冬陽浴び今か今かと夢の中
肩回し首を回して寒き朝
冬陽射し待ちくたびれて大欠伸(あくび)
冬の夜や鍋を囲みて寒を楽
鍋に風呂大活躍の柚子の香
■あの人に会いたい 鈴木修(スズキ元会長)
2024(令和6)年 94歳没
自らを中小企業の親父と呼び、現場主義を貫きました。
モノづくりというのは僕は文化だと思っている
その文化を安いからといって中国に持って行ったのでは
日本のモノづくりはどうなるかと文化も無くなっちゃう
そこであまのじゃくぶりを発揮してね 日本で何とか
モノづくりが競争できないかと
1953年中央大学法学部を卒業
1958年スズキ自動車工業(現・スズキ)に入社 二代目社長の娘婿として入社
社長に申し出ましてね「経営企画室のやっていることと
現場のやっていることは全然違っている」「こんなことじゃ駄目だからもう一度
僕を現場に行かせてくれ」と言って 僕は現場へ行った
「あんな生意気なやつは工場へでもぶち込め」ってわけで
だから「こんちくしょう!」と思ったから1割残して2臆7,000万円で作ったよ
この経験がモノづくりの原点となった
それがやっぱりね 油のにおいをかぐのが好きになった基本だろうね
そのときの現場でやったのが今非常にプラスになっていると
1978(昭和53)年 社長に就任
1979年 軽自動車「アルト」を発売
47万円という他社より大幅に安い価格で販売し大ヒットをとなる
やはり軽自動車なり軽自動車が小型(車)と同じような装備をして
ずっとやってきた それが軽自動車が落ち込んできた原因である
いろんなアクセサリーを付け過ぎていた そういうことで単純な
シンプルなクルマをつくった これが価格が比較的廉価にできたと
だから文字どおり皆さんの下駄に使っていただくと
こういう考えでございます
軽量化することで燃費の向上
1981(昭和56)年 ゼネラルモータース(GM)・いすゞ自動車と業務提携
アメリカ市場に進出
小さいことがただ日本だけで通用するんじゃなしに 世界でね
世界で通用すると これが私の非常に大きな自信にもなりましたね
1983年 インドに進出 四輪車の生産開始
ハッと考えたのは 自動車を作ってない国に行けば
ナンバーワンになれる 簡単じゃないかと
みんなが先進国へというときに 私どもは小さいクルマだから
発展途上国へ出たと そういう点が 結局 実ったという
事だと思うんですね
他社に先駆け ハンガリーに進出 ベトナムなどで現地生産を始める
スズキを世界的企業に押し上げます
その市場 その国に合ったようなクルマづくりを目指すと
試行錯誤を繰り返しながら そのうちにですね その国の最も
ふさわしいクルマというのはあるはずだと
即時やらないと 今の型がちょっと高くなる 型が高くたって
これが 無くなるだけコストダウンになる 20円だけれども
8,000台つくるから 大きいね
1993年 ワゴンR発売 RJCニューカー・オブ・ザ・イヤー受賞
コストダウンというのは 安かろう悪かろうじゃ駄目なのよね
安くなって良くならなきゃ やはり1円単位でコストを下げていく
材料を変えていく 知恵を出していくということは 今あるものを
どうするかということよりも 今あるものを全面的に否定しちゃってね
そして何かを生み出す方法がないか ということでしょうね
2008(平成20)年 GMとスズキ 提携を解消
2009年 フォルクスワーゲンと資本提携
生き残りをかけて戦っていくために どうしたらいいか スズキの良さと
マイナスの面と両方をですね なんとかカバーしなくちゃいかんと
いうことで 私も今回の決意をした
2019年 トヨタ自動車と資本提携
クルマの電動化の道筋を立てた
私どものような中小企業は裾野が広いにも関わらず
全部 研究開発は不可能 協力を頂かなければ スズキは成り立たない
我々はいくつになっても どんなにポストが上がっても 油のにおいをかぎ
汗のにおいをかぎ そして現場の機械に接しながら 現場を歩いて
回るということでしょうね それがモノづくりの基本じゃないでしょうか
人間はこれで満足だといったら 進歩しない 進歩というのは
毎日毎日考えていく 毎日毎日見ていく それの繰り返しで
いい知恵が出てくる だから面白い 人生というのは
これでおしまいっていったら 人間 全然面白くないじゃない
スズキ元会長 鈴木修 1930-2024
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