群れ成して草の中からコウヨウチョウ
草の種食べて繁殖コウヨウチョウ
乾季激減雨季に増殖コウヨウチョウ
コウヨウチョウ百年ハウス造りをり
コウヨウチョウへ軋轢持つジンバブエ
■墨いろに心を託して 篠田桃紅
抽象表現主義 抽象画家 篠田桃紅
篠田桃紅女史の言葉
いつも裏切られているんですよ それは自分自身が自分が裏切るのと同じよ
人間はいつもうぬぼれちゃってるから自分はもうこれでいいと思い込んでいる
「あんたのは まだ この程度だよ」と 私は言いますよ 墨は
裏切るっていうより戒める いい気になるなと
老子は「墨は玄の色」「玄とは宇宙や人生の根源」
「墨は100%黒にはならない 明るさを一点残す」篠田桃紅女史の悟り
「人生は未完である」
生き方の自由 自らに由る=自分に頼る
篠田桃紅女史の言葉
自分に頼るのが自由です
自分に頼る人生を選択した
自由になると捉われがなくなるから
自分に客観的に見る視点が自ずと身に着く
自分を客観視するには自由でないといけない
人間は歳月を重ねると老いて
身体の機能が低下する一方だと思っていた
人間は老いるにつれて目の高さが高くなり
過去と未来を俯瞰するようになる
老いると記憶力は弱まります
しかし思考力は熟成されていきます
人生をものにする
■こころの時代 こう生きたどう生きる 山折哲雄 現在を問う
あのね もう今 93歳になりました 明け方2時から3時 目が覚める
頭がスーッとして本当の夜明けの静謐の時間が来る
これがいちばん頭が冴えるんですよ 冴える中でやってるのは何か
「妄想」ですよ いろんな「妄想」が出てくる 真か偽かわからない
「妄想」っていうのは
専念寺 山折哲雄 実家
11歳年下の弟 時信氏が現在の住職
親鸞ノート 服部之総著
服部之総(しそう)1901-1956 歴史学者 哲学者
呪はれたる宗門の子 と記している
私にとっては親鸞は信仰の対象にはなりえない 山折
山折時信
兄貴っていうよりも親代わりみたいなもんだったですね
学校はいる時だったかな「尊敬している人なんて書いたらいい?」
って言ったら 「そう言われたら 親鸞聖人って書け」って
言われたんですよ 一番危なげねえのは「両親だ」って
書けばいいのに 父親じゃなくて「親鸞聖人って書け」って
いうことを言われた覚えがありました(兄は)大学の時なんか
休みで戻ってくるわけです そうしてサンスクリット語
ここの部屋で勉強してるんですよ
親鸞1173-1262
親鸞筆「教行信証」顕浄土真実教行証文類
和讃 人々と仏の教えを讃嘆しようと親鸞が詠んだ歌
自然法爾 90歳になった親鸞の発見でもあった
宗教とは魔物だ 山折
無常
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 平安物語
宮沢賢治「雨ニモマケズ」手帳
Jesusの人生30年 青春の宗教 老が抜けている
仏陀の人生80年 変化する顔 インド人の根幹をなす四住期(しじゅうき)
四住期 とは 学生期 家住期 林住期 遊行期
サヌヤーシン遊行者
宗教と言う言葉はなかった religion
空海が遺そうとした言葉は初心 最澄は道心 法然・親鸞は信心・深心
道元は身心脱落 日蓮は観心
楕円構造 宗教的権威(天皇)と政治的権力
小国寡民「小さな国土に少数の民」老子が理想とした国家像
冊封体制 中国と周辺諸国との主従体制
親鸞「愚禿悲歎述懐」山折哲雄筆
浄土真宗に帰すれども 真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて 清浄の心もさらになし
非僧非俗
松尾芭蕉 1644-1694
僧に似て塵有 俗ににゝて髪なし
僧侶に似て俗塵があり 俗人に似て剃髪の身
良寛 1758-1831
俗にあらず 沙門にあらず
俗人ではなく 僧侶でもない
世間虚仮 唯仏是真
親鸞の一番大切にした言葉 山折哲雄氏も…。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉辞世句