2026年2月12日木曜日

菜の花忌 司馬遼太郎の名言 

忘れえぬ思いを生きる菜の花忌

筍やわずかに土を盛り上げん

筍や鍬を持つ手に力込め

春の霜筍掘りの始まらん

陶石を継ぐ人おらず春の雪

 

■司馬遼太郎の名言

人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ。

 

人間にとって、その人生は作品である。

 

勇気と決断と、行動力さえもちあわせておれば、

あとのことは天に任せればよい。

 

君たちはつねに晴れあがった空のように、

たかだかとした心を持たねばならない。

同時に、ずっしりとたくましい足どりで、

大地をふみしめつつ歩かねばならない。

 

人間は、自然によって生かされてきた。

古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。

このことは、少しも誤っていないのである。

 

人間は決して、孤立して生きられるようには、作られていない。

 

何でも思い切ってやってみることですよ。

どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、

骨となって一生を終えるのだから。

 

通常、人間は議論に負けても自分の所論や生き方は変えぬ生きものだし、

負けたあと持つのは負けた恨みだけである。

 

ほとんどの人は、永く生きたようなつもりでいながら、

じつは語るに足るほどの体験は数件ほどもない。

短編小説として搾りとれば三遍もできあがらない。

 

古来、英雄豪傑とは、老獪と純情の使いわけのうまい男をいうのだ。

 

人間はもっとも崇高なものに騙されないと

幸せになれないという厄介な生きものではないか。

 

人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。

芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。

なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、

そのうえで芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ。

 

心にコドモがいなくなっているオトナがたくさんいますが、

それはもう、話すにも値しない人間のヒモノですね。

 

人間、事を成すか成さぬかだけを考えておればよい。

 

わずかに他人より優れているというだけの知恵や知識が、

この時勢に何になるか。そういう頼りにならぬものに

うぬぼれるだけで、それだけで歴然たる敗北者だ。

 

人の世に、道は一つということはない。道は百も千も万もある。

 

自分というものに学校というものは一切存在理由がなかった。

自分にとって、図書館と古本屋さんさえあれば、それで十分であった。

 

心を変えろ、心を。日本を背負う気になってみろ。

その気になって背負えば、日本などは軽いものだ。

いやそれがむしろ悲しい。病み呆けた老婆よりも軽い。

 

人間に本来、上下はない。浮世の位階というのは泰平の世の飾りものである。

天下が乱れてくれば、ぺこぺこ剥げるものだ

 

人間というものは、いかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならん。

 

基準を学問という。基準のない人間は、人から信用されない。

美でもない。美でもなければ人から敬愛されない。

 

参照:https://soul-brighten.com/shiba-ryotarou/

 

私感

今日は司馬遼太郎先生が亡くなって三十年。

生前、司馬遼太郎先生とお食事をともにした事が…。

司馬遼太郎先生とは存じ上げず、

人生最大の失態を冒してしまいました。

せっかく瀬戸内美八女史が昼食をご一緒する機会を

与えてくださったのに、一言も喋らず…。

遅まきながら、失礼致しました。謝…。

2026年2月11日水曜日

あの本、読みました? 宮島未奈

春の空洗濯物を巻き添えに

春の鮭髪真っ直ぐにたおやかに

黒北風(くろきた)や巧妙なスパム出現

しなやかに且つ雅やか春の雪

春の雪地を抗いて舞い上がる

 

■あの本、読みました?

200万部越え!成瀬シリーズ特集~著者・宮島未奈の創作ウラ話

 

宮島未奈 鈴木保奈美 山本倖千恵 林祐輔P

羽毛田譲治 水本佑史 間室道子

 

成天「成瀬は天下を取りにいく」の一文 宮島未奈緒/新潮文庫刊

「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」

成信「成瀬は信じた道をいく」

成駆「成瀬は都を駆け抜ける」

シリーズ累計発刊部数210万部突破

シリーズついに完結!著者・宮島未奈が語った成瀬の魅力

 

完結作「成駆」について

 

「成瀬は都を駆け抜ける」の一文 宮島未奈緒/新潮社

「もしよかったら、私が所属する達磨研究会に遊びにきませんか」

「達磨研究会?」坪井氏が眉をひそめた。

そうなるだろうと想像したとおりである。

もっと女性受けするネーミングだったら良かったのだが、

仮にネーミングが良くても活動内容があれでは詐欺になってしまう。

「達磨の研究というと、

目の描き入れ方や転がりやすさを研究するのか?」

成瀬氏にまじまじと聞かれたら恥ずかしくなってきた。

「そ、そうではなくてですね、京大小説…というか、現代小説における

京都大学の表象について語る?などして、親睦を深める会です」

(中略)

「ちなみに、達磨というのは森見登美彦氏の作品に登場するアイテムから

取っています。お二人は森見氏の小説を読んだことがありますか?」

「兄弟のことが書いてあるって聞いて、高校の図書室で借りて

読んだことあるけど…成瀬は?」

「私は読んだことがない。どんな小説なんだ?」

「あっ、それならこれを貸します」

私は鞄から『夜は短し歩けよ乙女』の文庫本を取り出した。

久しぶりに読み返そうと思って持ち歩いていたのだ。

「ありがとう。達磨研究会の例会はいつだ?」

「来週の火曜日の十八時過ぎから、白川今出川の会長宅でやります」

「それまでに読んでおこう」「行くんだ」坪井氏がつぶやくように言う。

成瀬氏は黒髪の乙女に対してどのような感想を持つのだろう。

私は二人と連絡先を交換し、

期待と緊張が入り混じった気持ちでその場を離れた。

 

森見登美彦さんへの思い リスペクトを込めて描いた

お互いの扉を開け合っている

 

解説 森見登美彦

面白い小説というものは一行目から面白い。

―お前は何と言っているんだ?

と、読者に思わせることができれば「勝ち」である。

そもそも読者というものは小説を読むのを面倒くさいと思っている

(少なくとも私は面倒くさい)。だからこそ、

作者は気合いで勝たねばならない。一行目は生きるか死ぬかの

真剣勝負なのである。「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」

一行目の勝負に勝ち、本作は天下を取りに行く。

とはいえ、さすがに変ではある。多くの読者は西武大津店なんて

知らないだろう。私だって浜大津アーカスしか

 

三宅香帆 宮島未奈

京大への「愛」と「憎」

京大生の成瀬あかりについて

 

成瀬あかりと京都 普段使いの京都を書きたい 宮島未奈

京都を極める 京都に対するメッセージ

成瀬あかりの両親像

 

「成瀬は都を駆け抜ける」の一文 宮島未奈緒/新潮社

美貴子の頭に嫌な記憶が蘇る。

二学期の終わりに行われた三者面談のことだ。

ストーブが入っていてもまだ寒い教室で

五十歳ぐらいの男性教師がにやにやしながら言葉を並べる。

「あかりさんは協調性がなさすぎます」

「夏休みの宿題、全部やることが目的になっていませんか」

「運動会で優勝しても一人だけ喜んでいませんでした」

あかりの言動に苦言を呈されることは過去にもあった。

いつも美貴子は適当にかわしてきたが、

その担任の指摘はあまりに陰湿だった。

「お母さんからもちゃんと言ってあげてくださいよ」

ひとつひとつに反論したいところだが、相手が考えを改めるとは思えない。

美貴子はただ一言、ぽつりと言った。「そういう子なので」

教室に沈黙が流れる。担任は美貴子の言葉の続きを

待っているようだったが、これ以上何も言いようがない。

隣に座るあかりも無表情のまま担任の顔を見ている。

「わかりました」担任はわざとらしく息を吐き、面談を締めくくった。

思い出したらムカムカしてきた。あのときは諦めてしまったけれど、

もっとあかりの味方をしてあげられたらよかった。

 

成瀬あかりの両親像

成瀬あかりの成長

 

「成瀬は都を駆け抜ける」の一文 宮島未奈緒/新潮社

「しかし、坪井はまだ失恋から立ち直れていないのだと推測できる。

わたしだって大事な人間と離れ離れになるつらさは知っているからな」

 

「成瀬は都を駆け抜ける」の一文 宮島未奈緒/新潮社

成瀬さんは手紙を受け取り、封を開けた。

便せんにはかぼちゃのイラストがごろごろ並んでいる。

「親愛なるあなたへ」「声出さなくていいから!」書き出しから

恥ずかしすぎて強めに突っ込んでしまったが、成瀬さんは

「黙読でいいんだな」と納得した様子で便せんに目を落とした。

「今年の春に京都に来たけれど、あまり成瀬さんと会えずに残念でした」

「成瀬さんがお忙しいのはわかりますが、

もうちょっと会ってお話ししたかったです」

「僕の気持ちはあの日からずっと変わっていません」

「成瀬さんは僕のことをどう思っていますか」

俺の記憶が正しければ、そんなことを書いていた。

成瀬さんは二枚目の手紙を読み終えて、顔をあげた。

「西浦は、わたしにとって大切な存在だ」

俺はへなへなとしゃがみこんでしまった。

目の奥が熱くなったのを感じて、あわてて両手で顔を覆う。

「よかった…」涙を拭いながら手をはずすと、

成瀬さんも目線を合わせてくれていた。

身をかがめて向かい合う俺たちを通行人がじろじろ見ているけれど、

あの手紙を読まれた俺に恥ずかしいものなどなかった。

「西浦がここまで私に会いたがっていたなんて知らなかった。

今から三十分ぐらい鴨川沿いを歩かないか」

 

「成瀬は都を駆け抜ける」の一文 宮島未奈緒/新潮社

いつものおれならラーメンもごはんも一瞬で飲み込んでしまうけれど、

成瀬さんと同じようにゆっくり食べた。

ごはんの自然の甘みが口の中で溶けていくようだった。

 

西川貴教

滋賀県への愛について

宮島さんの印象

シリーズ完結について

宮島さんへのメッセージ

 

宮島未奈

西川貴教氏は未来の県知事と呼ばれているとか…。

勿論、滋賀県は大津だけではない…。

 

ラストは琵琶湖へ

琵琶湖湖水の湖西線

京都府の山科駅から滋賀県の琵琶湖西岸を経由し近江塩津駅(長浜市)を結ぶ、

JR西日本の鉄道路線(営業キロ74.1km)

 

琵琶湖疎水

明治期に琵琶湖と京都を結んだ運河事業 36びわ湖疎水船が運航

 

「成瀬は都を駆け抜ける」の一文 宮島未奈緒/新潮社

吉嶺さんからもたらされる成瀬情報を浴びるうち、自分が大津の空気に

チューニングされていくのがわかる。このまちには成瀬がいるのだ。

 

故郷は場所じゃなく人。間室道子

 

作家デビューと今後 宮島未奈

私は成瀬を書くのは楽しくない

楽しかったら四巻も五巻も書きます

 

宮島さんには読者と一緒に駆け抜いて欲しいと思っています。間室道子

 

間室道子さま❣最高でした。

やはり読み込んでいらっしゃる方のコメントの説得力は違います。

一言一言聞き惚れてしまいました。

  

2026年2月10日火曜日

村雨さんと日本庭園たしなみ巡り 二条城

春北風(はるきた)や法の隙間を悪用す

山笑ふ余白を持った生き方よ

永き日や経年美化の作り上ぐ

春の犬カメラ向けると愛想なし

熱き飯しょいのみ載せた春の朝

 

■村雨さんと日本庭園たしなみ巡り 二条城

庭師 俳優 村雨辰剛

世界遺産 元離宮二条城

❝江戸幕府の始まりと終わりの地❞ 

徳川将軍家の創意工夫が詰まった庭園

徳川家の思惑と庭師の計算

蘇鉄の冬化粧

京都市中京区 総面積東京ドーム約6個分

国宝や重要文化財が存在 全域世界文化遺産

 

元離宮二条城事務所 文化財保護技師主任 今江秀史

 

二条城は徳川将軍家の京都の宿泊所

朝廷公家大名に徳川の権威を見せつけるために造られた

❝江戸時代を象徴する場所❞

二の丸御殿 庭園 本丸御殿 庭園 清流園

二の丸庭園 特別名勝

唐門 龍 虎 鶴 権威を見せる豪華さ

二の丸御殿 国宝 国内の城郭に残る唯一の御殿群

 

御殿群とは六つの建物が連なってできていた

「私」と「公」 公共とプライベートが分かれている

入口に近い遠侍(とおざむらい) 二つ目が式台 三つめが大広間

四つ目が蘇鉄の間 五つ目が黒書院 六つ目が白書院(寝室と居間)

部屋によってどんな庭が必要か意識して造られている

いる場所によって庭の角度 作り方が変わってくる

 

書院造庭園 見る角度によって景色と意味が違う

石の見え方がガラッと変わる場所へ

二代将軍・秀忠と三代将軍・家光の時に後水尾天皇を二条城に招待

行幸御殿 1626年寛永行幸 五日間滞在 江戸時代最大級のイベント

 

たしなみポイント 

石のすえ方で天皇への敬意を示す

後水尾天皇が行幸御殿から眺めた風景 石が印象的

石の面が天皇に向いている 石理=石の並び方や形

天皇にひれ伏している 石が人に見えてくる

 

能舞台

行幸御殿からの景色を際立たせている 主役と脇役

 

たしなみポイント

角度によって主役の石が変わる

庭師のセンスに関わってくる

石のすえ方で見え方が決まる 緻密な計算

「これが徳川幕府の文化力だ!」

当時の庭師は徳川家直々に仕事 間違えたら首が飛ぶ

 

大広間 将軍と大名や公家が対面する場所

対面所 公家や武将たちが将軍と対面 格付けが重要

廊下を歩いてきながら見る庭 公家や大名が見た景色

 

滝 別世界=将軍に近づいてきた

庭に向かっていく目線 目線を誘導 

「自分たちの文化力はどうだ!」

対面所からが一番立派な見栄えの庭

 

たしなみポイント 

「大広間」の前が一番立派に見える視点場

 

黒書院 将軍家と近しい人だけが入れる場所 プライベート空間

滝 入江の島との間が閉じていく ちっちゃい池になったかのような錯覚

将軍が見た景色 蘇鉄の冬囲い 

戦国時代から南国の植物や園芸植物が交易で取り入れられてくる

文化力と富の象徴 蘇鉄を寒さから守る「冬化粧」

 

樋口造園 庭師 庭師歴二十六年 吉野瑞穂

 

毎年11月に冬化粧 藁で編んだムシロ「こも」を巻く

藁束を等間隔で留める 藁を均一に広げる 結び目を裏返して隠す

これまでが一連の作業 冬化粧の完成

 

本丸御殿

明治の庭の特徴 白砂敷きの園路 石を伏せてすえている

二の丸庭園は石が立てられている

芝地の築山 非常に低い築山

 

たしなみポイント

明治の庭は石が伏せられ 芝生が多く広々している

 

1867年 大政奉還 政権が朝廷に移り「二条離宮」へ

明治27年 桂宮御殿の一部を移転 本丸御殿となった

当時は今と全く違う庭だった 作庭当時の庭

平安時代末期をイメージした庭 庭師 井上清兵衛が作庭

明治天皇は新しい時代の庭を目指していたので造り変えさせた

 

昭和40年作庭 清流園 ダイアナ妃など国賓を迎える庭園

唐門 プロジェクションマッピング

 

ここは唯一無二の場所

2026年2月9日月曜日

兼題「土」&テーマ「街」

隔てた格子相手を想う遍路道

春袷(あわせ)色香漂う華奢な線

(小村雪岱)春の雹泉鏡花と生きました

川柳しかと掴まん鳶の爪

密やかに今日を生く豌豆(えんどう)の花

 

NHK俳句 兼題「土」

選者:岸本尚毅 レギュラー:紅甘(ぐあま) 司会:柴田英嗣

年間テーマ「描写の工夫」今週のテーマ「土を描写する」

 

俳句のタネを育てましょう!

彼は朽ち土になってゆく透明さ   紅甘

⇩推敲(朽はそのもの)

土となる朽葉(くちは)の骨のごときもの

⇩推敲(人物との関わり)

土となる朽葉を拾ひ日に透かし

⇩推敲(時間の流れ)

の上の朽葉消えんとしつつあり

 

窮屈な句になってしまう時は詰め込まず

同じ材料で二句三句四句と作るのがポイント

 

・名句に学ぶ「土」の描写

阿波野青畝の土の名句鑑賞

畑打つや土よろこんでくだけけり   阿波野青畝(せいほ)

典型的擬人法 畑打つや:季語 「や」と「けり」切字

1句の中で一緒に使うものではない これは一つの例外

畑打つや土よろこびくだけけり 名人芸

「は」を入れることはできるが弱くなる

 

降る雪や明治は遠くになりにけり   中村草田男

主語①雪②明治 

 

・今週の特選句 今週の兼題「土」

出稼ぎや土をかき出す爪ブラシ   福原あさひ

(出稼ぎ:冬の季語)

笹舟に土筆を乗せる子もゐたり   遠藤一治(かずはる)

(ゐたり:文語表現 乗せる:口語表現 文語だと乗する)

水温む体重掛けて練る粘土   宮川礼子

(水温む:春の季語 取り合わせの句)

小社(こやしろ)の土俵の隅の霜くずれ   長谷川どのこ

(霜くずれ:冬の季語)

南無大師土佐の紫雲英(げんげ)の畔(あぜ)歩く   大村森美(もりよし)

(南無大師遍照金剛:遍路が唱える言葉 紫雲英:春の季語)

芳春(ほうしゅん)や食べたふりして土団子   角田千恵美

(芳春:春の季語)

 

・特選三席

一席 キャタピラの土を洗ふも年用意   檜垣幸雄(ゆきお)

(年用意:冬の季語 現場の心意気を感じる)

二席 管取れて降りるロビーや土匂ふ   品川雅史

(土匂ふ:春の季語)

三席 作業着に土や寒しと夫(つま)戻る   守山由美子

(戻ると帰るの発見 戻るには愛がある)

 

・みどころあり!の一句

春の土手遠くに人を寝転ばせ   星貴子

⇩推敲(一種の擬人法)

春の土手遠くに人の寝転んで

 

・紅甘のつぶやき

「あたり前の中にこそ個が宿る」

 

岸本尚毅先生のつぶやき

「作者はボケ 読者はツッコミ」

 

NHK短歌 テーマ「街」

選者:荻原裕幸 ゲスト:佐藤文香 司会:ヒコロヒー

年間テーマ「短歌は時代の波に乗って」

 

佐藤文香

表現しないでおけるのが俳句のいいところ

説明しないからこそその部分を読者が広げて味わえる

 

暫く雲になりたい白いセーターと冬のひかりを着て街をゆく

荻原裕幸

客観的なナルシシズム リズムを崩すところに

頭韻が効いているのがかっこいい 佐藤文香

 

・入選九首 テーマ「街」

二席 透明な傘から滴(したた)れる粒をひとつを見分けるように駅に立つ

木村英樹

あの街の夕日や雨も成分に含まれている実家のりんご

髙山准

一席 👑この街の中心だったスーパーのたこの入らぬたこ焼き思う

桑野豊

街中が冬のモードに包まれて半袖短パン恥ずかしくなる

冨尾なつ

恋人にならずに終わりそうな人とかじかむ冬を路チューで埋める

殿内佳丸

👑来週の可燃ごみに期待しましょうかと井戸端会議をしている七羽

北原直人

カレー屋のレシート見せて切り抜けるラブホテル街目撃情報

横浜J

君がいる街の天気をなんとなく見てしまうのを今日でやめよう

今井遼

三席 タクシーも愛も拾える街だからいいよ置いてきぼりにしたって

丹生暁子(にうあきこ)

 

・荻原流 詠み方指南

短歌を作り続けていくには

長く続けてきたから見えてきたものがある

10代の頃の短歌 30代の頃の短歌を紹介

 

陽に向けて十指暴きしことさへも遠き一つの罪科に数ふ

荻原裕幸 19歳の時の作品

やなせたかしさんの歌「手のひらを太陽に」

健やかさに向かって 真っすぐに

自分の気持ちを解放することができない10

 

十二色のいろえんぴつしかないぼくに五十五色のゆふぐれが来る

「見たものを写生しなさい」佐藤文香

実際の人生の中で丸くなっていくのではなく 表現の方が

先に丸くなって自分もそれに引っ張られていく

続けていく中でしか見えてこないこと

 

荻原裕幸先生からのメッセージ

自分に優しくしましょう のんびり構えてやっていけば

長い時間の中でいいものが見つかっていく 

 

短歌づくりのコツ

楽しめる環境で長く続けていくことで

技術が身につき良い作品が作れるようになる

 

平成の大街道でプリクラを撮ったわたしたちが通ります

佐藤文香

中学・高校と愛媛県松山市で育った 大街道が中心街にあたる

大街道商店街 愛媛県松山市

真っすぐさがいい 荻原裕幸

 

俳句で活躍しているのに どうして

詩の世界に踏み込んだのですか?荻原裕幸

 

俳句の世界の中に「詩」の部分 

格みたいなものが好きなんじゃないだろうか

「詩」という方を追求したらいいんじゃないか

と思うようになり現代詩を書くようになった 佐藤文香

ことばで感動するというと物語を読んで感動することが多い

物語でないものに感動するような 

それを私は「詩」と定義してたんじゃないか

私の好きな「詩」❝ことばから受ける衝動❞みたいなものは

どのジャンルにも転がっているんじゃないか 

 

わかれぎわ荻の穂の粒置き去りし愛妻家の影猫の尾が追う

ヒコロヒー

 

・ことばのバトン

やる気ゼロ家でゴロゴロ本でも読むか

柳下恭平(書店主)

のどをならしたネコとコタツで

藤岡善念(僧侶)

一緒に本読んでるイメージを書かせていただきました

昔経典が運ばれて来た時にネズミが

経典をかじらないようにネコを飼った

 

スタッフ全員僧侶 夜のお寺

入棺体験 死の解決

自分も死ぬんだ 愛する人も死ぬんだということで

向き合ってもらって何かを感じていただけたら

坊主バンド「新☆般若心経」

2026年2月8日日曜日

原三渓と表千家流

マリニンと鍵山の冬五輪かな

美の鍵山か技のマリニン息白し

完璧な神のジャンプや冬麗

7連続のジャンプ成功雪明かり

雪中花どちらが神の笑みゲット

 

■茶道 表千家流 Facebookより

なぜ原三溪(はらさんけい)は小田原三茶人にはならなかったのか。

箱根強羅公園の中にある白雲洞(はくうんどう)は鈍翁、耳庵、幻庵が住んでいました。

あまりに寒い箱根。

三人は小田原に下りました。

後に小田原の近代三茶人と言われます。

原三溪もこの時代の人でしたが横浜から通いました。

ですから彼は小田原三茶人とは言われず横浜の三溪園を作りました。

三茶人は益田鈍翁は若い頃から茶に親しんでいましたが耳庵と幻庵は60を過ぎて茶を習いました。

それでも積んだ素養と財力でその時代の代表的な茶人と言われました。

小田原に松永記念館と有るのは耳庵の自宅跡ですから老欅荘と言います。

私の知り合いで茶道家の彼女は

「近代小田原の三茶人」の事を知らない人がいる。

これからは入会希望者は三茶人の事をレポートを提出してもらう事にしましたと。

BSテレビで「100年名家」という番組で箱根の白雲洞の案内をされた欠庵会のナンバー2の田代さんが説明された。

彼は強羅公園の園長だった。

代表の欠庵さんは昨年亡くなりました。

茶花を愛する茶人が少しずつ亡くなってしまいます。

この週末に小田原で裏千家の支部主催の茶会が行われます。

四月には沼津で欠庵さんをしのんで一の弟子の中見さんが茶事が行われます。

小田原の三茶人や欠庵さんの事を偲びます。

近代小田原三茶人

https://ja.wikipedia.org/.../%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%8E%9F...

三井財閥の益田孝(鈍翁)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%8A%E7%94%B0%E5%AD%9D

三越百貨店など野崎廣太(幻庵)

https://ja.wikipedia.org/.../%E9%87%8E%E5%B4%8E%E5%BB%A3...

電力界の大御所松永安左ヱ門(耳庵)

https://ja.wikipedia.org/.../%E6%9D%BE%E6%B0%B8%E5%AE%89...

原三溪

https://ja.wikipedia.org/.../%E5%8E%9F%E5%AF%8C%E5%A4%AA...

 

2026年2月7日土曜日

100分de名著 ヤンパース❝哲学入門❞①

冬の夜や生きる死ぬるはのさりかな

三ツ星や全てはのさり授からん

寒昴今日はのさったありがとう

冬銀河神に授かり今日ものさった

日向ぼこのさり続きて受け継がれ

 

100de名著 ヤスパース❝哲学入門❞①哲学とはどんな営みか❓

戸谷洋志 伊集院光 阿部みちこ 

 

秩序や価値の崩壊

(20世紀を代表するドイツの)哲学者 カール・ヤスパル

「人間が挫折をどのように経験するかということは、

その人間を決定する要点であります。」

 

哲学は世の中の「当たり前」を問い直す

 

子供の頃のヤスパース 1883年生まれ

精神科医だった頃のヤスパース ゲルトルートと結婚 ハイデルベルクで住む

その頃のドイツは経済的苦境に陥っていました 哲学科の大学教授へ

ヒトラーが政権を握りナチスの侵攻 職を追われる 

妻ゲルトルートがユダヤ人だったから 

アウシュビッツ強制収容所へ妻は強制移送を迫られた

ドイツ国内で息を潜めて生きるしかなかった 壊滅的な最後を迎えた

第二次世界大戦直後のドイツ 終戦から5年後ラジオ放送で連続講演を始める

それが「哲学入門」だった

 

人間が挫折をどのように経験するかということは、

その人間を決定する要点であります。

すなわちそれは、彼は挫折を見ることができないで、

ただ実際において最後にそれに打負かされるか、(中略)

それを引受けるかどうか、ということであります。(中略)

換言しますと、人間は救済を求める。(中略)

あらゆる「哲学すること」は一種の現世の超克であり、

救済の一類比物なのであります。

 

挫折=それまで「当たり前」と信じていた世界が亡くなってしまう体験

挫折から哲学は出発する

 

哲学の動機となるもの

これまでの哲学者

プラトン 驚愕

デカルト 懐疑

ヤスパース(独自性) 挫折

 

私たちは常にいろいろな状況の内に生きているのであります。(中略)

しかし私は死なねばならないとか、私は悩まねばならないとか、(中略)

私は不可避的に罪に巻きこまれているなどというように、(中略)

その本質においては変化しないところの状況というものが存在します。

私たちはこのような私たちの現存在の状況を限界状況

呼んでいるのであります。

 

哲学的な生活態度への意志というものは、個人が陥っている

暗黒の状態から生まれます。(中略)

彼が突然目ざめ、驚き、そして、私は何であるか、私は何を

怠っているのか、私は何をなすべきであるか、などと問う場合は、

この意思はまったく本能の虜になってしまっている

自己忘却の状態から生まれるのです。

 

戦争と難病という自らの限界状況の中でヤスパースは独自の哲学を

深めていきました。

限界状況は誰にでもやってくるもの

だからこそ誰もが哲学することが必要

「限界状況」はさまざま 結婚・出産など

挫折=「限界状況」で得られるもの

「挫折」をすると自分だけの生きる意味を考え始めざるを得ない

 

限界において感得されうるものを通じて

自己の限界を経験することによって、明瞭な対象的知においてのみ、

私たちの意識は明晰でありうるのです。 老いや死 透明 

 

現象が私たちに透明になることによって、私たちは現象に結びつけ

られているのであります。(本当の自分を透明と表現した)

 

対象的知❝自分自身❞を対象として理解すること

自分の表層でなく内側の真価を理解できるようになる

 

「透明になる」という体験

「限界状況」に見える日本

 

ToDoリストが生活全般を占拠してしまう

「限界状況」から目をそらさせてしまう