2025年9月16日火曜日

100分de名著 福沢諭吉②

残る蚊や元気な羽音たてにけり

蚊の唸りエアコン近く張り合わん

北極熊イッカク食し太し秋

秋の空どこまで浄化海と山

山に生まれて海へ流さる秋思

 

100de名著 福沢諭吉福翁自伝自分を高める勉強法とは

齋藤孝 伊集院光 阿部みちこ

 

福沢の青春はとにかく勉強

これほどまでに夢中になって勉強を楽しむことができるのか

向上感 何のために勉強するのか

大阪北区 適塾 緒方洪庵

 

これまで蔵屋敷に一年ばかり居たが、ついぞ枕をしたことがない、

とうのは、時は何時でも構わぬ、殆んど昼夜の区別はない、

日がくれたからと言って、寝ようとも思わず、

(しき)りに書を読んでいる。

読書に草臥(くたび)れ眠くなってくれば、机の上に突っ臥()して

眠るか、あるいは床の間の床側(とこぶち)を枕にして眠るか、

ついぞ本当に蒲団を敷いて夜具を掛けて枕をして

寝るなどということは、ただの一度もしたことがない。

 

素読からスタートし講釈で内容を理解します。

最後に一人ずつ会読、今でいう口頭試験を行い

リーダーが評価するという勉強法で難解な蘭書を読んでいました

 

解し得た者は白玉、解し傷(そこの)うた者は黒玉、それから

自分の読む領分を一寸(ちょっと)でも滞りなく立派に

読んでしまったという者は白い三角を付ける。

これはただの丸玉の三倍ぐらい優等な印で、およそ

塾中の等級は七、八級ぐらいに分けてあった。

そうして毎級第一番の上席を三カ月占めていれば登級する

という規則で、(中略)塾生は毎月六度ずつ試験に合うようなものだ。

 

師・尾形洪庵(181063)

天然痘流行時の牛痘接種法の普及やコレラの治療に勤めた蘭方医

 

福沢諭吉 腸チフスを患って約半年後―

兄・三之助が病死 喪に服すために帰省した

福沢は オランダ語の築城書を盗み写す

そうか、ソレは一寸(ちょい)との間に、

怪しからぬ悪いことをしたような、

また善いことをしたようなことじゃ。

何はさておき、貴様は大層見違えたように丈夫になった。

私が世話をしてやりたい、けれども外の書生に対して

何かお前一人に贔屓するようにあっては宜()くない。

待てゝ。その原書は面白い。ついては乃公(おれ)

お前に言い付けてこの原書を訳させると、

こういうことにしよう、そのつもりでいなさい

 

洪庵という人は非常にフェア

こういう良い先生に出会ったから

「恐育は素晴らしいものだ だから自分も慶應義塾をつくろう」

 

適塾の勉強法

体を使ってその言葉を入れる 声に出す・書写する 

情報とは自分の外側を流れていってしまうもの

時代ごとにフィットする勉強法を見つけていくことも大事

 

福沢は無類の酒好き

 

まず第一に私の悪いことを申せば、生来酒を嗜むというのが一大欠点

成長した後には自らその悪いことを知っても、悪習すでに

性を成して自ら禁ずることの出来なかったということも、

敢えて包み隠さず明白に自首します。

(とて)も叶わぬ禁酒の発心、一カ月の大馬鹿をして酒と煙草と

両刀遣いに成り果て、六十余歳の今年に至るまで、

酒は自然に禁じたけれども、煙草は止みそうにもせず、

衛生のため自ら作()せる損害と申して一言の弁解はありません。

 

くだらないことを楽しむ

 

「遊女の贋(にせ)手紙」で福沢らにからかわれたのは

医師の手塚良庵(漫画家・手塚治虫の先祖)

「学ぶ」という確固たるものを持った仲間

 

決して落胆していられる場合でない。

(中略)洋学者として英語を知らなければ

(とて)も何にも通ずることができない。

この後は英語を読むより外に仕方がないと、

横浜から帰った翌日だ、一度は落胆したが

同時にまた新たに志を発して、それから以来は

一切万事英語と覚悟を極()めて、さてその英語を英語を学ぶと

いうことについて如何して宜()いか取付端()がない。

 

詰まるところは最初私共が蘭学を捨てて英学に移ろうとするときに、

真実に蘭学を捨ててしまい、数年(すねん)勉強の結果を空(むなし)うして

生涯二度の艱難辛苦と思いしは大間違いの話で実際を見れば

蘭といい英というも等しく横文にして、その文法も略(ほぼ)同じければ、

蘭書読む力はおのずから英書にも適用して、決して無益でない。

水を泳ぐと木に登ると全く別のように考えたのは、

一時の迷いであったということを発明しました。

 

蘭学から英学に転向

大局観

 

勉強はひとつ突き抜けて学習方法をつかむと他の勉強にもそれが役立つ

技として身についていることが大事

 

西洋日進の書を読むことは 日本国中の人にできないことだ、

自分たちの仲間に限って斬様(こん)なことが出来る、

貧乏をしても難渋をしても、粗衣粗食、

一見看る影もない貧書生でありながら、

智力思想の活発高尚なることは 王侯貴人も眼下に見下ろすという

気位で、ただ六(むつ)かしければ面白い、

苦中有楽、苦即楽という境遇であったと思われる。

たとえばこの薬はなにに利くか知らぬけれども、自分たちより外に

こんな苦い薬を能()く呑む者はなかろうという見識で、

病の在るところも問わずに、ただ苦ければもっと吞んでやる

というくらいの血気であったに違いはない。

 

目的なく苦学する

ただただ学びたい知りたい

難しければ難しいほどおもしろい

わくわくする感じをつかむと一生わくわくしたいから

勉強したいとなっていく

自分は伸びているということで自信を持てるようになる

「これがやりたいからやる」という気概を貫く人が新領域を開く

一生の柱

学ぶことを柱にしていたら高齢になっても

つまらないということがない

「自分は今学んでいる」というエネルギー

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