんだなあって当たり前のことに

気づかされた。そういう意味で、人ってのは等しいもんさ。

「私を育てた隠亡の爺さんが言っていたよ。どんな奴でも、

いずれ焼かれて骨になるって。武士だからとか男だからって、

要らない気負いは捨てていい。どうせいずれは骨になるって思うと、

気が楽になることもある」

 

人物像と仇討ちで描く江戸時代の背景

戦国と江戸 武士の違い

儒教:家族や社会の秩序を大切にし礼儀と道徳を説いた古代中国の理念

儒教を学んでない時代と学んだ時代との違いがくっきりと表れている

 

和田竜が鈴木保奈美に伝えたかったこと…。

「畳の上で往生するのは虫がいいというものですよ」

この鈴木保奈美の台詞の表現がこの映画を浮揚させた

 

シナリオと小説の創作論 

映画監督を目指していた過去

 

「最後の一色」()」の一文 和田竜著/小学館刊

「一色五郎が来るぞ」康之が叫んだとき、

一色家の騎馬武者が左右に分かれ、例の魔物が再び姿を現した。

迫りくる一色五郎は、疾駆する馬上で手綱を口にくわえるや、

長い腕を腰の前で交差させた。異風にも太刀を左右に差している。

交差した両の手で左右の柄をつかむなり、頭上で大きく半円を

描きながら、ゆっくりと日本の太刀を抜いた。「二刀か」

(中略)

「えいやあっ」大喝とともに五郎が二刀を切り上げた。

まずは左手の太刀が騎馬武者の伸び切った両腕を断ち、

間髪入れず右手の太刀が鎧ごと胴を断った。この間、一瞬である。

五郎は斬り上げると同時に上体を立て直している。

下半身だけとなった敵の影武者とすれ違ったときには、

巨馬の背に五郎の瘦せた上体が直立していた。「見たか」

五郎は馬も止めずに豪語した。次の瞬間はもう、槍衾(やりぶすま)を敷いた

長岡家の騎馬武者たちの間合いに入らんとしている。

 

執筆のきっかけ 海音寺潮五郎「一色崩れ」

登場人物の魅力

 

長岡(細川)忠興:父である藤孝とともに丹後の支配を目指し、一色五郎と戦う猛将

稲富伊賀:一色家の家臣で鉄砲の名手

 

史実から創作する物語

 

「では何ゆえ」忠興は問いを重ねる。すると藤孝は、

「あの男の持つ、計り知れぬ器量がゆえじゃ」そうぽつりと答えた。

瞬間、忠興は総身にどっと汗をかいた。

それと同時に、何か得体の知れぬ恐怖に襲われている。

「器量―」と、父の答えを繰り返した。「左様、器量じゃ」

藤孝は暗くうなずき、断言する。

「その尋常ならぬ器量の大きさゆえ、長岡家は一色五郎に滅ぼされる」

 

人がもつ「器量」とは…

 

伊也…忠興の妹

 

映画化は?全くないとか…。

 

最新作「秘仏の扉」永井沙耶子著/文藝春秋

200年閉ざされていた法隆寺夢殿・救世観音像の扉が激動の明治開国期に、

フェノロサや岡倉天心によって開かれる。仏罰が下ると言われた秘仏開帳に

関わった者たちの歴史群像劇。

2025年12月19日金曜日

白洲次郎&正子

篠田桃紅を詠む

冬銀河玄(げん)は天地を想像す

偽りなく生きて来ました冬の暮

霜柱まがいものではないつもり

その日まで成し遂げようと冬を咲く

春を待ち百七歳を閉じ行かん

 

■白洲次郎&正子

・旧白洲邸武相荘 

無駄のある家

綿密な計画を立てて設計してみたところで、

住んでみれば何かと不自由なことが出てくる。

さりとてあまり便利にぬけめなく作りすぎても、

人間が建築に左右されることになり、

生まれつきだらしない私は、

そういう窮屈な生活が嫌いなのである。

白洲正子

 

https://www.youtube.com/watch?v=7uYhx99pSF8 より

 

・自分の信念を貫くということ - 白洲次郎|名言|格言|哲学|人生の知恵|

https://www.youtube.com/watch?v=QSZN27KCr1I

 

あなたには、何があっても曲げられない信念がありますか❓

人から嫌われても、損をしても、それでも貫き通したいと思える「何か」が…

現代社会では、空気を読むことが美徳とされ、

波風を立てないことが賢明とされています

でも、それって本当に正しいのでしょうか

今から80年ほど前、戦後の混乱期の日本にまるで風のように現れて、

自分の信念を貫き通した一人の男性がいました。

その人の名前は、白洲次郎

彼はこんな言葉を残しています

「我々は戦争に負けたが、奴隷になったのではない」

占領下の日本で、アメリカ軍に対してこんなことを言える

日本人が、果たして他にいたでしょうか

今日は、白洲次郎の生き方を通して、信念とは何か、そして、

それを貫くということの美しさについて、

一緒に考えていきたいと思います

あなたも、自分だけの信念を見つけたくなっているはずです

1章:プリンシプルという生き方

白洲次郎が最も大切にしていた言葉 それは「プリンシプル」でした

彼はこう言っています 

「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか」

この言葉に、彼の人となりが表れているように思います

西洋の概念でありながら、日本語では完全には表現しきれていない何か

それほど深い意味を持つ言葉だと、彼は感じていたのでしょう

プリンシプルとは、単なるルールや決まりごとではありません

それは、自分の心の奥底にある、譲れない価値観のこと

どんな状況になっても、それだけは曲げてはいけないと思える

魂の核となる部分なのです

彼にとって、それは何だったのでしょう

彼が生涯をかけて貫いたプリンシプルとは…

それは「人として正しいことをする」という、

とてもシンプルで、でもとても難しいことでした

彼はこのように語っています 「僕は人からアカデミックな、

プリミティブな正義感をふりまわされるのは困る、とよくいわれる。

しかし僕にはそれが尊いものだと思っている。

他人には幼稚なものかもしれんが、これだけは死ぬまで捨てない」

周りの人たちからは「幼稚」「理想論」と言われても、

彼は自分の正義感を手放しませんでした

現代を生きる私たちはどうでしょうか 「大人になる」ということを、

理想を諦めることだと勘違いしていませんか

 

2章:従順ならざる唯一の日本人

1945年、日本は戦争に敗れ、

アメリカを中心とした連合軍に占領されました。

多くの日本人が、占領軍に対して委縮し、言われるがままに従っていた時代

そんな中で、白洲次郎だけは違っていました 彼は占領軍のGHQから、

「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれていたそうです

これは、一種の恐れと敬意が込められた呼び方でした

なぜなら、どんな圧力をかけても、彼だけは決して屈服しなかったからです

ある時、アメリカ軍の高官が彼の英語を褒めて、

「君は日本人なのに英語が上手だね」と言いました

普通なら「ありがとうございます」と答えるところですが、彼は違いました

「あなたの英語も、もっと練習したら上達しますよ」

なんと、逆に相手の英語力を評価してみせたのです

これは、単なる皮肉ではありません 「私はあなたと対等だ」

というメッセージだったのです 戦争に負けた国の国民として

卑屈になること拒否した それが彼の信念でした

「我々は戦争に負けたが、奴隷になったのではない」

この言葉の重みを、私たちは理解できるでしょうか

 

3章:嫌われる勇気

白洲次郎は、こんなことも言っています

「人に好かれようと思って仕事をするな。むしろ、半分の人には

嫌われるように、積極的に努力しないと良い仕事は出来ない」

これは、現代の私たちにとって、とても耳の痛い言葉かもしれません

SNSの評価を気にして、みんなに好かれるような投稿ばかりしていませんか

職場でも、学校でも、誰からも嫌われないように、当たり障りのないことしか

言わなくなっていませんか でも、彼は真逆のことを言っています

「半分の人に嫌われるくらいでちょうどいい」なぜなら、

本当の価値のある仕事、本当に正しいことをしようとすれば、

必ず反対する人が出てくるからです 全員に好かれるということは、

誰の心も動かしていないということ 誰の現状も変えていないと

いうことなのです 彼はこうも言います

「リーダーたるべき人間は好かれたら終わり。

七割の人に煙たがられなければ本物ではない」

これほど明確に「嫌われる勇気」について語った人を、私は知りません

現代社会では、みんなで仲良く、みんなで同じ方向を向くことが

美しいとされています でも、それって本当に正しいのでしょうか

時には誰かが、みんなと違う意見を言わなければ、社会は前に

進まないのではないでしょうか 

 

4章:正義感という名の武器

白洲次郎が持っていたもの それは、彼自身が「幼稚」と言った

正義感でした でも、この正義感こそが、彼の最大の武器だったのです

戦後の混乱期、多くの人が自分の利益ばかりを考えていました

どうすれば得をするか、どうすれば損をしないか 

そんなことばかり考えていた時代 そんな中で、彼だけは違いました

「何が正しいか」を常に考えていたのです 貿易庁長官という要職に

就いた時も、彼は汚職の根絶に力を注ぎました 「白洲三百人力」と

呼ばれるほどの辣腕ぶりで、腐敗した組織を改革していきました

でも、これは決して楽な道ではありません 既得権益を持つ人たちからは、

激しい反発を受けました 陰口を叩かれ、足を引っ張られ、

時には命の危険すら感じることもあったでしょう それでも、

彼は自分の正義感を曲げませんでした 「自分の良心はきれいだと

思っているから、人が何言おうと平気なんだ」この言葉に、彼の強さの

秘密があります 他人の評価ではなく、自分の良心に従って生きる

それが、彼の信念だったのです 現代の私たちはどうでしょうか

自分の良心に、胸を張れるような生き方をしているでしょうか

 

5章:孤独という代償

信念を貫くということは時として孤独を意味します

白洲次郎も、その孤独を味わった一人でした。

彼は晩年、こんなことを語っています

「占領下の日本で、GHQに抵抗らしい抵抗をした日本人がいたとすれば、

ただ二人。一人は吉田茂であり、もう一人はこのぼくだ。吉田さんは、

そのことが国民の人気を得るところとなりずっと表街道を歩いたが、

もう一人のぼくは別に国民から認められることもなく、こうして

安隠な生活を送っている」これは、彼の心の奥底にあった寂しさを

表した言葉かもしれません 正しいことをしているという確信はある

でも、それが周りの人たちに理解されない 評価されない、

感謝されない そんな孤独感を、彼は感じていたのかもしれません

でも、彼は続けてこう言います 「けれども一人くらいはこういう

人間がいてもいいと思い、別にそのことで不平不満を感じた事もないし、

いまさら感ずる年でもないと思っている」これが本当の強さなのでしょう

理解されなくても、評価されなくても、自分が正しいと信じる道を

歩き続ける 現代社会では、承認欲求という言葉がよく使われます

誰かに認められたい、評価されたい そんな気持ちは、人間として

自然なことです でも、それに振り回されてしまっては、本当に

大切なものを見失ってしまいます 白洲次郎のように、他人の評価に

左右されない強い心 それを育てることができれば、どんな困難にも

立ち向かえるのではないでしょうか 

 

6章:死ぬまで捨てないもの

白洲次郎は、83歳でこの世を去りました

彼が残した遺言は、たった二行「葬式無用、戒名不要」

最後の最後まで、自分のスタイルを貫いたのです

形式や習慣に縛られることなく、自分らしく生き、自分らしく逝く

それが彼の美学でした そして彼が生涯をかけて追及したプリンシプル

それは、決して時代遅れのものではありません むしろ今の時代

だからこそ、私たちが学ぶべきものがあるのではないでしょうか

「これだけは死ぬまで捨てない」彼がそういった正義感 それは

どんなに小さなものでも構いません 困っている人がいたら

手を差し伸べる 嘘をつかない 約束は守る 弱い者いじめは許さない

そんな当たり前のことかもしれません でもその当たり前のことを、

どんな状況でも貫き通せるかどうか それが、その人の品格を決めるのです

彼はこんなことも言っています 「長く大事に持っているものは、

人に貰ったものより、自分自身の苦心の結晶に限る」他人から

与えられた価値観ではなく、自分で考え抜いて見つけた信念こそが、

本当に価値のあるものなのです それでは今日の話をまとめていきます

 

エンディング

白洲次郎の生き方を通して、信念を持つことの意味について考えてきました

彼の言葉をもう一度、心に刻んでみてください

「僕の幼稚な正義感にさわるものは、みんなフッとばしてしまう」

何て力強い言葉でしょうか 現代社会は複雑で、矛盾に満ちています

正解のない問題が山積みで、

どう生きればいいのか わからなくなることもあります

でも、そんな時だからこそ、自分だけの信念が必要なのです

それは人生の羅針盤となり、迷った時の道しるべとなってくれます

もしかしたらその信念のために、誰かに嫌われることもあるかもしれません

孤独を感じることもあるかもしれません でも、それでいいのです

いえ、それがいいのです なぜなら、そうやって貫いた信念こそが、

あなたという人間の価値を決めるからです 

白洲次郎が愛した言葉、プリンシプル

プリンシプルを持って生きることは、決して簡単なことではありません

でも、その中にこそ、本当に意味での自由があるのです

あなたはどんなプリンシプルを持って生きていますか?

今日という日を、自分らしく、誇り高く歩んでいけますように…。