2025年3月31日月曜日
教室俳句&46人のことばのバトン
春の泥疑え規範、価値観を
常識の向う側こそ春時雨
春の暮多面性もつ人生よ
春潮や苦しきことの多かりき
■NHK俳句 スペシャル はみだせ!教室俳句
出演 夏井いつき
第1回全国教室俳句コンテスト
夏のベンチあついさくらんぼたねでかい
どこに行く山に湖冬の雨
長縄の八四回冬の朝
・山本巧先生
Step1 思い出表でオリジナリティ
Step2 思い出表から五・七・五
パンケーキ積んで積んだら青嵐
月見草ゴルフで飛んだ一〇〇yd(ヤード)
春寒しテレビが来たから真面目にね
ころがって大人になるぞ雪だるま
雪つもり溶けるか監視地面見る
風光る心のことば手渡せば 山本巧(先生)
学級経営の柱に俳句を据えれば言葉が育つ心が育つ
・山本純心(すみと)先生
助詞の表現
(手話は)一つの動作で「雨が降る」という事を意味して
(手話は)助詞を使わなくても豊かな表現方法がある
俳句の場合はどうしても助詞を使わないといけない部分があるので
ある意味困りだった
「の」なのか「は」なのか「が」なのか
迷ったら(俳句が)嫌になっちゃうので
困ったら「の」「の」から入ろうよって
助詞「の」にこだわった俳句づくり
聞こえずに目の合図して秋の風
国語の毎時間メイクの勉強
モデルがない状態でやれって言っても難しいので
こんなことも あれもいいんだ ということを
知る装置でもあるのかなと
春の風邪声(かざごえ)を飾りてゐるやうな 髙橋順子
かざ かざ
似ている音を入れてくっていうことで
音の調節してるって意味がある
「へぇ」とか「なるほど」率が高い 授業はやりたいなと
知る・わかる・できるっていう順番で「知る」がないと
「わかる」も「できる」も繋がらない 聴覚に障害を
持っている子供たちだけれども気づきとして同じ「音」を使う
韻を踏むという事を圧倒的に教えている
知っておくという事は(表現の)幅を広げるためにも
必要じゃないかなと
名句を味わうという事はテクニックとか言葉 季語とか
そういうもの全部 一緒に学べる 名句を自分の創作の
糧にしていく とても大事 芭蕉あたりから若い人まで
ランダムに名句として教えている 先生が目的を持って
選んでいるような気もする 隙間時間で応募作品作りをしている
いつき先生
賞に入る事はゴールでは全く無いけれど自分を全く知らない人が
選んでくれるっていう経験は意味があるのかなとは思っていて
ある時を境に言う事を聞かなくなる時がある 俳句の“第二次反抗期”
大人に言われた事に「違うんだよ」って言える その時に
私の一つの役目が終わる 自分の力でやっていくことが
出来るようになったら それは生きていく中でも決して損ではない
俳句を作り終わった後 気持ちがいい感覚があります
(俳句で)自分の考えを表現したい 生徒
後れ毛をさわる年頃夏はじめ 高3女子
鳥のため扉を開く春の空 高2女子
十五夜のうさぎの声は静かかな 高1男子
青空の嘘ばかり言うトマトかな 高3女子
「の」は曲者 先生の指導が実っている
青空が嘘ばかり言うトマトかな
生徒から先生へ
冬風やともに歩んでありがとう
あなたから教わり忘れずに葉月
(葉月は山本先生の誕生月です)
冬日和恩師に感謝告げる猫
教壇に立つ担任の目の合図
(ろう学校は”目”がとても大事なので見ること=信頼)
知る事が彼らの世界を広げる基礎なのでいろんな事を
伝える事は彼らの生きる事には繋がると思っています
最初から「はみ出す」事が意図じゃなくて 後々結果として
はみ出ちゃった 結果として「はみ出ちゃう」事が
ゴールなのかな
あの子たち一人一人が先生の事を心の中に置いて
どんなふうに歩み出していくのか
追跡ビデオが見たいです いつき先生
■NHK短歌 スペシャル「46人のことばのバトン」
枡野浩一 青松輝(あきら) 宮田愛萌(まなも) 司会 尾崎世界観
つなぐときバトンはしっぽだったから 岡野大詞(歌人)
つかみそこねて仰ぐ青空 岩下尚史(作家)
神様の盃にぬる燗注ぎ足して 金井真紀(文筆家)
会議室との通信を切る 桜井あらん(会社員)
ひび割れたメガネで明日をのぞいてる 藤井渚央(高校三年生)
春夏秋冬咲け山桜 池野弘葉(高校二年生)
あの歌も羽根もいっしょに埋めました 梅﨑実奈(書店員)
「希望」と名付けた木の根本へと 小坂井大輔(中華料理店店主)
ブランコをこいで足から陽を受ける 上本彩加(会社員)
苦しくても今ぼくらは始まる 高山邦男(タクシー運転手)
区役所で出生届型破り FUNI(ラッパー)
過去退(の)けたるは春筍か 井口五郎(音楽書籍編集者)
竹の秋触れては破れ土筆水母 ドゥーグル・リンズィー(海洋生物学者)
午後のおやつはいちご大福 矢沢𠮷見
もちもちで包んだ幸せほおばって 小宮山碧生(中学三年生)
盤駒がある生まれたる家 先崎学(棋士)
上の空グラスホッパーならばただ 短歌AI&浦川通(開発者)
触角で穴をあければ雷雨 涌田悠(ダンサー・振付家)
闇のなかただとんでみるとんでみる 初瀬勇輔(視覚障害者柔道家)
鼓動のリズム「此処にいるよ」と 真山りか(私立恵比寿中学)
目を閉じて戦いに揺れる無窮の野 ガリーナ・シェフツォバ
(キーウ国立建設・建築大学教授)
誰のバトンも落とさず走れ 久永草太(獣医師)
打ち水に一瞬架かる虹だった 岡本真帆(歌人)
朝目が覚めてもそこにいるサボ 岩手県立盛岡第一高校文学研究部
ぷるぷるぷるつれない君の河鹿鳴く 尚学館高等部
ぼくらの隙間を抜けてゆく風 高田高等学校
君の目が掃いたところはより緑 筑波大学付属高等学校
仰いだ空に光彩の舞う 富山県立伏木高等学校如意ヶ丘
黒板に「・」だけ残る昼休み 岐阜県立飛騨神岡高校文芸部
ざわめきながらしんとしている 池松舞(作家・野球短歌)
貨物列車聴く僕たちのアナキズム 工藤ひすい(高校一年生)
車道爆走津軽のかっちゃ 斉藤新吾
あおられてよろめくはずみ第一歩 寺嶋由美(アイドル)
⑩分前にここに来てくれ 吉田尚記(ニッポン放送アナウンサー)
幕上がり扇子を置けば別世界 桂蝶の治(落語家)
我らは創る夢の架け橋 内堀克利(俳優・殺陣師)
アレの日玉子を割れば黄身ふたつ かまちよしろう(漫画家)
ひとしずくの夢足音ははずむ 篠原香代
(みなかみまるごと短歌プロジェクト実行委員)
勢車付きの玩具のあった頃 田村吉廣(みなかわ町牧水会会長)
仮面の男の返信を待つ 村井光男(ナナロク社代表)
雪の夜踊る男と飲む麦酒 宮城マリオ(エアギタリスト)
とける陽を呼ぶまばたきの人 南阿沙美(写真家)
声が射す鋼宿せし心根に 天中軒すみれ(浪曲師)
真に活きるは闘うことだ ビナ(ラッパー)
何度でも「はじめまして」を言いたくて 枡野浩一(歌人)発句
しばし眠って春を待ちます 竹田紗紀子(日本女子大短歌会)
暖かな風とスカートたわむれて 高橋花歩(日本女子大短歌会)
エグい花粉も聴こえない庭 ほきゅみ(東京農工大短歌会)
ほこり立つ突風に散る梅の花 枯芝(東京農工大短歌会)
毒をはぐくむ桜木の陰 三々凪四葩(同志社大短歌会)
舌のうえ炭酸の味うすれつつ 不凍港(同志社大短歌会)
胸が背中がどこまでも向く 府田確(神戸大短歌会)青松推します
工場の煙が遠く立ち上る 奥村鼓太郎(神戸大短歌会)
空のあなたはどうしてますか 本間大智(妙円寺住職)
愛しぬく想いを継いで歌詞にする ガールズトーク(ラッパー)
野原が花で満ちてくように コールレイ(ラップ歴3年)
青々と匂う木々たちリズム風 長沼七海(書店員)
バンドをやろうか還暦だもの 國兼秀二(短歌研究編集長)枡野推します
ブラボーが降りそそぐようなステージに ファブリ(イタリアン歌人)
今日はじめての私がいます 藤田衣里子(東洋大学コンクールスタッフ)
初夏に聞く蝉の歌声初々しい 神田日陽里(高校三年生)
命の限り歌えよ恋を 田村裕(高等学校教諭)
制服の内ポケットが光りだす 伊藤敏恵(NHKJアナウンサー)
岸に寄すさざ波のように幾たびも娘をなでる我海になる 伊藤敏恵
乱反射せよ呪(まじな)いのペン ニコ・ニコルソン(漫画家)
まっさらな白紙を前に全能感 金子崇(漫画編集者)
きみの香りが残る窓際 文月悠光(詩人)
〈アリア〉というハンドルネームの友だちは 青松輝(歌人)
大気の奏でる曲のような娘 青森県立八戸西高校文芸部
詩奏行く先々に幸せを 秋田県立大曲農業高校太田分校
風船葛の中に込めて 星野高校文芸部
Twilightよい子は家へ帰りましょう 興南高校俳句部
ママのカレーの香りにつられ 富山県立伏木高校
母さんがいるからここは故郷で 気仙沼高校文芸部
真っ白な帆が風に広がる 杜崎ひらく(歌人)
はじめての海にほほえむ君の頬 中前安弘(スムージー・サラダ店店主)⇩青松流れ推し
脊柱起立筋のサメを見ろ 上野俊彦(日本ボディビル・フィットネス連盟)私
赤胴の漁師の顔と瓶ビール 肥沼和之(ジャーナリスト・バー店主)
燃える夕日に連なるカワウ 田向健一(獣医師)
鵜のいろの空に朝日をのぼらせる 谷口奈月(フリーアナウンサー)
生きる輝き背中を押され 松田茂(コピーライター)
走りたい足がはいてたハイヒール 宮田愛萌(作家・タレント)⇩枡野流れ推し
プライド脱ぐから置いてかないで 律月ひかる(いぎなり東北産)
見た目より脱ぐとすごいゼメンチカツ 那波秀和(スーパーマーケット社長)尾崎推します 私
八ツのフモトでげん氣売るかナ まつむらまさこ(絵本作家)
志望校俺だけ落ちて歯を見せる 麻布競馬場(小説家)宮田推します 私
あらたな道へ心機一転 八木冨美子(江北氷川神社名誉宮司)
掛けなおすボタン緋色の春が立つ 小川優子(歌人)
墓石がにやり「あんじょうやりや」 大西里枝(扇子店四代目)私
「あい、わかりました」と払う大きな手 池上規公子(葉ね文庫)
あるけば花びらも踏むだろう ねべとびすこ(歌人)
2025年3月30日日曜日
あの本、読みました?2025年本屋大賞ノミネート作品徹底解剖
地蔵寺やお遍路癒す梅の香
耕した地面ほっこり春畑
春の陽や猫のあくびの移りけり
風を読んだか抗ったのか遅日
■あの本、読みました?
2025年【本屋大賞】ノミネート10作品すべて徹底解剖
鈴木保奈美 角谷暁子 林祐輔P
青山美智子 内田剛 間室道子 河北壮平
早見和真 庄野樹 金子玲介 奥村元春
「アルプス席の母」早見和真
「カフネ」阿部暁子
「禁忌の子」山口未桜
「恋とか愛とかやさしさなら」一穂ミチ
「小説」野﨑まど
「死んだ山田と教室」金子玲介
「spring」恩田陸
「成瀬は信じた道をいく」宮島未奈
「人魚が逃げた」青山美智子
「本屋大賞」ノミネート作品 今年の傾向は❓
傾向がないのが今年の傾向 まさに多様性
・作家・青山美智子
2017年「木曜日にはココアを」でデビュー
【本屋大賞5年連続ノミネート】
2021年「お探し物は図書室まで」
2022年「赤と青とエスキース」
2023年「月の立つ林で」
2024年「リカバリー・カバヒコ」
2025年「人魚が逃げた」
「人魚が逃げた」
銀座を舞台に選んだ理由
人魚を描いたきっかけはニシキヘビ? 思ったことはその人の真実になる
「夢は静か」の一文 青山美智子著/PHP研究所
4章 夢は静かより
「原稿、書いてたの?苦戦中?」
その吞気さにちょっとイラついて、おれはつっけんどんに答えた。
「うん。まあ、読めば三分で終わるような短い話だけど」
「そうなんだ」多恵はいつものように「よくわからないけど」
と前置きし、こう続けた。「だけどその三分の間に、あなたが
書いた一行で人生が変わる人がいるかもしれないんでしょう?」
文学に興味のない妻の一言
「遊園地ぐるぐるめ」青山美智子・田中達也/ポプラ社
早見和真 金子玲介
「本屋大賞」ノミネートの心境は❓
・「ひゃくはち」早見和真著/集英社文庫
元高校球児の著者が自身の経験をもとに描いた
名門校補欠球児たちの物語 2008年発売のデビュー作
母親視点で高校野球を描こうと思ったきっかけ
「アルプス席の母」早見和真著/小学館
亡くなった母親と対話をしながら執筆
「アルプス席の母」の一文 早見和真著/小学館
「ちょっともう勘弁してくれよ。いくらなんでも泣きすぎだって」
いよいよ入寮を翌日に控えた夕食時、
しびれを切らしたように航太郎が眉をひそめた。
せめて航太郎には悟られないようにと気を張っていたつもりだったが、
あまりに狭い家の中で隠し通すことなんて不可能だ。
「いや、ごめん。わかってるんだけど。本当にごめん」
食卓には航太郎の好物をこれでもかと並べた。
お寿司に、ステーキに、カルボナーラのスパゲティ、
なぜか昔から大好きだったほうれん草のおひたしと、
明日からしばらくは作ることのなさそうな豚汁、
炭水化物ばかりとわかっていたが白いお米もいっぱい炊いた。
航太郎と共にする最後の夕飯。
本当は焼き肉を食べに行くつもりでいた。
そのために本城先生からおいしいお店の情報を仕入れ、
航太郎も楽しみにしていたはずだったのに、
昼頃になって突然恥ずかしそうに言ってきた。「あのさ、
やっぱり最後はお母さんのご飯が食べたいんだけど、ダメ?」
今日一日はなんとか笑顔でやり過ごそうと思っていたのに、
その言葉が引き金となった。
「ダメじゃない。実は私もそう思ってた。
ちょっと買い物いってくる。航太郎の食べそうなもの全部つくる」
一人でハンドルを握っている間も、商店街で買い物をしている間も、
アパートに戻ってキッチンに立っている間も泣いていた。
大阪を舞台に選んだ理由
驚きのエピローグ創作秘話
・「死んだ山田と教室」金子玲介
作家 金子玲介
1993年 神奈川県生まれの元会計士
2023年「死んだ山田と教室」でデビュー
「第65回メフィスト賞」を受賞
声だけ蘇る設定 なぜ思いついた❓
「死んだ山田と教室」の一文 金子玲介著/講談社
第二話 死んだ山田と夕焼けより
「実わさ、このあと人とまちあわせてて、
それまで時間潰さなきゃいけねぇんだよなぁ」〈へぇ〉
「六時から映画見ることになっててさ」〈ふぅん〉
「…え?誰と待ち合わせしてるかって?」〈だから聞いてねぇって〉
「いやぁ、実は女の子と待ち合わせしててさ~」
〈あーうるせぇうるせぇ。そんなつまんめぇ話しかしないなら帰れ〉
「リアルで会うの初めてなんだけど、
写真見る限りではけっこうかわいいんだよなぁ」
〈うるせぇうるせぇうるせぇ死ね〉
「あー人に死ねとか言っちゃダメなんだぞ!」
〈いいんだよ、俺死んでんだから〉「…そういう問題か?」
「でもさ、相手社会人なのに、」別府があくびを噛み殺し
「こんな夕方にデートとかできるの?」久保に顔を向ける。
「はぁ?」「いや、仕事とかあるだろうしさ。
普通もっと遅い時間に待ち合わせじゃない?」
「いや相手も学生だけど」久保が眉をひそめる。
「えっ?」別府が寝そべったまま、身体を転がして久保を凝視する。
「水泳部なのに?」久保は少し考えた後「山田、助けてくれ。
別府が不思議ちゃんすぎて会話になんねぇ」
〈藁科が熟女好きだからじゃん?〉「…ん?」
〈ほら藁科、望月先生のことめっちゃ好きじゃん。
だから同じ水泳部の久保も、熟女好きなはずってことだろ?〉
「そういうこと」
別府が右腕をぐっと伸ばし、天に指を突き立てる。
クラスメイトたちの描き方
SNSを出さない理由
読者の反響は❓
「2025年本屋大賞」4月9日発表
2025年3月29日土曜日
方丈記&サーカス&「竜天に登る」
春風や祖母の形見で街闊歩
ビスケット口いっぱいに春の色
ほろ苦きチョコまたひとつ春日向
歯ごたえのある硬きせんべい日永
■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「竜天に登る」
長い季語です この「竜天に登る」とはどういうものかというと
もちろん 空想上の生物であります竜 それが本当にそのまま
天に昇るわけではないわけですね この季語は時候の季語になります
一年の間のこの位の時期 そういうものになってきます
ではどの辺りの時期なのかといいますと これは仲春の季語になります
春分の前後といいますか 中国の説文解字という文章の中で
秋分、秋の頃になると竜は淵へと沈み 春、春分の頃になると
沈んだ竜が天へと昇っていく そういうふうに語られています
時候の季語というのは明確な映像を持たないのが
特徴ではあるのですが この季語は「竜天に登る」という
いかにも本当に生物がいるかのようなこの言い回しから
独特な描かれ方をする事も多い季語になっています
俳人好みの季語でございます
■10min.ボックス古文・漢文 方丈記(鴨長明)
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。
世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
知らず、生れ死ぬる人 いづかたより来りて、いづかたへか去る。
また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、
何によりてか目を喜ばしむる。
その主と栖と無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。
鴨長明の人生と「方丈記」
後鳥羽上皇に認められ四十代の時新古今和歌集の編纂の職に就く。
五十歳で出家。その八年後、書き上げたのが「方丈記」
火(大火) 辻風(竜巻) 都遷り(ミヤコウツリ) 飢渇(飢饉) 大地震
空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅なる中に、
風に堪へず、吹き切られたる焔飛ぶがごとくして、
一二町を超えつつ移りゆく。その中の人現し心あらむや。
人のいとなみ 皆愚かなるなかに、さしも危ふき 京中の家を作るとて、
宝を費やし、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍る。
すなはちは 人みなあぢきなき事を述べて、
いささか心の濁りも うすらぐと見えしかど、
月日かさなり、年経にし後は、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。
語り継がれる「方丈記」
芥川龍之介「本所両国」を発表
その最終章は「方丈記」
知らず、生れ死ぬる人、何方より来りて、何方へか去る」…
方丈の庵 終の棲家とした この庵で人生を振り返り記した
ゆく川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
■10min.ボックス現代文 サーカス(中原中也)
「山羊の歌」
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処での一と殷盛り(ひとさかり)
今夜此処での一と殷盛り
サーカス小屋は高い梁(はり)
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯が
安値(やす)いリボンと息を吐き
観客様はみな鰯
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外は真ッ闇 闇の闇
夜は劫々(こうこう)と更けまする
落下傘奴のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
葛藤を生きた詩人
「汚れっちまった悲しみに…」より
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
「少年時」より
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた…
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!
音の響き オノマトペ
「一つのメルヘン」
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
「サーカス」
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
七五調で書かれている
同じ言い回しやくりかえしが使われている
それが歌うようなリズムを生み出している
心の奥底の風景を描き出している
2025年3月28日金曜日
春の上野で一句&「雁風呂」&なべおさみ
人生を変えるきっかけ春の風
亡き人へ思いを寄せん春の霜
ほころんだ蜂須賀桜春の鳥
鳥雲にいる権力は嘘をつく
■プレバト纏め 2025年3月27日
春の上野で一句
特別永世名人締めの一句 梅沢富美男
六(りく)合を花に埋もるる上野山
(六合:上下四方という意味 この句には風格がある)
俳句史に残る句集作り 永世名人 横尾渉
通過待ちのA寝台や雪のひま
(A寝台:寝台列車の個室 手堅い一句 作者の感動が詠まれている
季語:雪のひま 雪が解きだし所々に地面が現れること)
一位 みりちゃむ
夜桜の帰路Ado歌う呑んだくれ
二位 伊原六花
上野にて春の雨まで美術かな
添削(美術では範囲が広すぎる 絵画めくとは絵画であるかのよう)
絵画めく上野は春の雨もまた
三位 二階堂高嗣
春の霧待ち焦がれた父の車
添削(言いたいこと字づらに隙間 季語が生きる心配する気持ち)
春霧や迎えの父の車待つ
四位 八嶋智人
場所取りの恩賜の桜花ふるさとぞ
添削(恩賜とは上野恩賜公園)
ふるさとの苗木とおもふ桜かな
五位 青山フォール勝ち
高架下揺れる酎ハイ春怒涛
添削(季語:春怒涛 うねり岩に砕ける春の波
季語を比喩に使うと鮮度が落ちる 春も一気に押し寄せる)
高架下轟く春よ酎ハイよ
■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「雁風呂(がんぶろ)」
雁とは渡り鳥の雁です 雁が日本にやってくるにあたって
木の枝を咥えて飛んでくるとされています その木の枝を
道中海に落として休んだりするんだけれども その木の枝が
日本の砂浜に落ちていると それがいつまでも残っている
ということは 本当はその枝を咥えて元の土地に帰るはずの
雁が そこに残している きっと日本で死んでしまったに
違いないと その供養の意味を込めてその拾い集めた木で
お風呂を炊く そういう季語になるんですね
実際には雁が木の枝を咥えて飛ぶといったこともないそうですし
かなりこの季語は空想的な趣の強い季語なんだそうです
でもその趣き深さを古来から俳人は愛したということですね
■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん
【なべおさみ登場!ビートたけしから感動の手紙】
昭和の大先輩なべおさみの言葉
「ともかくも ひはめぐりたり ありがとう なべおさみ」
あまりにお若いお姿に驚きました。
丁寧な咀嚼を心掛けておられるそうです。
肌の色つやが素晴らしかったです。
ビートたけしさんは見えないところで
多くの人を力づけておられるのですね…。
さすがだと思いました。
2025年3月27日木曜日
100分de名著 ヘーゲル❝精神現象学❞③
春日向若き男に導かれ
春陽や若き男の笑い顔
風光る若き男の腕の中
無抵抗ぎゅっと抱かれ春の風
■100分de名著 ヘーゲル❝精神現象学❞③
理性は薔薇で踊り出すー「啓蒙」と「信仰」
斎藤幸平 伊集院光 阿部みちこ 八嶋智人
ヘーゲル(1770~1831)G.W.F.Hegel
青年ヘーゲルは当初フランス革命に傾倒
その出来事は彼は思想形成に大きな影響を与えた
社会が変われば意識が変わりー
意識が変われば社会が変わる
自らの判断を普遍的なものにしたいという欲求が芽生えてくる
啓蒙の意識
貴方が信じているものは すべて迷信で客観的根拠はない
啓蒙と信仰の戦い
自然科学の急速な発展による実証主義的な世界把握と
経済の発展により市民階級が力をつけた その結果
宗教や王権・貴族が批判される その上で人々が自分たちで
合理的に判断しながら社会や文化も合理化していこう
信仰とは純粋な洞察にとって一般に、 啓蒙
迷信と先入見と誤謬とによって
織りあげられたものである。(中略)あやまった洞察は、
背後にじぶんだけで留まている洞察であって、
そこには悪しき意図がある。 僧侶・専制君主
この背後の洞察と悪しき意図とによって、
大衆の意識は欺かれているのである。
悪しき意図が「悪」であることを啓蒙は科学の立場から批判
自分たちの主張が普遍的に正しいことを
示そうとするのが啓蒙の意識の特徴
意識 自己意識 理性 精神 宗教 絶対知
恣意的な結合
科学主義を論じた「理性章」
「啓蒙」の背景にあるのは急速な自然科学の発展
外面を分析さえすれば相手の内面が全部わかる
と言ってしまうと明らかな飛躍がある
私が例えば今感じている「美しさ」自体は
伊集院さんは感じることもできない
自然科学・脳内物質・神経反応に還元できない次元が存在する
思いなし 一方で信仰の側も「この聖書の奇跡はどこのことか❓」
など啓蒙側が「証拠を出せ」と圧力をかけるために
彼らの土俵に乗せられていく 啓蒙側が勝利を修めたのでした
「パンに過ぎないんじゃないか」という方が
漠然と幼稚なことを言っている
私たちは宗教を信じて「人間とは何か」「人生の意味とは何か」
を考えてそれによって自己理解を深めてきた
自然科学が客観的だという考えに固執すると文学・宗教・哲学
等は理解できない 「説明できないならば迷信だ」とすれば
世の中の意味はほとんど失われていく 幼稚な世界になっていく
啓蒙の「すべては物質的・実証的・データで説明
されなければならない」という考え自体が1つの❝信仰❞になっている
啓蒙は信仰 信仰は啓蒙
他者を信じるという点では信仰の方が優れていた
信頼するとはしかし信じることである ヘーゲル
信頼できる人が信じるものは信じようと思う
信頼なき相手との対話はすれ違いに終わる
お互いに信頼するものがあるからそこを考えないと会話ができない
エビデンスは信頼を築けるのではなく
信頼があってエビデンスが価値を持つ
自分たちの知こそが絶対であり
理性的に証明できないものは偽物である
このような考え方に固執する啓蒙は
他者との違いを許容できず暴走し始める
そして勃発したのがフランス革命でした
その死はしたがってひどく冷酷で、まるで平板な死なのであって、
そこにわずかに存在する意義といえば、キャベツの玉を切りさく
[ようにギロチンであたまを飛ばす]とか、あるいは
水をひと飲みするとか以上のものではないのである。
啓蒙の帰結とは?
啓蒙⇨有用性⇨絶対的自由⇨テロル
近代というのが自分たちの好きなものを信じるしかない
善悪の基準は自分にとって役に立つかどうか
「力こそが正義」という社会 無秩序状態
道徳や約束の言葉などあらゆる規範が
意味を失った状態が「絶対的自由」
啓蒙に足りない「薔薇」?!
「法の哲学」(1821年刊行)
🔶ここにローズ(薔薇)がある、ここで踊れ
🔶理性を現在の十字架における薔薇として認識し、
それによって現在をよろこぶこと。
この理性的な洞察こそ、哲学が人々に得させる
現実との和解である。
薔薇は豊かさや幸せの象徴だがそれをヘーゲルは理性と重ねている
現実の私たちの人生は幸せや苦しみなどにあふれていて
必ずしもデータや数値化によって説明できるものではない
そういう次元を大切に理性の姿を「薔薇としての理性」と呼んでいる
私たちの人生の意味は必ずしも数値やデータに還元されない
そういう次元が存在するからこそ芸術や宗教を使って表現したり
他者と分かち合ったり説明しようとしてきた
しかし そういうものを取っ払ってエビデンスや自然科学的な
知を特権視して「世界を説明できるんだ」
という在り方が今広がっている
2025年3月26日水曜日
兼題「萵苣」&中村正義&河内國平
狩りの経験積ますチーターはるぬ(晴野)
春の野や気迫で勝り撃退す
ハイエナへ食らわすパンチ春の空
春泥や命を懸けて子を守る
■ギュッと四国!家藤正人の俳句道場
兼題「萵苣(ちしゃ)」春の季語 傍題(レタス、サラダ菜など)
・ギュッと!特選
萵苣の葉の凸凹(おうとつ)は波かぜを待つ 細川鮪目
(焦点の絞り方が見事)
難しや萵苣とは何ぞ妻に聞き ひさくん
西讃に海光る数のチシャ御殿 酩綴
秀作 ばかでかい萵苣は龍神さまの萵苣 みづちみわ
佳作 お嫁さんと呼ばれるのは嫌萵苣をもむ 砂山恵子
秀作 萵苣しゃくしゃく仕事に正解が欲しい かねつき走流
秀作 ああ萵苣の水に戻ってゆく刹那 里山子
母とつみ萵苣を洗いし感謝する 高松ひろこ
(添削 母とつむ萵苣を感謝の丸洗い 萵苣が主役に立つ)
佳作 ちしゃ揉みの味よ遠き日帰らざる シクラメン
「お一人様一個限り」のレタスかな わおち
(時事句)
萵苣や今工場育ち時知らず 北美三風
(時事句 嘆きの句)
佳作 萵苣青し列車が通り過ぎて風 光矢
秀作 萵苣裂いて子の目の奥にものごころ イサク
・正人のもったいない
韻律を大切に 中七下五は音数を整えよう
ベランダの朝取ちしやサラダ美味 大西綾子
(推敲 ベランダの朝取ちしやのサラダ美味)
BLT唇纏ふ萵苣(レタス)かな 橘えいみ
(「BLT(びーえるてぃー)」で六音、「唇纏ふ」で七音、「萵苣かな」で四音
リズムがぎくしゃくしている レタスと読ませたい時はレタスと書いた方が良い)
募集中の兼題「田植(たうえ)夏の季語」
■日曜美術館 破壊と創造 中村正義・異端の素顔
無垢なものと成熟したもの聖と俗を併せ持つ
新しい思想のもとに生れた絵は誰の目にも
醜いものであったはずで醜く見えるものの中にこそ芸術がある
中村正義
私は私を破壊することに成功した
このことは私に取って新しい世界への赤い道のようでもある
中村正義
長くて3年ということ 死という恐怖から何かに集中することで
立ち向かうと言ったらよいだろうか 私はものを創ることに熱中した
中村正義
絵を描いていると ふわっと 恐怖は 私を無限の底なし沼に
引き込んでいくかのように思われた 絵を描くという行為は
行為自体 無意識の彼方に移行し… 意識は内向的に
潜在していくように思われた
中村正義
■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん【刀鍛冶・河内國平登場/奈良ロケ編】
昭和の大先輩 川内國平(かわちくにひら)の言葉
「出来る
出来る
出来る
出来る
出来る
出来る
出来る
必ず出来る」
物凄い迫力でした。素晴らしい生きざまを見せていただきました。
野村万蔵 狂言方和泉流能楽師六世
「仕事は下手がいいなぁ」
平櫛田中(ひらくしでんちゅう)
「長生きの秘伝
今日もお仕事 おまんまうまいよ
貧乏極楽 気長にゆっくり」
手を合わせ『守ってやってください』
人間国宝のお言葉もご紹介くださいました。
河内國平氏の人生に乾杯❣
2025年3月25日火曜日
兼題「スリッパ」&テーマ「さようなら/おげんきで」
生きる牛啄む烏春の空
東祖谷おいでなしてと福寿草
颯爽と最先端を創造す(小池一子 無季句)
鮮やかに生き行く女(ひと)よ山笑う
■NHK俳句 兼題「スリッパ」
選者:高野ムツオ レギュラー:中西アルノ 司会:柴田英嗣
ゲスト:庄司浩平 今井肖子 今西亮太
年間テーマ「語ろう!俳句」
今回の兼題「スリッパ」春の季語・雰囲気と合わせる
もふもふのスリッパ脱いで野に遊ぶ 今井肖子
(荒るゝ海来しこと忘れ野に遊ぶ 稲畑汀子)
涅槃西風(ねはんにし)スリッパ齧(かじ)る赤子かな 庄司浩平
スリッパに鶯餅の風が吹く 中西アルノ
(鶯餅の風 作者なりの発見・物の見方がある
鶯餅はやわらかい半円 春の山に似ている
春の山を越えて吹いてきた風とも想像できる)
足振ってスリッパ脱ぎし涅槃かな 今西亮太
(「涅槃」が「涅槃会」「涅槃図」あるいは
「入滅を心に思っていたのか」あいまい 仏の力に肖ろうとはご本人)
スリッパは羽のない鳥牡丹雪 高野ムツオ
(上五、中七は比喩 スリッパは歩かない 羽のない鳥を連想した
牡丹雪はふわふわ降ってくる この三つはぴったりし過ぎた)
涅槃(春の季語)
釈迦が入滅した日(旧暦2月15日)悟りの境地に入ること
・特選三席発表 兼題「スリッパ」
一席 弟のスリッパ正す雛の客 小栗しずゑ
二席 スリッパの夢はげんげの野を駈くる 𠮷川せい子
三席 スリッパを齧る音する春の闇 冬野(とうの)志奈
・特選六句発表
龍天に昇る我らはスリッパ脱ぐ 乃咲カヌレ
スリッパの値札をはづす春夕焼 尾﨑光洋
下駄唄いスリッパ踊り亀鳴けり 高野光司
スリッパの母の手を取り窓の梅 市川卯月
スリッパにしばしとどまる石鹸玉 西村小市
スリッパで霞む巷を高みより 川口泰英
参照:https://www.nhk.jp/p/ts/6Q6J1ZGX37/blog/bl/pLvva3ZRZL/bp/pRYqvY56AR/
■NHK短歌 テーマ「さようなら/おげんきで」
選者:枡野浩一 ゲスト/松尾スズキ 司会/尾崎世界観
年間テーマ「あなたへの手紙/かなたへの手紙」
さようならさようならまた会いましょうまた別れたらまた会いましょう
枡野浩一
松尾スズキ 談
「許す」という人間の持っている機能が働いている
未練がここまでエンタメに昇華できる 未練職人
・31音の手紙
入選九首 テーマ「さようなら/おげんきで」
二席 元気でね、ときみに言われるきみがいてくれたら元気になれるんだけど
奥村真帆
健康を祈っています。その上で僕の中では死んでください。
松下怜平
一席 空を拭くように手を振るさよならの向うが晴れでありますように
桃園ユキチ
おはようの力強さで玄関に響き渡っているさようなら
浅寝むい
もう一生会いたくないし会わないし勝手に食べてよく眠ってね
江藤芳恵
さようならでっかい犬を見るたびに連絡してくるとこが好きだった
つきこ
三席 私 生きているきみと別れることになりほんとよかった死別じゃなくて
なかた浜(半ぐれの純愛 脅し文句)
私 本文に書かれていないさよならを読み取れるくらい国語が得意
野田鮎子
私 さよならを言わないうちに死んだから縁側はまだじっちゃんの場所
水須ゆき子(墓は気持ちを修める場所)
・改悪添削
もう一生会いたくないし会わないし勝手に食べてよく眠ってね
江藤芳恵
前半では決別を伝えていて後編で相手を慮っている
矛盾した気持ちが両方描かれている
もう一生会いたくないし会わないし食欲なくせ眠れなくなれ
キレイに別れられそう 松尾
短歌はスッパリしないでモヤモヤしている状態がいい 枡野
自分という人間から相手に向けての手紙を
書くことで距離を測って橋を架ける
第三者の目を意識することが大事
橋が他人から見た時に面白くあるように
という意識を持たないと良い短歌にならない 枡野
・松尾スズキさんの短歌「さようなら/おげんきで」
ばいばいの倍のばいばいその倍ばい母にばいばい果てしなき倍
松尾スズキ
ばいばいとばいばいが つなばって「果てしなき倍」
この短歌には方言のばいも含まれている 松尾
枡野
沢山の言葉で作られた戯曲だけれど
キーワードとして心に残る言葉がいっぱいある
いろんなジャンルを横断して活動する喜びと苦しみとは❓
どれも均等にふざけている
松尾
芥川賞落ちているのも絶対そこだと思っている
枡野
松尾さんの作品を絶賛している人がいます。
でもその人が表で褒めているのを聞いたことがありません。
嫉妬心かもしれません。
松尾
後でこっそり教えて下さい
私感
松尾スズキ氏の解釈!最高でした。的外れだなんてとんでもないです。
あらゆる角度からの視点を教えていただいたように感じました。
枡野
もう一度短歌入門の本が書きたくなった
・言葉のバトン
「あい、わかりました」と払う大きな手
池上規公子(葉ね文庫)
⇩
あるけばはなびらも踏むだろう
なべとびすこ(歌人)
咲く前もさくらだったよ背景になって暮らせる才能もある
(クランクアップ なべとびすこ歌集)
2025年3月24日月曜日
こころの時代 宮沢賢治(6)
存えて悩み転がす春の月
星朧遠く離れてこそ繋ぐ
春愁う解かり合えない母息子
心閉じ先逝く息子朧月
■こころの時代 宮沢賢治
久遠の宇宙に生きる⑥「デクノボーとして生きる」
方十里 稗貫(ひえぬき)のみかも 稲熟れて
み祭り三日 そらはれわたる
病のゆゑにも朽ちん いのちなり
みのりに棄てば うれしからまし
慾ハナク決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
賢治が心配したのは、
肥料の注文が無くなる冬の間の工場経営のことであった。
そこでその年の九月には、石灰岩とセメントで
大理石のような感じのタイルを花巻でつくらせて、
その見本をトランクにつめて上京した。
病後でもあり、あまり重いものを持って上京するのはあぶないと、
家中で心配して引きとめたが、工場としてもどうしても
上京しなければならないと言って出かけたのであった。そして
東京の駿河台の八幡館という宿で高熱を出して臥床してしまった。
そこでもう死ぬ覚悟をきめて、
両親と私共に宛てて遺言状を書いたのであったが、
奇しくもそれは二年後に死んだ月日と同じ九月二十一日であった。
宮沢清六「兄のトランク」
遺言状
父上様(政次郎) 母上様(イチ)
この一生の間 どこのどんな子供も受けないやうな
厚いご恩をいただきながら、いつも我儘でお心に背き、
たうたうこんなことになりました。
今生で万分の一でもついにお返しできませんでした。
ご恩はきっと次の生 又 その次の生でご報じいたしたいと
それのみを念願いたします。
どうか信仰といふのではなくてもお題目で私を呼びだしてください。
そのお題目で 絶えずお詫び申し上げお答えいたします。
清六様
たうたう一生何ひとつお役に立てず ご心配ご迷惑ばかり
掛けてしまひました。どうかこの我儘者をお赦しください。
カノ肺炎ノ虫ノ息ヲオモヘ 汝ニ恰モ相当スルハ タダ
カノ状態ノミ 他ハミナ過分ノ恩恵ト知レ
快楽もほしからず 名もほしからず いまはただ
下賤の廃躯を法華経に捧げ奉りて 一塵をも点じ
許されては父母の下僕となりて その億千の恩にも酬へ得ん
病苦必死のねがひ この外になし
凡ソ 榮譽ノアルトコロ 必ズ 苦禍ノ 因アリト 知レ
窮すれば通ず 窮すれば通ず さりながら
こころひとつぞ 頼みなりけり
筆ヲトルヤ マヅ道場観奉請を行ヒ
所縁仏意ニ契フヲ念ジ
然ル後ニ全力之ニ従フベシ
断ジテ教化ノ考タルベカラズ!タゞ純真ニ法楽スベシ。
タノム所オノレガ小才ニ非レ。タゞ諸仏菩薩ノ冥助ニヨレ。
當に知るべし 是の處は即ち是道場なり
諸仏 此に於いて 三苦提を得
諸仏 此に於いて 法輪を轉じ
諸仏 此に於いて 般涅槃したまふ
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
参照:https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html
あるひは瓦石 さてはまた 刀杖もって追れども
見よ その四衆に具はれる 佛性なべて 排をなす
不軽菩薩
我深敬汝等、不敢軽慢。所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏
而是比丘 不専読誦経典 但行礼拝
乃至遠見四衆 亦復故住 礼拝賛歌 亦作是言
四衆之中 心不浄者 悪口罵詈言 我等不用
如是虚妄授記 常被罵詈 不生瞋恚 常作是言
衆人或以 杖木瓦右 而打擲之 避走遠住
猶高唱言 我不敢軽於汝等 汝等皆嘗作仏
あまり苦しそうなので、私はその晩二階の兄のそばで
寝むことにしたのだが、「今夜の電灯は暗いなあ。」と言ったり、
「この原稿はみなおまえにやるから、若し小さな本屋からでも
出し度いところがあったら発表してもいい。」
と言ったり、悲しいことを話したのであった。
翌日の二十一日の昼ちかく、二階で「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」
という高い兄の声がするので、家中の人たちが驚いて二階に集まると、
喀血して顔は青ざめていたが合掌して御題目をとなえていた。
父は「遺言することはないか。」と言い、賢治は方言で
「国訳妙法蓮華経を一千部おつくり下さい。表紙は朱色、
お経のうしろには「私の生涯の仕事はこのお経をあなたのお手もとに届け、
そして其中にある仏意に触れて、あなたが無上道に入られますことを。」
ということを書いて知己の方々にあげて下さい。」と言った。
父はその通りに紙に書いてそれを読んで聞かせてから、「お前も大した
偉いものだ。後は何も言うことはないか。」と聞き、兄は「後は
また起きてから書きます。」といってから、私どもの方を向いて
「おれもとうとうお父さんにほめえられた。」と
うれしそうに笑ったのだった。
以上は全生涯中最大の希望であり又私共に依託せられた最重要の任務でも
ありますので今刊行に當りて謹んで兄の意思によりて尊下に呈上いたします
宮澤清六
私がいまも目に見えるようなのは、八月になると
「困ったなあ。日が出ないかなあ。暑くならないかなあ。」
といっていた兄の顔である。
開花期に寒かったり雨ばかり続けば、必ず不作となるので、
「サムサノ夏ハオロオロアルキ」という言葉そのままのように
兄は見えたのであった。
私は永い間兄の側にいて、ある人には立派な資格だと言われ、
或る人々にはどうしても理解されないで、この世では、
まことに不幸でもあったこの持って生まれた性格を弟として
何とも出来ず全く気の毒でしかたなかったのである。
しかし賢治の性格も生涯も、他からの批判や同情などと全然無縁の、
そうしか出来得ない必然的な事実であり、結果でもあったと思う。
私の気がかりになるのは、
兄が遺言した後で父の問いに答えた言葉である。
「それはいずれ後でまた起きて詳しく書きます。」といった
そのことばについてである。私にはあのときの兄の目の色などから
考えあわせると、あの言葉にはもっと深い意味が
籠められていたように思われ、賢治の将来への悲願とか誓願が
籠められていると考えていいと思うのである。
「また起きて」という言葉の奥には「また生まれ変わって」
という意味があるように私には思われ、もう案外賢治は
あこがれの土地に生まれ変わって、「また起きて詳しく書きます。」
ということばを実行に移しているのではないかと、
子供の考えるようなことを思うのである。
宮沢清六「兄のトランク」
2025年3月23日日曜日
あの人の会いたい 梅原猛
ペンタゴン大量解雇春曙(しゅんしょ)かな
春の米バイオベンチャー身売りせり
米企業イーロン嫌い中国へ
春はやち関税上げて作る敵
■あの人に会いたい 梅原猛(哲学者)
2019(平成31)年 93歳没
日本人が哲学するには西洋と東洋を勉強してそして一つの体系を作る
「こういうふうに人生 生きるべきだ」というふうな そういうことを
語るべきだと思うんです
新しい真実を言うことはある意味では世界全体を敵にすることです
今までそういう常識で みなさん やってたわけでしょう 学会も
それを「その常識が間違っている」って「俺の今 言っていることが
正しいんだ」というのは世界全体を敵にすることです
1999年 文化勲章受章
周りの人は全部 もらいっ子だと知っているんだけど
私一人に知らされていない 私のものを書いてゆく姿勢の中に
「この世の中は虚偽だ」という意識があって 自分の
書くものだけが真実なんだ という考え方がどっかに
心の中にあるような気がします まあひと口で言えば
「戦争でどうせ死ぬんだ」だから死ぬ前に「人生とは何か」
ということを僕なりに突き詰めて死にたい
日本はどうして出来たのか これ本当に研究されていないんです
それは人類学から考古学 それから宗教学 言語学 そういう人が
寄ってたかってやっぱり日本は「どうしてこの国は出来たのか」
「この国の特徴は何なんだろうか」西洋人が知りたがっていることは
能やお茶のような文化を持ってる日本人がなぜこんな近代社会を
こしらえたか そこに近代社会を出来たのと日本文化はどこかで
深いところでつながっているに違いない
縄文土器というのは世界最古の土器です 縄文時代というのは
1万2000年前から始まるんです それから約2000年前まで
続くんです 1万年続いているんです 日本では農耕が
入ってくるのは比較的遅くてわずか2000年の伝統しかない
私は日本は今までずっと農耕文化として見てきた
これは間違いではないかと思う だから私は日本文化を
楕円状に考えて一つが縄文文化 もう一つは弥生文化
この楕円状に考える森の文化と田の文化 そして田の文化は
森の文化を多分に残していると思う
人間中心主義だな デカルトは「我思う故に我あり」って
「我」が大切なんだ 「我」が世界の中心なんですよ
数学的法則によって自然の法則を明らかにすることによって
「人間は自然を支配出来る」と自然支配の倫理だと思うんですね
科学技術文明を作って自然支配
人間支配の”意志の文明“をつくった
そういう”意志の文明“の権化が原子力じゃないか
西洋哲学の原理を超える現代文明を超えるような
新しい文明の原理が日本の思想の中に潜在しているのではないかと
2011年「東日本大震災復興構想会議」発足
特別顧問として持論を展開
私はこの災害は天災であります 同時に人災という面もあります
けれどそうじゃなく私は文明災です 文明が災害を起した
基本的に「自然を征服していく」という考え方でなくて
やっぱり自然と調和していく自然と仲良くしていく
動植物と仲良くする そういう文明に変わらないと
人類の文明の持続的発展はあり得ないんじゃないか
日本の文化というのは中心は「草木国土悉皆(しっかい)成仏」
草や木は全部命があってそれが仏になる 仏性があって
仏になるそういう思想です 草木と人間とが共存していく思想です
自然の中で生きてきた狩猟社会の人間たち やっぱり
自然の中 至る所に神様がいる そういう考え方になるんじゃないか
それはやっぱり 木を一本切るとまた必ず接ぎ木をして そして
木の神様に「どうかまたお願いします」って循環これが日本思想の
根柢でやっぱり共生と循環 これからは共生と循環という
考え方が人類の思想にならなくちゃならない
そこが日本人の救いです 東北の人でああいう災害を受けながら
やっぱり 助け合ったです あれは外国の人にとっては驚異だった
ああいうことが起こると略奪行為やいろいろなことが起こるのが
普通なんです ところが みんなひどい被害を受けても助け合った
というところに なにかそこに 日本の故郷があるような気がする
日本人は 私は大いに希望があるというふうに思います
梅原猛さん 人はいかに生きるべきか?問い続けた93年の生涯でした
自然と調和していく 自然と仲良くしていく 動植物と仲良くする
そういう文明に変わらないと人類の文明の持続的発展はありえない
2025年3月22日土曜日
あの本、読みました? 哲学の本
しなやかな風よ陽射しよ春の情
耳澄ませやぶの求愛春の鵙(もず)
夕陽背に新芽啄む百千鳥
ひらりひら顔に着陸春の雪
今生きているということ月朧
■あの本、読みました?人生が楽になる【哲学の本】オススメ入門書10選!
しんめいP 千葉雅也
鈴木保奈美 角谷暁子 林祐輔P
「花は泡、そこにいたって会いたいよ」の一文 初谷むい著/書肆侃侃房
イルカがとぶ イルカがおちる
なにもいってないのに きみが「ん?」と振り向く
ふるえれば 夜の裂けめのような月 あなたが特別に したんだぜんぶ
「東大理三の悪魔」の一文 幸村百理男/宝島社
「僕はいつも不思議に思う。なんで人間が頭の中で考えて数学が、
この世界を支配する物理法則と繋がるのか。
ニュートンの時もそうだったけど…」
(中略)
僕は少し後退し、彼女に質問した。「ねえ、ところで君の名前は?」
「ボクは間宮。よろしくね。君と同じ理三の一年生」「え『ボク』?」
「何か?」「いや、全然」慌てて首を振った。
「個性的で良いと思う…」彼女は肩をすくめた。
まずはここから!哲学の本
「センスの哲学」千葉雅也著/文藝春秋
「自分とか、教養としての東洋哲学」しんめいP著/サンクチュアリ出版
いま哲学本が求められている理由は?
●初心者におすすめの哲学の本 10選
・「禅とジブリ」鈴木敏夫著/淡交社
・哲学史入門 古代ギリシャからルネサンスまで
千葉雅也, 納富信留, 山内志朗, 伊藤博明, 斎藤哲也著/NHK出版新書
・「ゼロから始めるジャック・ラカン」片岡一竹著/ちくま文庫
・反応しない練習あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」
草薙龍瞬著/KADOKAWA
「禅とジブリ」の一文 鈴木敏夫著/淡交社
細川 ジブリ作品には、禅僧としても学べることがたくさん詰まっています。
禅で、梁の武帝が「お前は何者だ」と達磨さんに訊くと、達磨さんは
「不識(わからない)」と答える、という問答があるんです。
「もののけ姫」を観ていて、ハッとしたんですね。「もののけ姫」に、
モロというヤマイヌのキャラクターが出てくるのですが…。
あ、鈴木さんに言うのもおかしいですね。
鈴木 ははは。ちょっと知っています
細川 モロが主人公の少年アシタカに「お前にサンを救えるか」と
訊く場面がありますよね。ヒロインが救えるか、と。
アシタカは「わからぬ」と答えるんです。このセリフに
禅問答のような深いものを感じたんです。
鈴木 へえー。なるほど
「反応しない練習」の一文 草薙龍瞬著/KADOKAWA
悩みの始まりには、きまって”心の反応“があるのです。
心がつい動いてしまうことーそれが悩みを作り出している
“たった一つのこと”なのです。だとすれば、すべての悩みを
根本的に解決できる方法があります。それはー
”ムダな反応をしない“ことです。
「自分とか、教養としての東洋哲学」しんめいP著/サンクチュアリ出版
東洋哲学に魅力を感じた理由
ブッダ 王子時代なら、教室のはしで窓の外を眺めているタイプ。
龍樹 クラスメートはおろか先生まで論破する、超面倒なタイプ。
老子 そもそも教室にいない。校庭で草と同化している。
荘子 一度たりとも学校に来たことがない。
達磨大師 無言。教室の後ろの壁に向かってずっと座っている。
親鸞 テストでわざわざ0点をとりつづけて退学になった。
空海 クラスの中心にいる人気者だっただろう人。
達磨大師 伝説のセッション
皇帝(イメージ)
「自分とか、教養としての東洋哲学」の一文
しんめいP著/サンクチュアリ出版
皇帝はといかけた。
「わし、寺を1000個たてたんだよね」
「これ、めちゃくちゃご利益あるよね?」すごい。寺、つくりすぎ。
ご利益あるでしょ。「ある」っていえば、皇帝よろこぶよ。
禅を広げる大チャンスだよ!しかし、達磨大師は、こう答えた。
「ない」(中略)
でも、皇帝はオトナだった。たしかに「ご利益があるよね?」は
ちょっと「浅い」質問だったわ。
きりかえて、もっと賢い感じの質問にした。
「仏教で一番大事なことって何だと思う?」
ナイス質問。達磨大師は、仏教を伝えにきたのだ。
「さっきの無礼は許すから、すきなだけ仏教かたりなはれ」という、
大者の余裕。皇帝からの、最高のパスが、達磨大師に通った。
あとは、ゴールを決めるだけ。「仏教で一番大事なこと」
それは一体、なんなんだ。達磨大師の答えはこうだった。
「そんなものは無い」
「荘子 内篇」荘子著福永光司 興膳宏訳/ちくま学芸文庫
「反哲学入門」木田元著/新潮文庫
「現代思想入門」千葉雅也著/講談社現代新書
「現代思想入門」の一文 千葉雅也著/講談社現代新書
現代思想は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、
秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する
それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです。
有名な「盗んだバイクが走り出す」という歌詞がありますが、
あれはかつて、がんじが搦めの社会秩序の「外」に出ていくという
開放的なイメージで捉えられていました。ところが今日では、
「他人に迷惑をかけるなんてありえない」という捉え方が
けっこう本気で言われているようです。
そういう解釈は当初は冗談だったのですが。
現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで
考えられるようになります。
単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で
捉えられるようになるでしょう。
「大河の一滴」五木寛之著/幻冬舎文庫
「大河の一滴」の一文 五木寛之著/幻冬舎文庫
最近の免疫学のいちばん興味ぶかい点は、生物の免疫系に
〈寛容〉という活動を発見したことでしょう。自己と非自己が、
お互いに拒絶せずに、なんとか折りあって生きていこうとする
動きを、免疫学で〈寛容=トレランス〉という。
(中略)
〈寛容〉とは許すこと、欠点を認めることであり、そして、
激励ではなく、慰めであるとぼくは考えます。つまり、
がんばらなくてもいい、がんばれないひとにがんばれなんて
言うことはないよ、ということです。
深刻に落ち込むこともまた、人には大事なのです。
「ソフィーの世界」ヨースタイン・ゴルデル著
須田明監修 池田香代子訳/NHK出版
「あなたはだれ?」ソフィーはたずねた。やっぱり返事はない。
けれどもソフィーは、今たずねたのは自分なのか、それとも
鏡の女の子なのか、一瞬わからなくなってしまった。
ソフィーは鏡の顔のまんなかを指さして、言った。
「あなたはわたし」返事がないので、今言ったことを
ひっくり返して言ってみた。「わたしはあなた」
「超訳 ニーチェの言葉 エッセルシャル版」
フリードリヒ・ニーチェ著 白取春彦訳 ディスカバー・トゥエンティワン刊
116 人をはずかしめることは悪だ
誰かを恥じ入らせることは、明白な悪の一つだ。
悪人は人をはずかしめる。盗みも殺しも、人をはずかしめことだ。
暴力はもちろん、小さな喧嘩においてさえ、
相手をはずかしめる言葉を使うものだ。
自分が悪を行なえば、それは自分をはずかしめるばかりでなく、
恋人を、親を、友人をもはずかしめることになる。
さらに、人間存在そのものをはずかしめている。
だから、本当に自由に生きている人間とは、どんな
ふるまいをしても恥じ入らない境地に達した人間のことだ。
彼はもちろん他の誰をもはずかしめることもない。
「悦ばしき知識」
ニーチェは哲学における太宰治
●
「歌集 ゆふすげ」の一文 美智子著/岩波書店
昭和四十四年 少年
さわやかに緑萌えたつ林にて少年はうなじ見せて物読む
平成二十九年 卒業
思はざる鶯の声も聞こえ来て今日晴れやかにうまご卒業す
「ゲーテはすべてを言った」の一文 鈴木結生著/朝日新聞出版
ああなるほど、愛に関する名言を集めたティー・バッグなんだ、
と統一がすっかり酔いの回った頭でぼんやり思いながら、
特段自分のものを確認しようとすることもない。
そんな統一に、娘は当然、「パパのは?」と尋ねてくる。
「ん…」父親は娘に若干のコンプレックスを抱きながら、
ドイツ訛りの(と彼は主張するが、実は単に学生時代から
不得意なだけの)英語で読み上げた。
「『Love dose not confuse everything but mixes』」
「誰の言葉ですか?」義子が尋ねる。
統一はそれには答えず、ただ、タグを示すに留める。
件の文章の下には「Goethe」の字。
「わ!」妻と娘が顔を見合わせて驚いた。
それから、「やっぱすごいねえ」と二人して散々統一を
ほめそやす。徳歌など調子よく、「パパ、ゲーテと赤い糸で
結ばれているんだ」と持ち上げた。42:48
千葉雅也が語る「センス」の本質とは❓
センスは良くできるもの?
「センスの哲学」の一文 千葉雅也著/文春文庫
センスという曖昧な言葉で言われているのはどういうことなのか?
服のセンスが良くても音楽選びのセンスはいまいちだ、
などと言われることがあります。
これまた、センスのトゲの話ですね。「あの人、服はカッコいいのに
音楽のセンスはなあ」とか。「あるものについてセンスが良ければ、
他のことでもセンスが、良くてもいいはずなのに…」
という期待があるかもしれません。なにか「すべてに共通するような
判断力」を持っている人、というふうに、総合的に褒めるときに
センスがいいと言われることがあります。すなわち、
センス:直感的で総合的な判断力、というわけです。
「センス」とは何か❓
「センスの哲学」の一文 千葉雅也著/文春文庫
まず、餃子を口に入れたときに熱の感じがある。熱い。
表面のパリっとした感じ。嚙むと、皮が割れて中の柔らかい部分へと
進むわけですね。まず最初に強い熱と、カリカリ感という刺激があって、
そのあと柔らかさに向かって緩和し、次の肉の味、ニンニクの味と
いくつかの味が同時に入ってくる。タレのことも忘れてはいけませんね。
醤油の味がメインなんだけれども、酢の酸味と鼻にツンとする
感じがあり、ラー油の辛みもある…。
というように、大きく言えば、強い刺激と穏やかな刺激とに二分できますが、
それがさまざまに交代し合って強い「バンッ」と弾ける刺激と
より穏やかな「ツー」とでも言える持続的な刺激がリズムになる。
「バンッ、ツー、バンッ、ツー…」みたいな感じですね。
餃子のリズムは複雑で、多層的に絡み合って展開していきます。
音楽ですね。餃子は音楽なんですよ。
センスをよ良くする「リズム」とは❓
千葉雅也三部作読む順は❓
『勉強の哲学』『現代思想入門』『センスの哲学』
キーワードは「差異(70~80年代」
私小説の脱構築三部作
『デッドライン』『オーバーヒート』『エレクトリック』
2025年3月21日金曜日
新古今和歌集&初恋&血流低下を招く生活習慣
遍路宿重い想いを受け取りて
島四国思考回路は輪っかなり
遍路傘無駄なルートで出会う人
遍路道やりたいことが見つからず
■10min.ボックス古文・漢文 新古今和歌集
全20巻 約1980首 後鳥羽上皇
八代集
古今和歌集
後撰和歌集
拾遺和歌集
後遺和歌集
金葉和歌集
詞花和歌集
千載和歌集
新古今和歌集
見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけん
後鳥羽院
3夕(さんせき)の歌
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮
藤原定家
和歌の世界の発展
本歌取り
花さそふ比良の山風吹きにけり漕ぎゆく舟の跡見ゆるまで
宮内卿(くないきょう)
本歌
世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぐゆく船の跡のしら波
「拾遺和歌集」哀傷 沙弥満誓
見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となに思ひけん
後鳥羽院
「枕草子」
秋は夕暮れ。夕日のさして山の端 いと近うなりたるに
鳥のねどころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど
飛びいそぐさへあはれなり。
春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空
藤原定家
源氏物語 最終巻「夢浮橋」(悲しい恋が描かれている)
横雲の空と終わることを体言止めといい余韻を感じさせる
峰に別るるは本歌取り
本歌 風吹けば峰にわかるる白雲の絶えてつれなき君が心か
「古今和歌集」恋二 壬生忠岑
このような深い味わいを「余情(よじょう)」という
女性歌人 恋の歌
式子(しょくし)内親王 40首が集められている
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする
式子内親王
旅の歌
年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山
西行法師
編さんに込められた思い
貴族の時代から武士の時代へ
承久の乱
■10min.ボックス現代文 初恋(島崎藤村) 明治29年発表
まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に人こひ初めしはじめなり
わがこころなきためいきのその髪の毛にかかるとき
たのしき恋の盃を君が情に酌みしかな
林檎畠の樹(こ)の下におのづからなる細道は
誰たが踏ふみそめしかたみぞと問とひたまふこそこひしけれ
島崎藤村(1872-1943)「若菜集」に掲載
ついに新しき詩歌の時は来たりぬ。(「藤村詩集」序)
近づく二人の距離
「恋愛」が新しかった時代
坪内逍遥「当世書生気質」(明治18~19年)
■「元気の時間」より
血流力低下を招く生活習慣
食物繊維が足りない
肉、魚をあまり食べない(蛋白質不足)
甘いものをよく食べる(間食が多い)
運動不足・筋力不足
座っている時間が長い
塩分が多い
睡眠不足
ストレスの多い生活
ストレス
自律神経の乱れやストレスホルモンや
血管内皮細胞の機能を低下させる
① 朝の蛋白質の目安
卵(1個) 6g
納豆(1パック)8g
豆腐(100g) 7g
青魚(100g) 21g
血管内皮細胞機能を改善させる食品
胡桃(オメガ3脂肪酸がコレステロール値を正常に保ち血流をスムーズにする)
トウモロコシ(全粒穀物 玄米と同じ)
② 足の筋力を上げる
スクワットで足の筋力を上げる(足元の血液を心臓に押し上げる)
2025年3月20日木曜日
100分de名著 ヘーゲル❝精神現象論❞②
花遍路希望を見つけ離れゆく
青き空悩みと共に遍路傘
笑みと笑み見返りのないお接待
遍路杖四国で心救われて
■100分de名著 選 ヘーゲル❝精神現象論❞②
論破がもたらすものー「疎外」と「教養」
斎藤幸平 伊集院光 阿部みちこ
今回のテーマはずばり「なんでも論破したがる人」
世の中の矛盾を鋭く突いて痛烈に批判する実にスカッとしますよね
でもヘーゲルは「精神現象学」で このような
「ああ言えばこう言う意識」を持つことをこう批判しています
自己自身をも他者たちをも欺くものとなるのである
❝精神現象論❞目次 意識 自己意識 理性 精神 宗教 絶対知
精神とは?
人々の意識はどのように精神として統一され発展していったのか
こうしてすでに精神の概念が、
私たちに対しては目の前に存在している。
これからさき意識に対して生成してくるものは、
「精神とはなんであるか」をめぐる経験である。
つまり精神とは絶対的な実体であって(中略)それぞれに存在する
自己意識という対立が存在し、おのおのがかんぜんな自由と
自立性をもちながらも、その対立が統一されている。
絶対的な実体である精神とはすなわち、
「私たちである〈私〉であり、〈私〉である私たち」なのである。
私の判断は精神に反映される様々な価値観や世界観に規定されている
同時に私たちの世界観や価値観を生み出しているのは誰かといえば
「日々の私」なのである
私たちの日々の判断や行為を通じて実態も変わっていく
精神が歴史的に発展していく その歴史を描いたのが「精神章」
一番近いのは「空気」ではないか 伊集院光氏
空気は自分たちが生み出しているから
私たちは意識的に変えていくこともできる
精神の変容 伝統的規範 教養
私たちの意識は2つの矛盾する選択肢に直面する
それが国権と財富です
国権はいわば国家のことで社会の秩序を保つことを重視する
財富は資本主義に基づく経済活動を重視し
「個」の自由を尊重する
対立しあうようにみえて相手なしには成立しない
経済の繁栄なくして安定した国家は築けない
国家の保障なくして自由な経済活動はできない
見方や立場によって善悪の評価が変わる
近代社会の特徴
伝統的な地位や規範が崩れていく時代
自分で善悪を判断できるようになった
規範と一心同体の状態から離れていくこと
ヘーゲルは「疎外」と呼んだ
絶対的に善いことや絶対的に悪いことはない
教養の意識とは?
陶冶(とうや)・形成
自然的な欲望を捨ててよりよい姿を目指していく
伝統的な価値は近代社会において崩れ去っているので「人それぞれ」
それが社会を不安定化させる要因にもなる
国権 財富
秩序の維持こそ善とする立場 善 悪
経済成長こそ善とする立場 悪 善
(どちらの意識も)よりよい社会を目指すが
判断基準が異なると真逆からぶつかってしまう
多角的に見て行くことができるようにならないといけない
物事の善悪は見方ひとつで変わるので視点論点を次々と変え
相手を論破するための主張を延々と繰り出す
それはつまり一般的な欺罔(ぎもう)であって、自己自身をも
他者たちをも欺くものとなるのである。このような欺瞞(ぎまん)を
口にするとは恥知らずなことであるが、その無知こそが
まさにそれゆえに最大の心理なのだ。
ラモーの甥 哲学者(私)
徳や哲学は万人のために作られたものでしょうかね❓
そんなものは、もてる奴がもち、保存できる奴だけが
保存するもんです。(中略)いい酒を飲み、うまい料理を
たらふく食い、きれいな女どもの上を転がりまわり、
やんわりした蒲団に休む!それ以外、すべては空(くう)の空ですよ。
論破とは❓「エスプリに富んだ会話」
論破の先にあるもの
実体(規範・ルール)
固定されているもののいっさいが解体し、すべての契機をつうじて、
その契機が世界が現に存在していることにかかわるかぎりで引き裂かれ、
骨という骨にいたるまで打ち砕かれているという感情である。
私たちは他者の意見も踏まえながら新しい価値観を
作らなければいけないが教養の意識には価値観を
固定化するための姿勢が欠如している
論破合戦から何も生まれない 伊集院光氏
論破は相手を黙らせることはできるかもしれないが
相手が納得し説得されているかというと否定的な
感情だけが残る 社会は分断されていく 教養の意識の限界
今回のポイント
近代がもたらした疎外はポジティブなこと
私たちは社会で前提と自明視されているものを
反省的に捉え自由な価値観を表明できるようになった
ただし自由な価値観は人によって様々なので
ぶつかり合ったり善悪が容易に反転してしまい
行き過ぎるとなんでも疑うようになり
社会の常識・規範・ルールが崩れてしまう
どうやって疑うと同時に新しいルールや価値観を
固定化していくことができるのか❓が問題になってくる
2025年3月19日水曜日
「垣繕う」&「蛙」&火恋し&黒田官兵衛&田沼意次
ひきこもる四人の遍路焼山寺
吾を探す二百万歩や遍路道
青き空染みる優しさ島四国
■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「垣繕(かきつくろ)う」
垣とは垣根とかの垣になるわけです
北国で見られる季語のようです
特に雪深い地域ですと冬の間に沢山雪が降るものですから
その重みにやられたりそして風の勢いによって家の間の
仕切っている垣が崩れることがあるそうなんです
それを春になって雪も少なくなり繕っていくという
そういう季語なわけです 南国に住んでいる人間からすると
壊れたものを補修する作業というのはマイナスイメージで
見がちな季語なんですけれども 歳時記の解説によりますと
春が訪れた喜び これからその気持ちのいい季節に向かって
進んでいくための前向きなものとして捉えられている側面が
大きいようです。日本列島も細長いですからね
所変われば言葉の捉え方も違う そんな実感を与えてくれます
■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「蛙」
「蛙」この漢字一文字で
「かわず」とも「かえる」とも読めます
どちらの読み方も正解ではあるのですが
春の季語としては「かわず」として扱うことが多いようです
結構この「蛙(かわず)」という季語は歴史がありまして
万葉集の時代には河鹿(かじか)のことを「かはづ」と
言っていたのではないかというような説もあります
そうするとこの「蛙(かわず)」といった場合には
鳴き声そういう音の要素も多く含むのではないか
という考え方もあるようです この「蛙」に付随する季語は
様々ありまして中には夏の季語になっている蛙の仲間と
いうのもあるのですね 例えば「雨蛙」「青蛙」などは
夏の季語として分類されています 単純に「蛙(かわず)」
とだけいった場合は春の季語になること覚えておきましょう
■夏井いつき俳句チャンネル
【一句一遊】お便り紹介11【「火恋し」の音数の話】
火恋し(ひこいし)
「晩秋、秋冷えの日が続く頃、日が恋しくなってくること」(秋、人事)
俳句は韻文
火恋し祖母が歩きし遍路道 古賀まり子
1拍分は空ける、または、助詞を補って5音を整えている
散らばれるものをまたぎて日短か 冨安風生
(日短し、温かしが終止形)
■偉人・敗北からの教訓
第83回「黒田官兵衛・名軍師の糧となった若き日の失敗」
官兵衛が大出世できた理由
一優秀 二先見の明 三判断力 信の置ける人物であった
黒田官兵衛 敗北の伏線
主君を超え独自の人脈を築いた
自信を持ちすぎるのは要注意
認められなかった
信長に嫌気がさした
将軍・足利義昭による調略
大阪本願寺との密約など
一織田政権と接近し過ぎ 二過度な自負心 三人間洞察の甘さ
黒田官兵衛 敗北の瞬間
「当たって砕けろ」の考え方は危険
あらゆる可能性を考える
黒田官兵衛の敗北から学ぶ教訓
人間洞察力を磨く
■偉人・敗北からの教訓
第84回「田沼意次・商業重視の経済政策の果て」
田沼意次の敗北の伏線
物事がうまくいっている時は自制心や警戒心を緩めることのないように
田沼意次 敗北の瞬間
周囲の笑顔の裏には成功を妬む思いがあることも忘れぬよう
江戸の狂歌で歌われた
白河の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき
田沼意次の敗北から学ぶ教訓
行き過ぎは禁物
2025年3月18日火曜日
あの本、読みました? 祝!直木賞・伊与原新氏
陽炎や想い集めてアプリケへ
一針に祈りを込めて風光る
亀鳴くや嫌な思いはさせませぬ
うららけし優しさくれた母でした
春の月された意地悪許すまじ
■あの本、読みました?
祝!直木賞・伊与原新をたっぷり1時間「宙わたる教室」秘話
伊与原新 鈴木保奈美 角谷暁子 林祐輔P
科学と人間ドラマの織りなす物語
5つの話をおさめた短編集
日本各地を舞台にその土地特有の歴史や自然に科学を融合させた作品
第172回直木賞「藍を継ぐ海」で受賞
「八月の銀の雪」伊与原新著/新潮文庫
2020年第164回直木賞候補作に選ばれる
直木賞を受賞した気持ちは❓
家族はどんな反応だった❓
鈴木保奈美女史が好きだった作品
山口県の島で萩焼に絶妙な色味を出す伝説の土を探す元カメラマンの物語
林祐輔Pが好きだった作品
星隕つ駅逓
北海道の小さな町が舞台 年老いた父親のために隕石を拾った場所を偽る女性の物語
「いや、だからって」慌てて首を横に振る。
「そんな大それた嘘、ついていいわけない」
「見つけた場所をそのとおりに伝えたら、この隕石は
「白滝隕石」になっちゃう。そんなこと、させない」
目を見開いた涼子が、喉を絞るようにして言う。
「これは私が『野(や)知内隕石』にする」「――だめだ、絶対」
「あたしやる。信吾が何と言おうと。あそこにお父さんの郵便局が、
野知内郵便局があったってことを、この隕石に残す」「無茶言うな!」
「怖いのよ!」涼子は小さく叫び、椅子にへたり込んだ。
「お父さん、掃除してないだけじゃなくて、洗い物も、洗濯物も
たくさん溜めてた。汚れた下着を何日も着たりして、だんだん
身の回りのことに構わなくなってる。気力がなくなっているんだと思う」
(中略)
「せめてそれぐらい、いいじゃない。ずっと頑張ってきた
お父さんから、全部取り上げてしまわなくたって、いいじゃない。
野地内の名前ぐらいどうにかして残してあげないと、
お父さんまで消えちゃう気がして、怖いのよ」
「藍を継ぐ海」はなぜ直木賞を受賞できた❓
加藤彩子 川上祥子 宮本貴史 長尾洋一郎(講談社)
「十角館の殺人」綾辻行人著
ミステリーではこの作品が最高峰だと伊与原新氏
「お台場アイランドベイビー」で作家デビュー
(その時に尊敬する綾辻行人にかけられた言葉に支えられた)
「お台場アイランドベイビー」伊与原新著/角川文庫
椚(くぬぎ)のそばに、二階から黒い物体が降ってきた。
それは黒装束に身を包んだ男で、柔らかく膝を折って着地すると、
その反動を利用するようにして、左端にいた協力隊員に向かって
伸び上がる。フックのような軌道を描いてしなやかに伸びた
黒い男の右手でナイフが一閃(いっせん)したかと思うと、次の瞬間、
兵士はくぐもった呻き声を上げ、
頸の右側を手で押さえながら片膝をついた。
隣りの隊員が慌てて機関銃を男に向けたが、男の右腕は返す刀で
さっきと逆方向にしなり、刃渡り二十センチほどのナイフが
兵士の頸を右から左にかき切る。
細かい描写が多い理由は❓
「東大に名探偵はいない」の一文
伊与原新・市川憂人・新川帆立・辻堂ゆめ・結城真一郎・
浅野皓生/KADOKAWA・イッセー尾形・小林虎之介
「アスアサ5ジ ジシンアル」より
地震というのは、地下の震源断層の破壊すべりが引き起こす現象だ。
そのすべり始めからすべり終わりまでの地表の揺れを、
地震計は地震波形として克明に記録している。地震波の研究が
進んだ現在、ある考え方が広く受け入れられつつある。
地震の大きさは、破壊すべりの開始時点では“まだ決まっていない”
可能性が高いのではないか、というものだ。事実、M9の
巨大地震の地震波形とほぼ同じ場所で起きたM5の波形を比べても、
最初のコンマ数秒だけを見れば両者に明確な違いはない。
専門的な表現を使うこだわりは❓
「ブルーネス」43歳で出版
津波についてのメカニズムとか対応策が詳細が記されている 必読本
「月まで3キロ」の一文 伊与原新著/新潮文庫
「知ってました?」運転手が三たび言った。ハンドルをきちんと
両手で握り、視線は正面を向けている。「月ってね、だんだん地球から
遠ざかってるんですよ。」月が遠ざかる。ぼんやりした頭で
うそみたいな話だと思った。「びっくりでしょ。でも本当なんです。
月は一年に三・八センチずつ、地球から離れていってるんですよ。」
(中略)
「ですから、太古の月は、もっと大きく見えたんです。やっぱり、
人間なんてまだいない時代の話ですけどね。今、月までの距離は
だいたい三十八万キロです。それが、四十億年前より昔、
つまり地球と月が生まれて間もないころは、その距離は今の半分以下
でした。地球から見える月の大きさは、なんと今の六倍以上」
登場する音楽はイメージしている❓
「オオルリ流星群」大人の青春物語
ジャコビニ彗星が鍵 ジャコビニ彗星の日/松任谷由実
「宙わたる教室」伊与原新著/文藝春秋
ドラマは科学だ!イッセー・尾形
科学から照射された人間関係
科学好きの心を消さずにくすぶり続けさせてくれます
「宙わたる教室」の一文 伊与原新著/文藝春秋
悪いけど、今日は帰ってくれ。俺たちこれから、実験やるんだよ」
「あ?」さすがに三浦の目つきも険しくなる。「何なのガッくんまで」
すると後ろの朴が、「いいよ、もう行こう」と言った。
三浦は舌打ちして藤竹をひとにらみし、勢いよく原付を発進させる。
去り際にまた朴が振り返り、真顔で「ヒムネ、ガッくん」と言った。
その後ろ姿を見送りながら、藤竹が訊く。「『ヒムネ』というのは、
どういう意味ですか」「『頑張れ』だよ、確か」
2025年3月17日月曜日
兼題「田楽」&テーマ「書く」
春鳥や雨に向かって飛行せり
残る鴨家族とともに田宮川
春まけて穴あく前の手ぬぐいよ
■NHK俳句 兼題「田楽」
選者:木暮陶句郎 ゲスト:柳原尚之 司会:柴田英嗣
年間テーマ「季語を器に盛る」
「楽しくなければ俳句じゃない」
をモットーに33年間俳句を続けてきました
NHK俳句の選者になっていました 俳句との出会いに感謝
木暮陶句郎
「田楽」は春の季語 木の芽田楽 「木の芽」は山椒の若い葉のこと
それを練り込んだ味噌 春の香り
田楽の名句
田楽のみそにくつゝく桜かな 小林一茶
(落花 色彩が豊か映像も見えてくる 江戸時代の花見の風景が広がる
200年前の現実が目の前にあるように見える
花見しながら田楽を焼いている浮世絵がある
花見ではよく田楽を食べていた 柳原
「田楽」には五穀豊穣の願いが込められている
籾殻(もみがら)と一緒に燻(いぶし)焼にする陶芸手法
備前焼 田んぼの底の土を使っている 日本の米文化にリスペクト
江戸料理で「桜」と付く料理は「タコ料理」
タコで「桜」を表現し句に合わせた 柳原
・特選六句発表 兼題「田楽」
田楽の店のテレビの古いこと 伊部一郎
田楽を縦に出されて横に食ふ 大岩真理
(田楽箱)
でこぼこのすりこぎ長し田楽屋 須加信子
(山椒には殺菌作用がある すりこぎはちびるので長いのを調達する)
田楽や母子ぐらしの子に白髪 橋田敬子
(ドラマが想像できる一句)
田楽のまづ湯気を食ふ朝市場 中山真希
田楽の味噌に火の香の残りたる すずきなずな
・特選三席
一席 還暦の看板むすめ田楽屋 蜘蛛野澄香
二席 田楽のただただ黒き秘伝味噌 堀邦翔
(歴史の美味しさ)
三席 母許(ははがり)のピリリと辛し味噌田楽 守口幸子
・俳句やろうぜ 若手俳人探査隊長 黒岩徳将
塩谷人秀(29) 俳句歴10年 水産庁勤務
俳句同人誌「KENOBI」クロイワとはじめる
「KENOBI」とは蹴伸び 手足をまっすぐ伸ばして進む水泳方法
メンバーは小川楓子 寺沢かの 塩谷人秀 黒岩徳将
「紙冊子」&「Webサイト」で活動
同人誌の内容
小田原漁港 句を詠む
散財や魳(かます)一本刺しヒヒヒ 塩谷人秀
クロイワ推しの一句
考へろ繋がりさうな蔦と蔦 塩谷人秀
・味噌焼けてけむり舞うなり田楽火 柳原尚之
添削(焦点がずれていっている 映像が見えてくるようにする)
味噌田楽炙(あぶ)ればけむり舞ひにけり
・木暮陶句郎 返句ではなく挨拶句
水温む美味研鑽の包丁に 陶句郎
けんさん焼き おにぎりの上にしょうが味噌や甘味噌などを
ぬって焼いた新潟県の郷土料理
・柴田の学び
3月 食べたら歳時記みてみよう
■NHK短歌 テーマ「書く」
選者:大森静佳 ゲスト:小川洋子 司会:尾崎世界観
年間テーマ「❝ものがたり❞の深みへ」
歌に❝ものがたり❞あり
・入選九首 テーマ「書く」
一席 惑星って「或る日心が生まれる」と書くんじゃないかなまたまごとく
亀田巧
筆圧を知りたい きみが金曜の夜にいきなりくれたメールの
伊藤すみこ
二席 一生にいくつ君の名書けるだろう花のおはじきいっぱいに咲く
小林ほなみ
三席 本心が書けなくなった「し」と打てばだいたい予測されるおかげで
宮本魁(かい)
ライオンの筆圧だった友だちが世界を巡る医師になるまで
鳥原さみ
私 風のやうに時間がわれを追ひ越して「敬老の日」に図書券届く
中門和子
何回も消すたび霧は濃くなって飛び立つことのできない手紙
広木登一(とういち)
書けなかったものがふうわり糸くずとなりて浮遊す朝日の部屋に
小野寺寿子(ひさこ)
読めるけれど書けない文字のようだったきみと見ていた夕焼けの色
真島朱火(しゅか)
・ものがたりの深みへ
アンネの日記
戦時下の不安や家族との関係 成長する少女の心情
わたしは書きたいんです。いいえ、それだけじゃなく、
心の底に埋もれているものを、洗いざらいさらけだしたいんです。
小川洋子
物を書き始める原点 言葉で何か書くと
いうことは人間を自由にしてくれる
アンネ・フランクの記憶 小川洋子著
戦争・歴史の「記録」としてではなく「文学」の作品として読む
アンネ自身が戦後に発表することを念頭において推敲していた
文学として読まれることはアンネ自身の希望でもあった
小川洋子女史の思い出のエピソード
ユーモアたっぷりの日記
1942年11月9日 豆事件
その音のすさまじさたるや 死人も生きかえるほど。
(中略)
とりわけ滑稽だったのは、階段の下にいたわたしが、
豆の海の中の小島のように見えたことですって。
(中略)
あいにく豆は小さいうえに、つるつるしているので、あっちの隅、
こっちのくぼみにころげこんで、なかなか拾いきれません。
いまでも、だれかが階上へ行くたびに、一度か二度は腰をかがめ、
拾い残した豆を手のひらに集めていっては、ファン・ダーンの
おばさんに渡します。
深町眞理子訳
根本的には悲劇のものを可愛らしい喜劇に変換している
自分を肯定する力があるからこそ ユーモアを持って描ける 小川
悲劇を喜劇にするときに一切自虐がないところが強い 尾崎
客観的に観察する力は作家にとって大事 特別な能力の持ち主
父親と娘を結ぶ絆となった日記 小川
ひとつぶの豆が言葉がこの星にアンネの瞳に巻きもどします
大森静佳
言葉は何かを巻き戻せる 大森
死者たちが未来と結びつく 小川
小川さんにとって「書く」とは
その人の生きた証を物語として残せるのではないか
化石になるまで残って欲しいと願いながら文字として刻む
書くことでしか表現できなかった人がいた 尾崎
菜の花の地上歩めり書くことはわたしがわたしに身を投げること
大森静佳
書くことは自分が自分の中に身を投げていくようなこと
エネルギーの噴出を感じました 小川
・言葉のバトン
墓石がにやり「あんじょうやりや」
大西里枝(扇子店四代目)
⇩
「あい、わかりました」と払う大きな手
池上規公子(きくこ 葉ね文庫)
終わったとみんな言うけどおしまいがあるってことは素敵なことだ
枡野浩一
譜面と音僕はゆっくり理解してそのあとひとことも話さない
青松輝
2025年3月16日日曜日
100分de名著 ヘーゲル❝精神現象学❞①
作業場や春びなの声響をり
冴返る陽の食品摂取せり
春さみし散歩嫌いなブイコちゃん
■100分de名著 ヘーゲル❝精神現象学❞①奴隷の絶望の先に
八嶋智人(のりと) 伊集院光 阿部みちこ 斎藤幸平(東京大学准教授)
世界三大難解哲学書の一つ
カント「純粋理性批判」ハイデガー「存在と時間」
ヘーゲル(1770-1831)G.W.F.Hegel
「アウフヘーベン」とは対立しあうAとBが存在する時―
その矛盾を考え抜くことで両者を統合し全く新たなCを生み出すことです
例えばバウムクーヘン 甘いものを食べると今度はしょっぱいものが
食べたくなる 矛盾した感情ですよね ここにチーズをかければ
あまじょっぱくなるのでは?ヘーゲルによればこの思考法によって
私達人間は世界の見方を変えられるというのです
ベートーベンと同じ年に産声をあげた
分断と対立だった そんな時代に憧れていたのは古代ギリシャ
調和の代わりに獲得した自由 自由と引き換えに失った調和
個人の自由と社会の共同性を両立するためには
私達はどのように他者と関わっていくべきなのか❓
自由は不安定
自由になると色々なことを言えるようになるが対立が生まれてしまう
どうやって自由を失うことなく意見の違う他者と
協力して自由な社会を作って行けるか
ナポレオン戦争・産業革命・フランス革命で
自然科学が急速に発展していき その結果宗教・神・国王の権力という
伝統的な力が崩れていき社会における共通理解が失われていった時代
承認論 ヘーゲルの思考の柱 矛盾 対立 否定
矛盾・対立・否定を考えるとはどう言うことか?
正反対の視点や意見と出会うことで自分の考えに矛盾を抱きー
自分を疑うということ そして自分を疑う過程の中で
自分の考えに否定的になること を意味します
絶望のみちすじ
自然的な意識は[このみちゆきを辿ることで](中略)
実存的な知ではないしだいを示していく。(中略)
意識にとってはかえって(中略)自己自身を
喪失することととらえられるのである。
意識はこのみちゆきにおいて、じぶんが
真理であるというありかたを失うからだ。
熊野純彦訳
「これが正しいに違いない」と信じていた
かつての自分の存在と否定し失ってしまう経験
これはつまりー自分が「新理」だと信じていたものを疑い
「思いなし」だったと反省することでー新たな知を獲得すること
意識を成長させていくことで目の前の対象や
世界の見え方が大きく変わる
利益追求が正しいと思っていた彼の意識を根本から揺るがす経験がー
世界のあり方を大きく変えていく 「意識の経験の学」と読んでいる
「絶望のみちすじ」とは❓
別の視点から見れば間違っているのは自分だった
将来的な野球のことを考えていたのは相手の方だったとなる
このように私も変わっていく 野球のあるべき姿も変わっていく
このプロセスをヘーゲルは弁証法的な運動と呼んだ
このような弁証法的な運動を、意識はじぶん自身にそくして、
みずからの知にかんしても、その対象をめぐっても遂行する。
この運動が、そこから意識にとってあらたな真の対象が
出現するかぎり、ほんらい経験と呼ばれるものにほかならない。
ヘーゲルのいう経験は「自分が考えている知は一面的で誤っている」
ということを示すような経験
動物的な態度
人間だけが今の知の在り方を反省して疑い
新しい知を生み出すことができる
「絶対ここにあって不動のもの」ではなく「変わっていくもの」
「学びながら生成させていくもの」だと真理の捉え方を大転換する
思考実験 自己意識
「自分の自立性を他者に承認してもらいたい」
「“自分こそが世界を意のままにできる存在だ”
と主張する相手の存在を否定したい」
承認をめぐる闘争 相手が死んでしまってはー
自分が自立した存在であるということを
証明してくれる人もいなくなってしまう
そこで主人と奴隷という関係を持つこととする
主人にあるのは自立した意識
奴隷は主人の言いなりになり依存の意識
逆転現象
(中略)主人が真理として確信しているのは、
じぶんだけで存在していることではない。
主人にとって真のありかたはむしろ非本質的意識であり、
その意識の非本質的行為なのである。
自律的意識の真のありかたは、したがって奴隷の意識である。
「一生奴隷に依存しなければならないのか」と絶望
かたや自分の自立性を発見した奴隷 両者ともに相反する
他者との関係を通して自分の矛盾に気付きー
今までとは違う自分を見つけた
A(テーゼ)自分は自立した存在である
B(アンチテーゼ)自分は依存した存在である
本質的には逆であったのです この逆転現象から自律って何?
新しい自立の概念が形成されていく
この事をアウフヘーベン(止揚)と呼んだ
弁証法で考える「自律」の概念
今までの自立が周辺化してきたものこそ
自立にとって本質的だというように
関係が反転していく
彼女たちのケアやサポートによって(彼の)自立が生じている
「経営者の自立を可能にしているケアこそが自立ではないか」
というように私たちは自立の概念を少しずらしていくことができる
そのきっかけから「お給料を上げるべき」ということになっていく
Aufheben(止揚)①破棄する②保持する③高く持ち上げる
悪いところは捨て良いところは残しつつ
さらに洗練されたものを生み出していく
社会を変える1つのきっかけになる
ヘーゲルは一人前になるためには何度も何度も失敗し依存しながら
自ら成長していかなければいけないと考えた
真理に近づくためには失敗しながら学ぶことが大切
2025年3月15日土曜日
時代のアートの伴走者として小池一子
春暁や紙の鼓動と息遣い
春の影物撮りとなる斧と鎌
春の色子どもの個性無限大
襟足へドライヤーあて春を待つ
■日曜美術館 時代のアートの伴奏者として小池一子 89歳の颯爽
クリエイティブディレクター 小池一子
「黒子」なのに突然黒いものを外さなきゃいけない
「黒子」が好きでやっているのにね
ある時はコピーライターとしてヒットを連発
わけあって、安い。 無印良品 愛は飾らない。 しゃけは全身しゃけなんだ。
「電車に乗っていた時(コピーが)降りてきた」と仰っていた
料品計画元会長 金井政明
ある時はファッションエディターとして
1971年 ISSEY MIYAKE 初海外
ある時はキュレーターとして
森村泰昌「美術史の娘」 内藤礼「地上にひとつの場所を」
大竹伸朗1984-1987
小池さんって楽しそうじゃん! 大竹伸朗
小池一子を知ればアートとカルチャーが解かる
今回のナビゲーターは田根剛(建築家)
時代時代の文化を作られるようなお仕事をたくさんされているけれど
時代というものをどう見てこられたのか
草間彌生 田中一光
いろんな事が面白くて!
ファッションって服だけのことではない時代感覚の表現
三宅一生1938-2022 板倉祐樹 河原遷 小林信隆
IM 服という一枚の布
身体と布。
原始から人がなじんできた関係に
三宅一生が現代の光を当てました。
MCS(三宅デザイン事務所)のデザインチームが継承し、
さらなる進化をとげています。
一枚の布であればあるほどその深度が問われる。
素材の選択、多様な織の活かし方、染めの可能性、
それらを総合した先に布の新しい魅力が生まれ出ます。
一見何気なくミニマムな表情を堪えたとしても
計り知れない奥行きのある一枚の布です。
布の可能性を深く掘り下げた成果が
アイム メンの服のかたちとなって男性の身体と出会います。
使いやすいプロダクトのように受け止めてください。
毎日あなたと共にいる服たちです。
ひとつのお洋服という世界
二人の人物との出会い 田中一光 三宅一生(細身の繊細な青年)
1970年「ISSEY MIYAKE」誕生 1971年初海外コレクション
1960年「世界デザイン会議」ファッションを文化に 共鳴した二人
この展覧会は必ず僕らが日本に持っていくべきだ 三宅一生
その展覧会とはメトロポリタン美術館1973年「Inventive Clothe」展
(独創的な衣類たち)キュレーターとしての初仕事
1975年3月「現代衣服の源流」展 幕開け 生きた服の展覧会
1978年「三宅一生の発想と展開:ISSEY MIYAKE East Meets West」
東から出た衣類が堂々と発信できる 単に東と西の出会いというのではなく
クリエーションとして出る
1987年「THREE WOMEN 20世紀の女性デザイナー3人」
文化が熟した 75年の「現代衣服の源流」展なんかはエポック(画期)を作った
発進できるようになった 「発酵」した
文化を発酵させる
経済の上昇ばかりの風潮に楔(くさび)を打つというのかしら
本当の豊かさとはそうではないでしょう
「美術/中間子 小池一子の現場」小池一子著平凡社(2020年)より
「わけあって、安い。」AD:田中一光 IL:福田繁雄 C:小池一子
「愛は飾らない。」AD:田中一光 IL:山下勇三 C:小池一子
「しゃけは全身しゃけなんだ。」AD:田中一光 IL:山下勇三 C:小池一子
「自然、当然、無印」AD:田中一光 IL:和田誠 C:小池一子
良品計画 元会長 金井政明
「印」も無いただ良い品を
田根剛が聞きたい「小池一子×ライフスタイル」
戦後の民主主義の子だから他のジェネレーションじゃ経験しないこと
金井氏(小池さんは)感受性の高い頃に(戦争を)体験されたり
世の中の体制に常に疑問の目を持っている 何が本当に豊かか
大切かをずっと考えている (コピーと商品開発の)掛け合いだった
物に成り代わって自然のままを伝える
しゃけのコピー 真ん中だけ売ってるけどこっち(頭と尻尾)も食べられる
フレークにして缶詰にできる 現場からすごく勉強になりました
金井氏 くりかえし原点、くりかえし未来。C:小池一子 日本デザインセンター
まとめたらライフスタイルの提案になる 一軒路面店を作ってください
1982年東京・青山に出店 ロンドンにも同じような店を出してほしい
NO BRAND(無印)とかGOODS(良品)と言わないで「MUJIRUSI」でいれたい
田中(一光)さんMUJIがいいじゃないですか!
上海の公演より
日本だけでこれがいいわねって言っているんじゃなくて
世界の消費者の人たちのと共有できるという感覚
田根剛氏 小池さんのお仕事が目盛りに見えてきた
時代が加速したり資本主義化している中で抵抗されているイメージ
それでも生活は続く
生活を丁寧に続けることもレジスタンス
蛹(さなぎ)のようなこれから飛び立とうとする人たちのことをお手伝いしたい
「美術/中間子 小池一子の現場」小池一子著平凡社(2020年)より
1987年日本企業が「ひまわり」落札
安田火災海上保険(現:損保ジャパン日本興亜)手数料込みで約58億円
佐賀町エキジビット・スペース設立・主宰
美術館でも商業画廊でもない「もう一つ」
市民が生まれたばかりのアートを楽しめる場所
エマージングアーティスト
これから羽ばたく人たちのための場所を作りたい
大竹伸朗さんのようなアーティストに思い切り力を発揮して貰いたい
大竹伸朗氏
小池さんのキチン(事務所)に作品を持っていった
「もっと感覚的に生きられるはずだ」AD:田中一光 C:小池一子
最初の出会いから共鳴
「大竹さんのために作ったスペース」みたいなのってすごく怖い
「やれるものならやってみな」みたいな「ここに全てをかける」
32歳の大竹さんが挑んだ個展 88点が所狭しと並べられた
オープニングには600人が詰めかけた
見る側も望んでいたスペースだと感じた
結局、作る人と伴走して共に作りあげていく
そのプロセスが一番大事で一番楽しい 達成感のある仕事
森村泰昌展「美術史の娘」(1990)
内藤礼「地上にひとつの場所を」
大竹伸朗氏の原点は佐賀町エキジビット・スペースだと…。
自分にとっての初心の場 あの1年間を忘れたら俺も終わったと同じ
佐賀町のテンションは絶対消さない
田根剛氏 原点がちゃんとあってそこから未来を目指していく
2000年 佐賀町エキジビット・スペース 閉じる
大竹伸朗氏 小池さんって楽しそうじゃん!
好奇心というものは物凄い鍵だと思う
田根剛氏 オルタナティブ(もう一つの場所)時代を動かすこと
社会を動かすことの方が大事
小池一子 ひとりじゃ何もできない シェアできる仲間の存在
一緒に生きてる人と共有する感覚のキャッチボール
続くことが大事
ひとりじゃ出来ない感覚のキャッチボール 小池一子
80代最後の年 若い仲間と今日もキャッチボールを続けています
最高に素敵な人をご紹介くださりありがとうございました。
こんな素敵な時間を持たせてくださり感謝!感謝!です。
2025年3月14日金曜日
2025春光戦 ついつい買ってしまう人気フードで一句
善根宿夢に破れて逝った人
吾を探し探しきれずに大窪寺(無季句)
遍路杖最後のお経すらすらと
答えなき人生を生く遍路道
■プレバト纏め 2025年3月13日
2025春光戦
ついつい買ってしまう人気フードで一句
決勝戦
優勝 梅沢富美男 歌舞伎揚で一句
歌舞伎揚げの家紋三枡や竜天に
(竜天に:春の季語 「春分に竜が天にのぼる」中国の伝説に由来
春になると潜んでいた竜も天にのぼる の後余白を残すことで
隆盛を祈るご挨拶句 いかにも粋である)
藤本敏史 カップヌードルシーフードヌードル
シーフードヌードル春夜の反航
(反航とは反対方向から来る船とすれ違うこと
旅のオタク 面白い取り合わせ)
犬山紙子 フエラムネ
花曇ため息代わりフエラムネ
添削(切れた調べで損をしている)
花の日のため息代わりフエラムネ
花曇ため息めけるフエラムネ
1位 藤本敏史 マーブルチョコで一句
春風を入れてマーブルチョコに蓋
(マーブルチョコの特徴を上手に使った カラフルな色円筒
季語が立っている 入れ替えることはできない)
2位 梅沢富美男 チキンラーメンで一句
ケトルの湯春日のタマゴポケットに
(効率のいい書き方 正しくは昔が2分今は3分です)
3位 犬山紙子 ミニボーロで一句
朧夜や薬の横のミニボーロ
(読んだ瞬間に光景が立ち上がる 季語が病気の状況を包み込む
季語とも付かず離れずものになっていく 上質な出来)
4位 千原ジュニア チキンラーメンで一句
チキンラーメン兄と割る四畳半の春
(盛り込んでいる情報が多い)
5位 本上まなみ 築地「銀だこ」で一句
おみやげの銀だこ熱し春の雪
(意味情報の重なりがなくてそれぞれ意図をもって選ばれている
銀と雪の白いう色の印象)
6位 森口瑤子 まい泉「ヒレかつサンド」で一句
かつサンドつまむ日永のロケ現場
(映像を持たない時候の季語「日永」いい位置に入れた 確かな一句)
7位 蓮見翔 コーラグミで一句
コーラグミ3回嚙んで春一番
(関係のないものを関係のあるかのように取り合わせる 詩が生まれる
嚙んだ時の強い弾力 酸味甘味複雑な感じ 春が来た喜び 若い方の一句)
8位 村上健志 ビッグマックで一句
夏近しビッグマックの箱に鉤(かぎ)
添削(ポンチ節 勿体ない 鉤に焦点を当てるのであれば
プツンと終わっては違和感が残る わるまでに時間がかかる
紙という質感を補強することで鉤の箱を開けると
夏がやってくるという期待を入れると良かったのに)
ビッグマックの紙箱に鉤夏近し
9位 内藤剛志 ぼんち揚で一句
ぼんち揚割れば春陽の実家かな
添削(季語としては春日 うららかな陽差し 割ればで感触が最後に残る)
ふるさとや春日にぼんち揚割れば
10位 三宅香帆 Pino(森永乳業)で一句
ピノ溶ける春暁や「山月記」閉づ
添削(短編小説「山月記」詩人となる望みに敗れ虎になった男の物語
取り合わせが意外なのに惹かれあってる 溶けても形を保つPinoは重要)
ピノ溶け果て春暁の「山月記」
Tverより 1stステージ
11位 春風亭昇吉 ポッキーで一句
ポッキーも春もボートと浮いている
添削(発想が面白い 助詞の使い方がこれで良いのか❓
全て「と」で繋いで恋の気分を入れてはどうか❓)
ポッキーと恋とボートと春と雲
12位 立川志らく グリコのキャラメルで一句
モノクロの桜にグリコの赤い箱
添削(追憶の光景 「に」はいらない)
モノクロの桜グリコの赤い箱
13位 皆藤愛子 エクレアで一句
馬連かワイドかエクレア喰む春夜
添削(喰むという動詞は要らない)
馬連かワイドか春の夜のエクレア
14位 森迫永依 ビックリマンチョコで一句
たんぽぽやヘッドロココと通学帽
(言葉の取り合わせは楽しい ヘッドロココが子どもであることは
分かるので通学帽はない方が良かった)
15位 中田喜子 ポッキーで一句
ポッキーポリポリ受験子スパークす
(意図は意欲的 ポリポリは安易工夫をして欲しい)
16位 的場浩司 親子丼で一句
飛花の夜や鴇(とき)羽ひとひら親子丼
添削(飛花:季語 入れたい言葉が多すぎる
夜を諦める 調べと内容を工夫する)
親子丼に飛花ひとひらの鴇羽色
17位 馬場典子 フルーチェで一句
フルーチェのミルク増し増し草萌や
添削(最後に「や」をいれると俳句の型が不安定になる
バランスがとりにくくなる 「や」にしない
増し増しは借り物の感じがする ひと工夫の余地がある)
フルーチェのミルク増し増し草萌ゆる
2025年3月13日木曜日
竹中半兵衛&おくのほそ道&こころ
役に立つ人でありたく春の雲
亀鳴くやDITをよく咀嚼
視覚的音楽創る春陽かな
創られた命の息吹春の草
■敗北からの教訓 第82回「竹中半兵衛・秀吉を支えた名軍師の誤算」
謀叛(むほん)を起した理由
①龍興(たつおき)を改めさせるため「武家事記」
②自分の名を高めるため「竹中家譜」
③龍興の重臣から屈辱を受けたため「竹中先祖旧記」
④龍興の重臣が半兵衛の義父失脚させようとしたため「竹中家旧記」
西美濃三人衆 安藤守就 稲葉良通 氏家直元
竹中半兵衛 敗北の伏線
張切り過ぎてオーバーワークに要注意!
竹中半兵衛 敗北の瞬間
後輩の危機を命がけでカバーするのも先輩の役目と心得ること
竹中半兵衛の敗北から学ぶ教訓
自分の職掌を限定しない
■10min.ボックス古文・漢文 おくのほそ道(松尾芭蕉)
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて
老をむかふるものは、日ゝ旅にして旅を栖(すみか)とす。
古人も多く旅に死せるあり。
漂泊の俳諧師
旅の始まりは1689年(元録2年)春 芭蕉46歳 江戸を出発
扨(さて)も義臣すぐつて 此城に籠り、功名一時の草村となる。
国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、
笠打敷て時のうつるまで なみだを落し侍(はべ)りぬ。
夏艸(くさ)や兵共(つわものども)が夢の跡
立石寺(りっしゃくじ)
岩に巌を重(かさね)て山とし、松栢年ふり、土石老て、
苔なめらかに、岩上の院ゝ扉を閉(とじ)て、物の音聞こえず。
佳景寂莫として、こゝろすみ行(ゆく)のみ覚ゆ。
閑(しずか)さや岩にしみ入(いる)蝉の声
十七文字の芸術
発句五七五は明治以降「俳句」と呼ばれるようになる
芭蕉は十七文字を極めるために旅に出た
推敲は旅が終わっても数年間続けられた
山寺や石にしみつく蝉の声(推敲前)⇩
さびしさや岩にしみ込(こむ)蝉のこゑ⇩
閑(しずか)さや岩にしみ入(いる)蝉の声
さみだれをあつめて早し最上川
荒海(あらうみ)や佐渡によこたふ天河(あまのがわ)
旅の途中大阪で息を引き取った五十一歳でした
芭蕉辞世の句
旅に病(やん)で夢は枯野をかけ廻(めぐ)る
■10min.ボックス現代文 こころ(夏目漱石)
私はその人を常に先生と呼んでいた。
だから此処(ここ)でも ただ先生と書くだけで
本名は打ち明けない。
これは世間を憚る遠慮というよりも、
その方が私に取って自然だからである。
私はその人の記憶を呼び起こすごとに、
すぐ「先生」といいたくなる。
筆を執っても心持は同じことである。
私は最初から先生には近づきがたい
不思議があるように思っていた。
それでいて、どうしても近づかなければ
いられないという感じが、何処かに強く働いた。
人間を愛し得る人、愛せずにはいられない人、
それでいて自分の懐に入ろうとするものを、
手をひろげて抱き締める事の出来ない人、
―これが先生であった。
夏目漱石 小説を発表したのは1905年~1916年(明治35~大正5)
「こころ」1914年(大正3)発表 47歳の時に書いたもの
先生の謎
「私は世間に向かって働き掛ける資格の
ない男だから仕方がありません」
「恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」
「平生はみんな善人なんです、
少なくともみんな普通の人間なんです。
それが、いざという間際に、
急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです」
「私は死ぬ前にたった一人で好(い)いから、
他(ひと)を信用して死にたいと思っている。
あなたはそのたった一人になれますか。」
「あなたははらの底から真面目ですか」
私は暗い人生の影を遠慮なく
あなたの頭の上に投げかけて上(あげ)ます。
しかし恐れては不可(いけま)せん。暗いものを凝(じつ)と
見詰めて、その中から貴方の参考になるものを御攫(つか)みなさい。
友人K
彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を
打ち明けられた時の私を想像して見て下さい。
その時の私は恐ろしさの塊りといいましょうか、または
苦しさの塊りといいましょうか、何しろ一つの塊りでした。
私は先ず「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」
と言い放ちました。
これは二人で房州を旅行している際、
Kが私に向かって使った言葉です。
私は彼の使った通りを、彼と同じような口調で、
再び彼に投げ返したのです。
私はその一言(いちごん)でKの前に横たわる
恋の行手を塞ごうとしたのです。
私の眼は彼の室(へや)の中を一目見るや否や、あたかも
硝子で作った義眼のように、動く失いました。
私は棒立ちに立竦(たちすく)みました。
もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、
一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。
私は何千万といる日本人のうちで、ただ貴方だけに、
私の過去を物語りたいのです。
あなたは真面目だから。
あなたは真面目に人生そのものから
生きた教訓を得たいといったから。
2025年3月12日水曜日
陳健一&「ようしをもらうなら」&偉人の年収SP&浜村淳
いぬふぐり時代の縁に立つ人よ
民衆に未来はあるや春北斗
半仙戯前へ後ろへポコアポコ
春の野やそれでも稼働させますか?
■あの人に会いたい 陳健一
中国料理というのは油っぽいという
中国なんか行きますよね
そうすると太った人は本当に少ないんですよ
だからバランスよくね 楽しく食べるというのが
最終的にはいちばん大事なことじゃないかと思います
僕はそういうふうに思って番組ではやっているんだけど
中国の成人の半数強、5億人以上が「太りすぎ」 富裕化に伴い急増
https://www.cnn.co.jp/fringe/35164394.html
中国で空前のダイエットブーム 国民の半分が“肥満” スーパーに体重計設置も
https://news.yahoo.co.jp/articles/e58cd2d4f64f77463d49be9833d43c32eded4f4b
陳健一様にこの事実をお教えしたかった…。
■夏井いつき俳句チャンネル
【第4回】楽しい日本語【ようしをもらうなら・後編】
「ようしを貰うなら臍の上」とは
養子を貰うなら臍の上に帯をするような育ちの良い人を貰うが良い
育ちの良いものは帯を下腹にしないところからいう
臍の上の養子秋夜のマルフォイ家 家藤正人
へそのうへ帯まくごとし鉾の稚児 ローゼン千津
臍の上に帯や総理を選ぶ冬 夏井いつき
■偉人の年収SP
葛飾北斎「ありのままの描写に創意工夫を加えると作品になる」
葛飾北斎 遠近法を活用しダイナミックで劇的
歌川広重 見たままの風景にアレンジを加える
ライバルあり 個性を極めろ
ベートーベン
身分や貧富の壁を乗り越え結束できる
地球上のすべての人々は同胞である
交響曲第9番歓喜の歌 最高傑作
交響曲第5番「運命」の出だし 鳥のさえずり
「ベートーベンはキアオジの鳴き声を聞いてひらめいた」
弟子 ツェルニーの証言
服部良一も古関裕而も専門の音楽教育を受けていない
同時期に同じレコード会社と契約
外国音楽が好きな服部良一 ブルース(意味「悲しみ」
(アメリカの黒人奴隷の過酷な労働から生まれた音楽)
古関裕而は数々の応援歌を生み出した
戦争を題材とする曲でヒットさせる
戦時中対照的な二人 戦後…。
服部良一が目をつけたのはブギ(ジャズのリズムの一つ
当時欧米ではダンス音楽として流行 のちにロックンロールに発展)
日本語をリズムに乗せた 東京ブギウギ
一方古関裕而は「栄冠は君に輝く」誕生
得意な分野を極める 時代とマッチ
パブロ・ピカソ 19歳 パリに渡り画家としてデビュー
視点を変えることで見え方が違ってくる
「キュビズム」の原点
第一作「アヴィニョンの娘たち」1907年
仲間からの批判にピカソはひるまなかった
絵の中にに感情が描かれていることが人々に理解される
アート界に革命を起こした
絵が掲載されるたびに使用料を取る 今でいう「コピーライト料」
ピカソが描いた絵が転売されると利益の3%を得る
56歳の時 人生最大の大作 1937年4月26日ゲルニカ空爆
ゲルニカの惨状をテーマにした作品を作ることを決意
完成した作品「ゲルニカ」1937年
パブロ・ピカソ 曰く「鑑賞者は見たいように見ればいいのだ」
個性を貫き 平和への願い
「アルジェの女たち バージョン○」1955年
2015年に落札された金額 約215億円 ピカソ作品の最高落札額
■鶴瓶ちゃんとサワコちゃん【浜村淳登場!大阪・天満からお届け!】
浜村淳さんの重く深い薀蓄に感銘を受けました。
生き字引と言われるだけあって素晴らしい内容でした。
昭和の大先輩 浜村淳の言葉
「愛とはけっして后悔しないこと… 浜村淳」
2025年3月11日火曜日
兼題「卒業」&テーマ「物語」
原発や百二歳まで生きて自死
避難前残す家族へ小さき声
3.11国には頼る事勿れ
春の泥信じることをやめました
■NHK俳句 兼題「卒業」
選者:西山睦 ゲスト:金澤諒和(りょうかん) 司会:柴田英嗣
年間テーマ「やさしい手」
未来へと子を手渡しに風光る 西山睦
・金澤諒和先生の俳句三選「やさしい手」
一 でこぼこな一年生の一列に
風 ぶらんこをこいだら風の味がする 玉井陽菜・小五(当時)
手 卒業の子と手のひらを重ねけり
俳句の授業にて 選句された句
敗戦忌飛行機雲の傷のあと
先生のしらがが増える秋の空
言葉にして気持を吐き出す
いつか子供たちも育ち上がりこれ以上大きくならない時が来る
自分の子供や次の世代の子供たちの対して
小さな手を優しく支える手であってほしい
金澤先生は1番にならないと気が済まないタイプ
俳句の世界にに入った時も絶対1番になりたいと思っていた
子供に教えるうちに小さな賞状を貰って喜ぶ子供の顔
「この句いいね」と言ってそれに応える喜びの表情
自分が高まるより子供が喜ぶ方がうれしいと思い始めるようになり
自分が1番になるよりも子供が少しでも自信を
持ってくれることの方がうれしいと思えるようになってきました 金澤
他者を意識するというのは俳句にとっていいこと 西山
・特選六句 今週の兼題「卒業」
フラスコの並びて聞こゆ卒業歌 一ノ瀬なつめ
思い出は予選のヒットわが卒業 星野曉
卒業す君の瞳に映らぬまま 古川晴野
卒業や昇降口に残る熱 天風(あまかぜ)さと
卒業や並ぶかめ役うさぎ役 伊予素数
卒業子捌(さば)きてバスのがらんどう 古関聰(あきら)
・特選三席
一席 図書館に好きな窓あり卒業す 石渕さゆり
二席 卒業子見送り胸の花外す 天野有子
三席 卒業の車窓に街の小さくなり 原田利子
・俳句やろうぜ 黒岩徳将(若手俳人探査隊長)
塩谷人秀(29)
ペットボトル飲料に応募し入選
秋風が一陣二陣と田を撫でる 塩谷人秀
2019年 第16回「鬼貫青春俳句大賞」優秀賞受賞
最近詠んだ海の句 磯の匂いがしてきそうな句
船室の三条広し布団敷く
法螺貝(ほらがい)を岩にかち割る焚火かな
二十一世紀イガミの牙の数
一握の伊勢海老の股がぱと咲く
塩谷さん 海・水産の一句
二十一世紀イガミの牙の数 塩谷人秀
・柴田の歩み
直感を大事に
■NHK短歌 テーマ「物語」
選者:俵万智 ゲスト:山崎ナオコーラ 司会:ヒコロヒー
年間テーマ「光る愛の歌」
山崎ナオコーラ女史のお気に入りの短歌
あの赤いつつじでこの白い花もつつじと呼べる不思議さ
俵万智
言葉の不思議さをもう一度確認することができて
わくわく感がすごく出ている 山崎
不思議に思わなくなることが大人になるということ 俵
・入選九首 テーマ「物語」
告げられた別れは泡に包まれてシャンプー台で濯(すす)がれている
椎名ろざな
参列者Dの顔してヒロインが投げるブーケに手だけ伸ばした
南野やぎざ
私 本当を生きるためには嘘が要る嘘をつくには本当がいる
城谷望月(もちづき)
沈みゆくタイタニックの甲板で演奏をするやうな自叙伝
濱岡学
三席 私 生き物の飼育係のように語る恐竜博物館のスタッフ
中松裕(ゆたか)
生き方が問われるだろう鬼退治してお宝をもらったあとの
山田裕樹(ゆうき)
冷蔵庫見つめておれば扉から主婦を異界へ導く気配
石川真琴
一席 物語ならばぼくらは3年後カフェで再会するんだろうな
嶋村純
二席 父親の自慢話についている尾ひれをあぶりマヨでいただく
アゲとチクワ
・「光る君へ」で短歌を10倍楽しもう!
作者はきっかけがないと書きださない 山崎
自分が書きたいものを見つけた時の強さ
自分のために書く 俵
私も自分のために社会の理不尽なことに対して
レジスタンスとして書きたい
これで(社会を)動かすぞって事でなくて良い 山崎
最初から「誰かのために」「こうしてやろう」と
言葉を使っても結局届かない気がする
きっかけをこえて自分がこのことを
短歌にしたいと思える時が来たらすばらしい 俵
小説はリアリティーとファンタジーの両方が必要
”自分のため“という言葉の使い方をすると
すごくリアリティーが出るリアリティーが出ると
多くの人に届く 山崎
ヒコロヒー女史はファンのために書いておられるとか…。
短歌は日記より手紙に似ている「必ず読者がいることを
意識しましょう」と言った時、ヒコロヒーさんは
「意識し過ぎると媚になってしまう」と仰った 俵
やっぱり”自分の為“なので逆に独りよがりに
なることを気にしている ヒコロヒー
短歌づくりポイント
「自分のため」に歌を作ることで結果的に他の人の心にも届く
研究では清少納言と紫式部は会ったことがないが定説 山崎
「文学は必要」とふたりが言えたのは物語だからこそできた
作者の大石静さんの気持も込められているのかな 俵
俵さんは身近なテーマで歌を詠んでいることが多いが
社会のことを詠むことはない? 山崎
(歌が)新聞の見出しになったらつまらない
誰もが納得する事実をあえて短歌にしてもつまらない
大きなテーマと自分の間に接点があるのが大事
小さなきらめきを歌にすることができたとしたら
このきらめきを脅かしているものは
戦争じゃないかという形で届く
第2週は「古典から栄養を貰う」事をテーマにしてきた 俵
読むということは自分自身の行為
特に古典は「昔の人の気持のならなきゃ」
「作者はどういう気持ちで書いたのかをくまなきゃ」という
“国語の圧”ががある 古典も今の私として読む 未来へのバトン
にもなると思う 山崎
嬉しかったのはヒコロヒーさんが「私の言葉は水のようなもの」
と言ってくれたこと 水は地味だけど一番身近で飽きが来ない
人間にとって大切なもの 言葉を使う時も水みたいになりたい
言って貰って私自身の目標になりました 俵
・言葉のバトン
掛けなおすボタン緋(ひ)色の春が立つ
小川優子(店主)
⇩
墓石がにやり「あんじょうやりや」
大西里枝(扇子店四代目)
いけずステッカーのモデル
(京都人の建前と本音を表したもの)
かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる
祇園を愛した歌人 吉井勇の歌碑
2025年3月10日月曜日
あの人に会いたい 谷川俊太郎
春日和実験増やし楽しまん
袖口に見たラクダシャツ春袷
老い生きて指も曲がりて寒き春
ちん点前ここに極めり風光る
■あの人に会いたい 谷川俊太郎(詩人)
・二十億光年の孤獨 谷川俊太郎
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした
・鉄腕アトム 歌詞 谷川俊太郎
詩も好き嫌いしかないんです
だから僕は常々詩は異性と同じだって言っているんですね
ほれるか ほれないかしかない
谷川さんのお父様は大学の総長まで勤められていた
哲学者の谷川轍三氏 お母さまは多喜子さま
父は趣味がいいとか趣味が悪いとかって いうことを
非常によく言う人だった これは善悪よりも
何か強い価値基準でね 趣味が悪いって言ったら
もう絶対的な否定みたいなね そういう点で
何か言葉に対する感覚みたいなものは
父から受け継いでいるものはあると思う
全然 詩なんかもう好きじゃなかった 僕 ラジオの組み立てとか
模型飛行機を飛ばすとか そういうのが好きだった子だから
その友達のお陰で何か書きだしたら 結構書けたんで
何となく日記みたいに毎日毎日書いていたのが
そのノートなんですけどね
(父が)腹に据えかねて「お前大学にも行かずに これから先
どうするつもりなんだ」って言った時に 他に何も見せるものが
ないから しょうがないから「こういうもん書いている」って見せた
「おおこれは悪くないじゃないか」って親ばかで 三好達治先生の
所に持っていった(三好達治 1900-1964 詩人)
要するにちょうど自我に目覚める時期にね 自分がいったい
どういう場所にいるんだろうって 自分の座標を決めたいっていう
気持がすごく強かった 宇宙の中に自分がいるっていう意識が
そのころすごく強くて 自分が生活に苦労しなかったから
社会の中での自分よりも先に 宇宙の中の自分というものを
意識した
・ことばあそびうた
谷川俊太郎・詩
かっぱかっぱらった
かっぱらっぱかっぱらった
とってちってた
かっぱなっぱかった
かっぱなっぱいっぱかった
かってきってくった
現代詩っていうのは“難解である”っていうんで評判が悪いんですよ
読者がつかないわけ 日本語のもっている音の豊かな要素を
現代詩が全然顧みてない意味偏重になっている そこで日本語の
音のおもしろさ豊かさを感じられるような詩を作ろうと
作り始めたら結局そうなっちゃったんですね
世間知ラズ 谷川俊太郎 第1回 萩原朔太郎賞 受賞
夕焼け
だが自分の詩を読み返しながら思うことがある
こんなふうに書いちゃいけないと
一日は夕焼けで成り立っているんじゃないから
その前に立ちつくすだけでは生きていけないのだから
それがどんなに美しかろうとも
世間知ラズ
女を捨てたとき私は詩人だったのか
好きな焼き芋を食っている私は詩人なのか
(中略)
私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの
世間知らずの子ども
世間知ラズ
行分けだけを頼りに書きつづけて四十年
おまえはいったい誰なんだと問われたら詩人と答えるのがいちばん安心
というのも妙なものだ
女を捨てたとき私は詩人だったか
好きな焼き芋を食ってる私は詩人なのか
頭が薄くなった私も詩人だろうか
そんな中年男は詩人でなくてもゴマンといる
夕焼け
夕焼けを書いた詩があるとする。
それは夕焼け自体と同様にとても美しいが、
1日は夕焼けだけで成り立っているのではなく、
その前に立ちつくすだけでは生きていけない。
詩を含めて、そこにあるものがどれだけ美しくても、
ふだんの生活には敵わない。
詩は人にひそむ抒情を煽るが、詩の真理は「瞬間」に属している。
心の重力
目の前にいる人のどこも見ていない鳥のような目の奥に潜む自我に、
詩人の自我はこみあげるだけ、言葉では対応できず、
音楽も詩も、逃げ出さざるを得ない。
理想的な詩の初歩的な説明
あるいは、飯を食ったり、人と馬鹿話をしているときだけでなく、
詩のことを考えているときでさえ、詩人は詩から遠ざかっている。
それでは、詩とは何なのだろうか。
振り返ればひたすら立ちすくむだけの日々。
生と死、言葉と生活、自己と他者、地上と宇宙。
そのへだたりとジレンマの中でふいに生まれる詩は、
永遠の謎めく問いである。
参照:https://www.jlpp.go.jp/jp/works/05_07.html
自分を空っぽにできたときです 自分が管みたいになって
自分の言葉じゃない言葉が何か出てきちゃったみたいなのが
理想的な浮かび方ですね なかなか妄想が浮かんじゃうんですけどね
でもそのうちなんか ポコッて思いがけない言葉が
浮かぶことがあります それが詩の始まり
詩のボクシング ねじめ正一VS谷川俊太郎
「詩のボクシング 鳴り渡れ言葉 一億三千万の胸の奥に」
https://www.nhk.jp/p/nhk-archives/ts/RY1XL52811/episode/te/J5K317RQR5/
声になった言葉は消せない
詩というのはやはり味わって貰わないと困る
おいしいかどうかっていうのが問題だと
質感とか味わいっていうものが
やっぱり詩の一番大事な所であって
メッセージよりもその味の方が大事なんじゃないか
言葉は無力だ みんながいろいろ言葉で平和を追求したりして
いるけれども戦争は全然なくならないでしょう だから 言葉は
本当に言葉にすぎなくて 実際の現実とはなかなか関われない
そういう何か政治の言葉とか 特に契約とか法律の言葉とは
全然対極にあるでしょう 詩の言葉は だから彼らの言葉が
役に立たないところで 詩の言葉が何かの形で役に立たないか
みたいなことは考えてますね だから何か僕は理想を言えば
その辺の道端に咲いている花みたいな詩が書けたら一番いいと思うの
虚空へ 谷川俊太郎
老いて一日は
老いて
一日は
旅
朝から
昼へ
己れに
躓き
昼から
夕へ
散らばる
心
幻の
明日の
星影
本当の本音が言えればね それをやっぱり恐れずに出したい
詩の言葉っていうのは 僕はやっぱり 究極的には何か
人間の一番 裸の所を出すものであるべきだと
思っているんですがねぇ
私感
ほぼ日さんで谷川俊太郎さんのことを知り
い~っぱいいろんなことを教えていただきました。
本当に本当にありがとうございました。
2025年3月9日日曜日
10min.ボックス 古文・漢詩&現代文・坊ちゃん
餌をまた鷺に横取りゆりかもめ
春の空ペリット吐かんジョウビタキ
王様になったトランプ春嵐
■10min.ボックス古文・漢文 漢文(2)漢詩
春暁 孟浩然
春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声 花落つること知る多少
春暁の原文 孟浩然
春眠不覚暁 処処聞啼鳥
夜来風雨声 花落知多少
漢詩の黄金期 押韻(おういん) 同じ発音を含んでいるao
李白(酒と月をこよなく愛した詩人) 長江で詠んだ詩
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る 李白
故人西のかた黄鶴楼を辞し
煙花三月揚州に下る
孤帆の遠影碧空に尽き
唯見る長江の天際に流るるを
故人西ノカタ辞㆓シ黄鶴楼㆒ヲ
煙花三月下㆓ル揚州㆒ニ
孤帆ノ遠影碧空ニ尽キ
惟ダ見ル長江ノ天際ニ流ルルヲ
春望 杜甫
国破れて山河在り
城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺ぎ
別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり
家書万金に抵たる
白頭掻けば更に短く
渾べて簪に勝へざらんと欲す
国 破 山 河 在
城 春 草 木 深
感 時 花 濺 涙
恨 別 鳥 驚 心
烽 火 連 三 月
家 書 抵 万 金
白 頭 掻 更 短
渾 欲 不 勝 簪
漢詩の影響は松尾芭蕉は
「おくのほそ道」の中で杜甫の詩を引用しています
国破れて山河あり 城春にして草青みたりと
笠打敷て時のうつるまで なみだを落し待(はべ)りぬ。
■10min.ボックス現代文 坊ちゃん(夏目漱石)
親ゆずりの無鉄砲で子供のときから損ばかりしている。
小学校にいる時分、学校の二階から飛び降りて、
一週間ほど腰を抜かしたことがある。
なぜそんなむやみをした、ときく人があるかもしれぬ。
べつだん深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、
同級生の一人が冗談に、いくらいばっても、そこから飛び
降りることはできまい、弱虫やーい、とはやしたからである。
人におぶさって帰ってきたとき、おやじが大きな目をして、
二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かすやつがあるか
と言ったから、この次は抜かさずに飛んでみせますと答えた。
四国松山
二時間目に白墨を持って控所を出た時には何だか敵地へ
乗り込むような気がした。教場を出ると今度の組は前より
大きな奴ばかりである。おれは江戸っ子で華奢に小作りに
出来ているから、どうも高い所へ上がっても押しが利かない。
喧嘩なら相撲取とでもやって見せるが、こんな大僧を四十人も
前へ並べて、ただ一枚の舌をたたいて恐縮させる手際はない。
しかしこんな田舎者に弱身を見せると癖になると思ったから、
なるべく大きな声をして少々巻き舌で講釈してやった。
新人教師VS生徒たち
「なんでバッタなんか、おれの床の中に入れた」「バッタた何ぞな」
と真先の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ
校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きな
ずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」というと、
一番左の方にいた丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」
と生意気におれを遣り込めた。
夏目漱石(1867―1916)
教頭のなにがしというのがいた。これは文学士だそうだ。
この暑いのにフランネルのシャツを着ている。
文学士だけにご苦労千万な服装(なり)をしたもんだ。
しかもそれが赤シャツだから人を馬鹿にしている。
おれと同じ数学の教師に堀田というのがいた。これは逞しい
毬栗坊主で、叡山の悪僧というべき面構えである。
やあ君が新任の人か、ちと遊びに来給えアハハハといった。
何がアハハハだ。この坊主に山嵐という渾名をつけてやった。
画学の教師は全く芸人風だ。べらべらした透綾の羽織を着て、
扇子をぱちつかせて、御国はどちらでげす、え?東京?
そりゃ嬉しい、お仲間が出来て…。こんなのが江戸っ子なら
江戸には生まれたくないもんだと心中に考えた。
おれはいきなり袂へ手を入れて、玉子を二つ取り出して、
やっといいながら、野だの面へたたき付けた。
玉子がぐちゃりと割れて鼻の先から黄味がだらだら流れだした。
野だはよっぽど仰天した者と見えて、わっと言いながら、
尻持をついて、助けてくれといった。
「だまれ」と山嵐は拳骨を食らわした。赤シャツはよろよろしたが
「これは乱暴だ、狼藉である。理非を弁じないで腕力に訴えるのは
無法だ」「無法は沢山だ」とまたぽかりと撲る。「貴様のような
奸物はなぐられなくちゃ答えないんだ。とぽかぽかなぐる。
船が岸を去れば去るほど いい心持ちがした。
神戸から東京まで直行で新橋へ着いた時は、
暫く娑婆へ出たような気がした。
山嵐とはすぐ分かれたきり今日まで逢う機会がない。
2025年3月8日土曜日
こころの時代 山折哲雄
春を飲むマッカーサーはマニラ産
春香る吉田(茂)愛飲ハバナ産
春の空愛なきものへ馬鹿野郎
百五十億円使い切る秋夜
■こころの時代 こう生きた どう生きる 山折哲雄 現在を問う
宗教学者 山折哲雄
あのね もう今 93歳になりました 明け方2時から3時 目が覚める
頭がスーッとして 本当の夜明けの静謐の時間が来る
これがいちばん頭が冴えるんですよ 冴える中でやってるのは何か
「妄想」ですよ いろんな「妄想」が出てくる 真か偽かわからない
「妄想」っていうのは…。
歴史学者 哲学者 服部之総 1901-1956
呪はれたる宗門の子 親鸞はひたすら農民とともに
浄土真宗 本願寺派 専念寺(山折哲雄の実家)
専念寺住職 山折時信(11歳年下の弟)
兄貴っていうよりも親代わりみたいなもんだったですね
学校はいる時だったかな「尊敬している人なんて書いたらいい?」
って言ったら「そう言われたら親鸞聖人って書け」
って言われたんですよ いちばん危なげねえのは「両親」って
書けばいいのに 父親じゃなくて「親鸞聖人って書け」
っていうことを言われた覚えがありました (兄は)大学の時なんか
休みで戻ってくるわけです そうしてサンスクリット語
ここの部屋で勉強してるんですよ
親鸞(1173-1262) 親鸞筆「教行信証」顕浄土真実教行証文類
和讃 人々と仏の教えを讃嘆しようと親鸞が詠んだ歌
自然法爾 無常
祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きありー平家物語
宮沢賢治「雨ニモマケズ」手帳
イエス・キリストの人生は30年 ブッダの人生は80年
キリスト教は青春の思想をベースにしている 老いが抜けている
ブッダ 四十期(学生期 家住期 林住期 遊行期)
サヌヤーシン 遊行者
Religion
空海は初心 最澄は道心 法然は信心
親鸞は深心 道元は身心脱落 日蓮は観心
楕円構造 政治的権力と宗教的権威の両立 多元構造
小国寡民「小さな国土に少数の民」老子が理想とした国家像
柵封体制 中国と周辺諸国との主従体制
二重構造で共存している
親鸞「愚禿悲歎述懐」山折哲雄筆
浄土真宗に帰すれども真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて清浄の心もさらになし
悪性さらにやめがたし こころは駝截蝎のごとくなり
修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞ名づけたる
非僧非俗
松尾芭蕉(1644-1694)
僧に似て塵有 俗にゝて髪なし
(僧侶に似て俗塵があり 俗人に似て剃髪の身)
良寛(1758-1831)
俗にあらず沙(しゃ)門にあらず
(俗人ではなく僧侶でもない)
世間虚仮 唯仏是真
親鸞の一番大切にした言葉
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 芭蕉 辞世句
上記は仏教の根本的思想
自分は何者か?自分は何者でもない!
ジャンル別に問題を見る
世界を変えるのは人間 無空幻 それくらいの覚悟で生きていく
良寛の遊び方に感銘を受けた
良寛は醜い子(貧しい)を普通(平安)の子にするために遊び続けた
ここで本来の金太郎の話と結びついた
夜明けの静寂は天下絶品の時間
私は山折哲雄氏と同じことを日々繰り返していました
今日も午前1時45分に目覚めスケジュールを熟しました。
何かお仲間がいて物凄く嬉しくなりました。
2025年3月7日金曜日
跡形なし添削&第10回尻文字三角パス③&「春の闇」
内は青黄柳纏い春の街
ふうふうと息吹きかけん余寒かな
黄色華やかオンシジウムの武相荘
■プレバト纏め 2025年3月6日
永世名人 俳句抜き打ちテスト
梅沢富美男 藤本敏史 横尾渉
▪豪華添削スペシャル 跡形なし添削
冬の朝我慢しきれずはしご芋 勝俣州和
添削
ドライブスルー冬のポテトをはしごして
食の秋ケータリングで2キロ増え 熊谷真実
添削(散文 詩がないのは致命的)
楽屋への差し入れ多し食の秋
ゆれすすきいつかはフェスと夢見る日 山口智充
添削
いつか我が歌を大観衆へ秋
前の人頼む!頼むな!ラス苺 小藪千豊
添削
苺ケーキ残り一つの列にゐる
盆休み久々の足の指の敵 かまいたち・山内
添削
また指をぶつける柱盆の家
幼子を守る隙間に青田風 Hey!Say!JUMP・藪
添削
子が潰れそう満員の冷房車
開運を願う初春にメモ外す YOU
添削
「冷蔵庫のメモを外せ」と初みくじ
■夏井いつき俳句チャンネル
【第10回尻二字三角パス③】次のパスは何?!【「かな」】
キル・ビルとレザボアドッグスの溽暑 家藤正人
書架のすき間に眼のひそむ時鳥 ローゼン千津
擬するとは日照雨人売り落とし文 夏井いつき
部見てってと土肥研の大西瓜 家藤正人
■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「春の闇」
「春の闇」というと文字通りこの春の夜
しかも月の出ていない夜のこのとろ~っとした
夜の暗さのことを「春の闇」というわけですね
「春の闇」というこの季語から結構色めいた
艶ごとめいた連想をする句というのは かなり
見かけるんですけど 実は歳時記によると
そういう方向だけではない奥行きのある季語のようです
この春の夜の中で展開されていく草木の匂い立つような
要素でありますとか ちょっと湿った潤んだこの夜の
空気でありますとか そういった事も歳時記には
しっかりと解説されています いろんな角度からの
「春の闇」描き方に挑戦してみたいところですね
2025年3月6日木曜日
あの人に会いたい 山藤章二
反逆のカリスマ尾崎風光る
春興や7メートルをダイブせり
飛び降りる壁から尾崎春の風
春まけて時代の壁を飛び越えん
■あの人に会いたい 山藤章二(イラストレーター)
1937-2024(令和6)年 87歳没
似顔絵というのは もうちょっと 風刺であると
風刺であったり 記録であったり 批判であっていいと
そういう立場で かなり絵描き側の主体性を出す絵を
描こうとスタンスを決めたわけです
らっしゃい‼
昭和51年、三木さんからはじまって25年とちょっと、
「腕はあやしいけど、ネタは新鮮」というので
やってきました 回転寿司です。
「談志は元気」(1997年)
「銀行にブスリ」(2000年)慎太郎さん銀行に突き立てる
学校新聞の中で新聞部員が先生のインタビューをする
コーナーがあったんです そこに写真じゃつまらないから
似顔絵カットを欲しいというので 山藤は得意だから
描いてくれっていうんで注文を受けて印刷されたという
今の原点ですね きちょうめんな方で融通のきかない先生でした
美術部に入りまして 絵を始めたら わりと向いていたんですね
絵がどんどん面白くなって うまくなって そこから今度は
先輩に教えられて藝大(東京藝術大学)を受けてみないかと
図案科というところがあるぞと そこへ行けば いわゆる
アーティストじゃなくて 職業に結び付く道があるということで
(受験に3度失敗)
そういう挫折とかネガティブなものを拾い集めてね
反骨精神みたいなものに結び付いていったんじゃないかな
そういうことを振り返ったときに 藝大へ行っていたら
当然今の道じゃないですよね (武蔵野美術大学へ進学)
ベン・シャーンというアメリカの画家がいたんですよ
それまでの宮廷に着飾った貴婦人がいる絵だとか生活と
隔絶した世界を描くことがアートだというようなヨーロッパ的な
美術感があったときにこういう街なかへ出ていって駅の貨車の
今でいえば国鉄民営化反対の元国鉄マンを描くとか そういう
非常にドキュメンタルな目で描いたペインターっていなかったんです
それはまさしくイラストレーターの目なんですよ
大手の企業のデザインばっかりやらされまして 当時生意気盛りで
この先 例えば 8年も10年も企業の宣伝ばっかりやって
俺はどうしちゃうんだろうという気になるわけですよ
ある日突然「辞めます」と言って辞めちゃったんです
当時もうすでに結婚して子どもが1人いたんですけど
えらいもので何も言わないんですよ「辞めたよ」と言ったら
「そうですか」ってね
フリーになって5年チャンスが訪れます
野坂昭如さんのエッセイの挿絵を頼まれたのです
普通挿絵というのは文章の邪魔をしないことが大原則なんですけど
僕はここで邪魔してやろうと 作家の似顔絵を道化にして
描いてみたり 作家を裸にしたり いろんなことをして
それをやりましたところ 編集者とか読者の方に「大変面白い」と
「文章で面白くて絵で面白い」っていうんでね 当時ちょっと
話題になりました それで僕の「山藤スタイル」みたいなものが
固まったんです
昭和51年 週刊朝日で連載が始まりました
「山藤章二のブラックアングル」
暴言か正論かのポスト 郵政民営化を唱えた小泉発言に
大揺れの政府を描いたパロディーでした
時間をかければかけるほど傑作かというと
必ずしもそうでないところが面白いです
僕のウエイトのかけ方としては半分以上文章というか字ですね
いい的確な言葉とか 決まり言葉が浮かんだ瞬間に
おそらく7~8割できたという感じですね
僕の中の一つに風刺精神と言えば 新聞的に1面が政治
2面が外交 3面経済 とかいうような 縦序列じゃなくてね
僕にとっては等距離で あらゆる人物とか出来事を見るという
だから偉い人にとっては並列化されることは
けしからんと思うかも分かりません
それがだから風刺の原点かも分からないですね
熱烈なタイガースファン 吉田監督 虎のマーク合わせて
今世紀最後かもわからない この時以来笑顔がない
ジャイアンツが僕ら髙橋選手が阪神に入ってほしいと思ってたから
そういう私怨を込めてやっぱりお金持ちにはかなわないな
金物は磁石で吸いつけちゃうなって
これは大平さんリアルですね 岸田劉生という人の娘さんを
描いた絵が何百とありますけど 「麗子微笑」
奥さまが入院された時は
ほとんど病室のベットに付き添ってやったんですけど
病院という器の 壁一重の内と外で価値観が全く違うと
病院の中というのは「生か死か」とか それから
「手足が元どおり動くようになるかならないか」ということ
みんな祈りの世界なんですよ 外へ出るとまあ実に通俗下品極まる
「損か得か」とか「もうかるとか もうからないとか」
行ったり来たりしているうちに ある達観をしちゃったんですよ
宗教家のようになっちゃったんです 今度はユーモアが
出てこなくなっちゃった それが僕にはとてもピンチでしたね
60歳を過ぎると世間とのずれを感じ始める
日本人がどんどんヘンテコになっているんでね
ボヤかないことにはいられない
誇りとか 気骨とか 品格とかね 謙譲とか
日本人が誇るべき美徳がどんどんどんどん
なくなってきていますよね とんでもない日本人
今までの日本人にはいなかったような 日本人が
どんどん出ているんでね これをとても憂えている
日本人はまだまだいらっしゃると思うんですよ
僕の役目はまだあるなと思いまして
山藤章二のずれずれ草「世間がヘン」山藤章二著 2000年講談社刊
僕のズレもね 世間が間違っていると思いながら
まだ60、70ぐらいの人が大勢いるし これからどんどん増えますからね
多分 世間をいぶかしいと思っている世代が大勢いると思うんですよ
ある種の「時代の戦友」みたいなものです
「日常最上 山藤章二」
怒ったり もめたり いざこざしながら飯を食ったり
日常の何でもないことが 実は とっても大事な最上の瞬間である
日々のこと 茶飯のことは とても幸せなことであると
幸福感を持てば その日その日が幸せに暮らせるんじゃないか
2025年3月5日水曜日
夏井いつきのよみ旅!in神奈川 前後編&「堅雪」
生きる人時に委ねん半仙戯
花菫自然に生まれ育まれ
存分にお気の向くまま石鹸玉
■夏井いつきのよみ旅!in神奈川 前編
ブラフ18番館 大正時代オーストラリアの貿易商が住んでいた洋館
初代 打木彦太郎氏がイギリスで修業しパン作りを始めた
それから136年 製パン店5代目 打木豊さん
(発酵に)時間をかけて焼いているのできめが細かい
打木さんの食パン 明治時代から変わらないホップ由来の酵母を使用
ホップを使っているので香ばしい
イギリスを縛って北風の朝(あした) 廣瀬玲子
廣瀬さんMEMO 2002~2005年 フランス生活が実現
淳さんが再就職し再びフランス生活が!
校了や深呼吸して柚子の風呂 井手之上麻理子
井手之上さんMEMO
公務員時代に音訳ボランティアに出会い3年前から活動
60歳を超えると日々衰えていくことばかり、その中で
音訳者をやっていると自分の成長を感じることができる
もう居ない影を追いかけ春の霜 俳号 曖昧模糊
俳句ひとくちMAMO
春節は春の季語 中国の旧正月 盛大にお祝い
春の空家族で祝う赤提灯 鶴見香奈子 太鼓担当
赤提灯は幸福を願う象徴
春節は獅子舞い踊るこれからも 岳中愛奈 獅子担当
春を呼ぶ獅子と歓喜と若人と 夏井いつき
冬の朝ホットサンドを喰(は)む愛娘(むすめ) 鈴木由香里
待合に翁と古稀と風邪の子と 石井治彦
風邪:冬の季語
奥さまへお礼の句
三十年苦楽ともにし亀ぞ鳴く 石井治彦
亀鳴く:春の季語
本来はない亀の鳴き声を春の情緒として表現する
いつきセレクト
中古車に若葉マークを貼り小春 沼野大統領
探梅のベビーカー吾子の指先 手塚詩織
音訳志望ランドマーク冷たし 樋口実千代
■夏井いつきのよみ旅!in神奈川 後編
東海道の宿場町として栄えた箱根の麓にある小田原です!
かまぼこ博物館職員 森川高弘
宿場町に泊まった大名や旅人がかまぼこを召し上がって
そのおいしさが東海道を通じて全国に広がった
かまぼこ博物館
かまぼこの歴史や製法おいしさの秘密が学べる施設
ひとつめが地下水 箱根連山でゆっくりろ過された水
その水を使うことでおいしく白くてぷりぷりなすり身にできる
水産練り製品製造技能士
魚肉練り製品の国家資格 1級の取得には約10年も!
山笑うその頃君も初笑い 為谷(ためたに)鈴子
(山笑う…春の季語)
初雛や親子三代チアダンサー 久保祐子
義母愛でし水仙新築の庭へ 牧田貴子
(水仙…冬の季語)
一月の行事 元旦:賀詞交換 2日:お年始 3日:三日とろろ
6日:六日越しそば 7日:七草がゆ 11日:鏡開き 15日:小正月
20日:えびす講
季語の宝庫みたいなおうち
後悔がずっと残っちゃって焼き付いている 母が元気がなかったり
食欲がない時 好きなものを出したらきっと食べてくれるだろうと
思ったんですけど 母の好きな食べ物を知らないことに気が付いて
考えてみたら好きな花 好きな歌 お気に入りの服 何も知らない
「私 何をしてたんだろう」って悲しくなってしまって
どうでもいい話をもっとすれば良かったと それが後悔
母がいつも私にニコニコ接してくれたので どんなに大変でも
“いつも笑顔で”と思ってニコニコしました 無理してでも笑顔になると
つらさが半減する やれそうな気がして「やっていけるぞ」って気がして
介護を楽しもうと思って
ROLAND
自分の死後に「介護が楽しかった」って
言われていると思うときっと幸せでしょうね
寄木細工職人 篠田英治
得意は極小寄木細工
木で作る六花の如き美しさ 篠田英治
俳句ひとくちMEMO
六花:冬の季語 雪の別称 結晶の六角形が由来
寄木細工を活性化しようと6人の若い男が集まった「雑木囃子」
ライバルはもっとオシャレ イマドキな寄木細工を作っている
せめて寄木の技術だけは磨こうと 技術を磨いていくうちに
(模様が)細かいとキレイだし「どこまで細かくできるかやってみよう」
極小寄木を作ったら評判が良くてこれで行こうと落ち着いた
みんなからは「変態寄木」だと言われています
“箱根のおみやげ品”で終わらないでもっと広めたい
日本の文化を紹介するイベントで海外に呼ばれることもあって
世界で「日本の寄木すごいぞ」世界に広げていきたい!
初雪や小函(こばこ)にすこやかな野望 夏井いつき
一度きりの個展自画像冴え返る 平池真理
(冴え返る…春の季語 春になったのに寒さがぶり返すこと)
桜見る命日に浮く笑顔かな 池谷宏之
私は思い出話をするということは“そのとき(彼は)生きている”
と思っています 今回こういう機会をいただいたので
中学高校の同窓会 また警察官仲間に
「ああ、臼井はまだ元気でいるんだな」思い出してもらったら
とても幸せかなと思っています
いつきセレクト
先生とお別れ子犬の春愁 武居裕美
古セーター千のけんかと千の愛 鍵和田博子
犬連れて歩く10キロ冬ぬくし 若村京子
■夏井いつきのおウチde俳句
一分季語ウンチク「堅雪(かたゆき)」
「雪」というと堂々たる冬の季語になるんですけれど
この雪にまつわる色んな他の派生した季語が
存在しているんですね
そしてそれは季節をまたいで春になっても残っている雪
そんなものとしてこの「堅雪」は春の季語になっているわけです
まだ春の浅い時期 この雪が残っている雪が日中暖気で
溶けてきてでも夜になると厳しく冷え込んでくる
そうすると一度溶けたものがどんどん堅くしまっていくんですね
その上に更に新しい雪も積もっていくと
そんな状態の雪のことを「堅雪」といいます
僕は生まれてこの方 ずっと愛媛住まいですが
北国の人にとってはこの「堅雪」っていうのも
非常に生活に根ざした季語として
実感の強いものかもしれませんね
2025年3月4日火曜日
あの本、読みました?吉本ばなな&小原晩
値上げのために消える商品今何処
亀鳴くや値上げ直前モノ隠す
春の夜や未だシナモン止められず
■ あの本、読みました?吉本ばなな&小原晩…生き方のヒント【エッセイ】特集
鈴木保奈美 角谷暁子 小原晩 篠原康子 吉本ばなな 林祐輔P
「獅子座、A型、丙午」鈴木保奈美著/中央公論新社
日常を温かく見つめた保奈美さんの本音・本気が綴られたエッセイ
・自費出版❝唐揚げ本❞が異例のヒット 注目の若手作家・小原晩 篠原康子
無職から作家へ シンデレラストーリーとは?
200部くらい刷って5万円で作れた 5万円なら貯金があった
異例のヒット!自費出版で1万部
唐揚げ本とは?
「無職、川、ブックオフ」の一文 マンスーン著/素粒子社
売るでなく買うでもなくより
寝ることにも飽きて。起きることにも飽きて。
インターネットにも飽きたら他にやることがない。
そうなったら向かう場所は一つだけだった。
実家よりも落ち着く。ブックオフ。
ブックオフに行く理由はそれぞれあると思う。
探してる本を買いに行く。本を売りに行く。
時間を潰しに行く。でも僕はそのどれでもなかった。
ブックオフを感じに行く。ただそれだけだった。
(中略)
最近は実家に帰ると父の本棚を眺めている。父を眺めている。
恥ずかしいから気づかれないように。いつだったか、父の本棚に
「働かない息子を持つ父親」みたいなタイトルの本を見つけた。
早く、ブックオフで売ってほしい。
「終の棲Ⅴ幸せの循環型ホーム」の一文
北沢美代著/幻冬舎メディアコンサルティング
人生100年時代より
まず私が思っていた老年学は顕微鏡で
「老年」を拡大して見ることだと思っていた。
納得できたことは「人生100年時代」を考えると「老年」だけに
焦点を当てるのではなくそれを支えていく若者、
国の問題でもあるということだ。
当たり前と言えばそれまでのことだが、人生50年時代から
100年時代に移行してきた時は「余生」ではなく「セカンドライフ」
なのだと知った時、私は下の世代の後輩たちが「老人ホーム」を
すでに自身のライフプランとして位置づけており、
それをまさに「セカンドライフ」だった。
月間売り上げ1位 「ここで唐揚げ弁当を食べないでください」
「ここで唐揚げ弁当を食べないでください」の一文
小原晩著/実業の日本社
社会人一年目の夏。仕事に慣れてきた私はサボることを覚えた。
先輩にバレないルートでファミリーマートまで行って、唐揚げ弁当を買い、
建物と建物の隙間に入って唐揚げ弁当をむさぼり食う。
(中略)
ある日、唐揚げ弁当を持って、いつもの場所へ行くと、
「ここで唐揚げ弁当を食べないでください」と、書かれた
紙が張り出されていた。私は驚いた。バレていた。
青山というお洒落な街の建物と建物の隙間でファミマの
唐揚げ弁当を食べている人間が存在するということがバレていたのだ。
エッセイを描くきっかけは❓
代々木公園と元気を出して より
「アゝ!アゝ!」鳴いた。と思うが早いか、すごい量のカラスが
色んな木から飛び出してきて、ついさっきまで私が座っていた
水辺に集まった、あんバターサンドを囲んで。
そうだ。私はあんバターサンドを置き去りにしてしまった。
カラスたちはあんバターサンドをカツカツ突いて食べていく。
あんこの糖分で頭が冴えわたるカラス、
バターの脂肪分で毛の艶を増していくカラス、
パンを咀嚼することによって顎が発達するカラス。
めきめきめきめき進化するカラスたちの迫力たるや。
その光景をぶるぶる震えて見つめる私のまぬけさたるや。
ほとぼりのさめた頃、カラスたちが残したゴミを拾って帰った。
こうして自分のまぬけさを肌で感じてみると、
全ての失敗がやむを得なくおもえた。
「私は途方もない馬鹿なのだから、開き直ってしまおう」などと
考えているとむやみやたらと元気が出てきた。
そういえば死んだ父もよく言っていた。
可愛いお馬鹿になりなさい、と。
無職から作家へ シンデレラストーリーとは?
兄はガニ股より
父が亡くなってから、
しばらくの間は週に一度実家に帰っていた。
母の心労は、父が亡くなったことだけではなく、
最近発覚した兄の借金のことだった。
兄は少し前に離婚し、勝手に住民票を実家に移していたようで、
借金関係の書類が実家に届くようになっていた。
(中略)
逆切れしている相手に、言葉は要らない。「あ?」で充分。
議論の価値はない。兄だって自分が悪いことぐらい
百も承知だ。だからこそ逆にキレるんだ。
果てしなく広いローソンに兄と妹の「あ?」「あ?」「あ?」「あ?」が
響き渡る。「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」「あ」
果てしなく広いローソンが「あ」で埋め尽くされた頃、
兄も落ち着いてきたのか、「公園行って話すか…」と言い始めた。
それからは穏やかに、現状とこれからについて話しあった。
話が終わると、「駅まで送るよ」と言って、そのすぐあとに
「妹を駅まで送るなんていいお兄ちゃんだろ」と言った。
エッセイを通して伝えたいこと
・小説家が描くエッセイの魅力とは
吉本ばななが語るエッセイの魅力とは?
エッセイは得意じゃない 豆腐を作るときに”おから“が出る
エッセイは”おから“ その考えは一体どこから
「パイナップルヘッド」吉本ばなな著/幻冬舎文庫1998年発売
ばななさんの愛・感動・生き抜く秘訣を書きの記した一冊
が、鈴木保奈美さんの本棚から
「パイナップルヘッド」の一文 吉本ばなな著/幻冬舎文庫
保奈美夢より
私は「鈴木保奈美」は天才だと思う。天才はみんなそうだが、
会うと普通の人のふりをしている。
そして自分の持ち場に行くと、突然恐ろしい能力を破発揮するのだ。
吉本ばななにとってエッセイとは?
「骨が折れた日々 どくだみちゃんとふしばな11」の一文
吉本ばなな著/幻冬舎文庫
飽きより
杖をついてて、スタスタ歩けないって言ってんのに、
わざと遠くに止めて動かないタクシーの運転手さん。
でもあわてないでゆっくり歩いて乗る。
こんなことで転んだらバカを見る。
「反対側から乗らずにここから乗るとずいぶんと遠回りに
なっちゃいますけど、ご了承いただけますか」とか言ってる。
意地悪い。だから歩けないから道を渡れないんだって言ってんのに。
家について「ここでけっこうです」と言っても、
聞こえないふりして30メートルくらい先まで走っちゃう。
すみません、たくさん歩けないのでバックしてもらえますか?
と言うと、1メートル下がって「はい!」と止まる。
「もう少し下がってもらえますか?」と言うと、
また、1メートル下がって止まる。「あの電柱あたりまで」
と言うと、何回もいやらしくブレーキをかけながら止まる。
こういう意地悪ってなんのためにあるんだろう?
本人はすっきりするってわけ?コロナでうっぷんがたまってるから?
最後は一応笑顔で別れたけど、
きっとモテないし気の毒な人生なんだろうな。
理由と余裕より
言うことを聞かないともっと面倒なことになりそうだな、まあいいか、
今時間があるし、人に会いたいし、嫌いでもないし、と思って、
たまにそういう強引な人とごはんなど食べる。するとものすごい
目力でずっと存在しているから、ごはんがまずくなる。
そして必ずなにか提案してくる。双方にとっていいという感じの提案で、
お金がからんでいたりいなかったりするが、最終的に
その人の方がちょっと得をするような案件である。
人生って、自分の方がちょっと多めにやってこそなんとか
回っていくものだ。自分が言い出したんだから、ちょっと多めに取る、
それは違うと思う。一見いいようだが、長い目で見たらマイナスになる。
そんな簡単なことがなぜわからない。これは哲学でもなんでもなく
ちょっと多めに取る人の周りからは、だんだん人がいなくなる。
エッセイは”おから“
酷い目に遭ったら絶対元を取ってやる
治癒より
猫がゆっくり歩いてくる。知っている猫なので「久しぶり、
元気だった?」と声をかけたら、「にゃにゃにゃーん、
にゃにゃにゃーん、にゃんにゃん、にゃんごろにゃん」と
返事が返ってくる。こんなに会話が成り立つなんて!
アジアの風(電鍋考)より
それから、似たようなシステムで、熱々のまま入れておいたから
長い間加熱しながら保温してくれる鍋もあるとき人からいただいて、
お味噌汁をずっとそれで作っていました。
そのときかっていた猫が、なんと土鍋やル・クルーゼの蓋も
開ける強者だった(ふと見ると土鍋やあの重いル・クルーゼの
鍋の蓋がずれていて、肉だけがなくなっている。そして猫の手が
しっとり濡れている)のですが、その鍋の蓋だけは構造上
猫の手では開けられないしくみだったからです。
猫は大切な存在
SNSを通して描く理由
「パイナツプリン」の一文 吉本ばなな著/角川文庫
ばななさんの心・恋・死・友情・作家についてつづられた一冊
あの日の工藤静香より
生の歌番組の良いところは、アイドルの人達のゆれをそのまま
映し出してしまうところで、その日の気分によって同じ歌も
表情も一回きりしかないところだ。
「アイドルのあの人にとっても、私にとっても、今日という日は
二度とないんだ、この人がこんな顔でこの歌を歌うことも。」
と思えた瞬間のときめきはたとえビデオにとっておいても
決して再現できない。
(中略)
たしかその日は新曲の「抱いてくれたらいいのに」とかいう曲が
初めてベストテン入りしたんだと思う。
彼女のあの勢いといい、パンチといい、歌といい、本気だなと思わせた。
「幸せへのセンサー」の一文 吉本ばなな著/幻冬舎
人に言われた評価とは関係なく、「自分のここはいいところだと思うな」
とか「自分のこういうところは本当にひどいな」とか、
自分だけで思っていること。自分だけで思っていることとか、
自分だけが知っていることって、実はものすごく大切。
だけど、今ってSNSとかですぐつぶやいたりして、みなさんすぐ
手放しちゃうじゃないですか。私もSNSはやっているけれど、
誰にも言わないでどこかに行って、それをどこにも載せないし、
書かないなんてことは、いっぱいあります。
そういう自分しか知らないことっていうのがすごく大切で、それが
全てだし、それだけが自分を豊かにするコツだと言っても過言ではない。
幸せになるためには…
作家とライターの関係性
雑誌で対談!綿矢りさ
綿矢りさ オススメのエッセイは?
「精選女性随筆集 宇野千代 大庭みな子」小池真理子選/文春文庫
小池真理子・川上弘美が選者となり
近現代の女性作家による随筆を編んだ珠玉のシリーズ
『「違うこと」をしないこと』吉本ばなな著/角川文庫
吉本ばなな女史 お薦めの一冊
「女二人のニューギニア」有吉佐和子著/河出文庫
現地の民族や文化を観察した記録
ハプニングの連続に抱腹絶倒の一冊
吉本ばなな女史!尊敬の念は深まり益々好きになっちゃいました。
吉本ばなな女史をお教えくださった糸井重里氏にはまたまた感謝、感謝です。
今回は本当に素敵な企画をありがとうございました。
2025年3月3日月曜日
兼題「囀(さえずり)」&題「青空」
思いきり甘やかす春の夕焼
春光やその時こそは立ちあがる
老い重ね独りで生きん風光る
■NHK俳句 兼題「囀(さえずり)」
選者:堀田季何 レギュラー:庄司浩平 司会:柴田英嗣
年間テーマ「俳句の凝りをほぐします」
・今週のテーマ 切字「けり」
けりつけるように語りきる
古文で教わる「けり」は「した・してきた・したそうだ」など
過去や過去から繋がっている話
俳句で使う場合ちょっと違う
今目の前で起きたことの事実
今認識したばかりの事実にグサッとくる
くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏
俳句は今この瞬間を詠む 「けり」を使う時も目の前の事実に
「おっ」と思っていることが重要
注意すべき凝りポイントは❓
凝りポイント①
A帚木(ははきぎ)に影といふものありにけり 高浜虚子
B帚木や影といふものありにけり
ほかに強い切れがある 焦点がブレる
ほかの強い切れと一緒に使わない
凝りポイント②
「けり」を変化させている
ほかの切字「や」「かな」は変化しない
「けり」は活用できる「ける」「けれ」など
だけど切字「けり」として使う時は「けり」
終止形で「けり」じゃないと強く切れない
「ける」だと繋がる「けり」と「ける」だと意味合いが変わる?
Aことごとく未踏なりけり冬の星 髙柳克弘 終止形
Bことごとく未踏なりける冬の星 冬の星に繋がる
意味は一緒だがニュアンスが違っている
ツボポイント②
切字「けり」は終止形で言い切ろう
凝りポイント③
切字「けり」ではない
Aかたかごの風に頷きつつ咲けり 伊藤伊那男
B門前に野菊咲きけり長建寺 大島梅屋
A切字「けり」だと強過ぎるB事実の強烈さに驚きがある
ツボポイント③
切字「けり」と助動詞「り」の違いを理解しよう
いろんな「けり」を使った句を読めば感覚的に分かるようになる
切字「や」「かな」にはない利点
多彩な使い方
① ことごとく未踏なりけり冬の星 髙柳克弘
② しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり 与謝蕪村
③ 馬迄も萌黄の蚊帳に寝たりけり 小林一茶
④ 人の輪の外にをりけり卒業子 山田佳乃
音数調整ができる
②五音 ①四音「未踏なり」でも通じる「けり」を入れて強める
②「なりけり」「なりにけり」ニュアンスもほとんど変わらない
俳句的には音数(調整)で使い方が決まる
③寝る寝たり寝にけり五音なので寝たりけりとした
事実に驚いたとき「けり」を入れたい
⑤ 「をり」でも通じる
切字「けり」の魅力
音数やニュアンスに合わせて多彩な使い方ができる
あとは慣れることしかない 慣れ親しむ
たくさん良い句を読んで自分でも作る
・特選六句 兼題「囀(さえずり)」
春における鳥類の鳴き声 繁殖期を迎えて恋の歌を歌う鳴き声
縮毛矯正四時間を囀りぬ 蜘蛛野澄香
酸性だらう東京の囀りは 樹海ソース
囀の止まなくて別れられない 里山子
私 囀の東雲(しののめ)色の聞こえけり 池田宏陸(ひろむ)
(色を聞く 色聴 共感覚)
私 囀りやアフロヘアーの哲学者 嶋村純
(「同じ情景」でありながら「二物衝撃」)
私 人工の森を百年囀りぬ 牧野冴
・柴田の歩み あと何周もしたい
庄司の歩み 切字、をりにけり To be continued…。
■NHK短歌 題「青空」
選者:川野里子 レギュラー:内藤秀一郎 深尾あむ 司会:ヒコロヒー
年間テーマ「“私”に出会おう~2年目の飛躍~」
・飛躍の扉”私“に出会おう
向きを変えた磁石たがいにすがりつくわたしの嘘がわたしにばれる
山階基(やましなもとい)「夜に着こなせたなら」
自分に噓をついていたことを磁石を見ることで気がつく
伊能図と呼ばるる巨大智地図を見て昏倒したりわがたましひは
高野公彦「水の自画像」
自分の小ささに出会ってしまった 世界や社会やいろんな
日常的な小さなものにしっかり向き合って出会い直す
そのことによって自分が変化する
出会いを重ねていくということが“私”に出会うということ
・入選六首 題「青空」
爆撃の照準精度があがるほど傷ひとつなく澄みたる青空
村松建彦
私 青空も暗い雨天も変わりなく正確無比の白い杖行く
小久保英二
一席 私 誰かから見ればわたしも運がいいカーブミラーに映る青空
小金森(こがねもり)まき
青空の向うからくる汽船には錆びたコンテナ明日葉を載せ
赤城条治
青空に雪の立山気がつくと西行みたいに立ちつくしていた
海野(かいの)佳子
青空はモナ・リザだった泣きそうな私を嘲笑するような青
武田生吹(いぶき)
懐かしいふと思い出す蜜の味一人で咥えた秘密のツツジ
内藤秀一郎
どれだけの出会いと別れ知ってるのボート漕ぎつつ見る渡月橋
深尾あむ
輝きたい思い続ける今の僕鋭い眼光相手を見据えて
内藤秀一郎
あの音はそうか最後のスターマイン夏に背を向け一歩踏み出す
深尾あむ
あむあむと経験を食べて羽ばたいてしゅういちくらいで思い出してね
ヒコロヒー
・言葉のバトン
あらたな道へ心機一転
八木冨美子(江北氷川神社名誉宮司)
⇩
掛けなおすボタン緋(ひ)色の春が立つ
小川優子(店主)
重きめまひに閉ぢしまぶたを刺すごとき残像ひとつ路上の果実
歌人清水房雄の結社「アララギ」に入会
2025年3月2日日曜日
こころの時代 宮沢賢治(5)
アルバムは石をフォーカス俯かん(無季句)
ジャケットを飛び出す尾崎風光る
一枚の葉っぱと共に春を逝く
吾のために生きた人生春の雪
■こころの時代 宮沢賢治
久遠の宇宙に生きる(5) 理想郷「イーハトーブ」の創造
来春はわたくしも教師をやめて本統の百姓になって働らきます
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
われらは世界のまことの幸福を索ねよう求道すでに道である
造化の秘密を看破するを得、一礫一岩塊と雖も深々たる意味を
有するを了解し、尽き難きの興味を感ずるは生等の親しく
経験したる所とす、
「盛岡付近地質調査報文」
花巻農学校における宮澤先生は実にすばらしい先生だった。
きわめて明晰な講義をされ、また実習も先生のときは
苦しい作業を忘れるくらい楽しかつた。
授業中レコードをかけたり、絵を見せたり、演劇をやつたり、
大勢の生徒を連れて岩手登山をしたりすることは、公立学校の
教員としては普通は出来ないことである。
教え子・小原忠の回想
日ハ君臨シ カガヤキハ 白金ノアメ ソソギタリ
ワレラハ黒キ ツチニ俯シ マコトノクサノ タネマケリ
日ハ君臨シ カガヤキノ 太陽系ハ マヒルナリ
ケハシキタビノ ナカニシテ ワレラヒカリノ ミチヲフム
宮沢賢治「花巻農学校精神歌(農学校歌)」
農業実習には私達の誰よりも多く土を耕し厩肥を土にまぶし、
私達の嫌ふ肥料を手にこねて!およそ尽すといふこと真心と
いふことは、さうしたことを言ふ言葉ぢやなかつたらうか。
教え子・松田奎介の回想
来春はわたくしも教師をやめて本統の百姓になって働らきます
いろいろな辛酸の中から青い蔬菜の毬やドロの木の閃きや
何かを予期します わたくしも盛岡の頃とはずうゐぶん
変わつてゐます あのころはすきとほる冷たい水精のやうな
水の流ればかり考へてゐましたのに いまは苗代や草の生えた
堰のうすら濁った温かなたくさんの微生物のたのしく流れる
そんな水に足をひたしたり腕をひたして水口を繕ったり
することをねがひます
宮沢賢治「保坂嘉内宛の手紙」1925年
智目行足到清涼地
早魃に悩まされつゞけた田植えもやつと終わつた六月の末頃と記憶する
玄関の側には大きな黒板が掲げられ、内は森として静まり返つてゐた。
ふとふり返ると、素処には窓越しに机に凭れてゐる先生の姿を認めた。
更にガラスに近寄れば、机によつてぐつすり眠つてをられたのだつた。
陽にやけた顔とあみ襯衣を透してあらわにみえる黒い肩、
蚊に刺されて無数の黒点いっぱいな腕、破れたかゞとの穴を
反対に上にして穿いている靴下のその穴からみえるのは、多分鍬ででも
あらう大きな切傷に沃丁が塗られ、私は思はずも驚かざるを得なかつた。
教え子・菊池信一の回想
羅須地人協会
希望の方もありますので、まづ次のことをやってみます。
「われわれはどんな方法で われわれに必要な科学を
われわれのものにできるか」一時間
「われわれに必須な化学の骨組み」二時間
働いてゐる人ならば、誰でも教へてよこしてください。
宮沢賢治「集会案内」
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙しく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識となり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して
これに応じていくことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう求道すでに道である
宮沢賢治「農民芸術概論綱要」序論
おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せわれらのすべての田園と
われらのすべての生活を一つの巨きな
第四次元の芸術に作り上げようではないか
まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無法の空にちらばろう
しかもわれらは各々感じ各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本陸中国の野原である
青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て
「つめくさ灯とすも宵のひろば 互いのラルゴをうたひかわし
雲をもどよもし夜風にわすれてとりいれまぢかに歳よ熟れぬ」
詞は詩であり 動作は舞踏 音は天楽 四方はかがやく風景画
われらに理解ある観衆がありわれらにひとりの恋人がある
巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう
宮沢賢治「農民芸術概論綱要」農民芸術の綜合
行往坐臥 歩くこと 止まること 座ること 寝ること
三千大千世界 久遠仏 一念三千
一しんに畔を走ってきて青田の中に汗拭くその子
燐酸がまだ残っていない?みんな使った?
それではもしもこの天候が これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ 斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
せわしくうなづき汗拭くその子
冬講習に来たときは 一年はたらいたあととは云へ
まだかがやかな苹果のわらひをもってゐた
いまはもう日と汗に焼け 幾夜の不眠にやつれてゐる
しっかりやるんだよ これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ 吹雪やわづかの仕事のひまで 泣きながら
からだに刻んで行く勉強がまもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら 雲からも風からも
透明な力が そのこどもに うつれ
宮沢賢治 詩「あすこの田はねえ」
もうはたらくな レーキを投げろ この半月の曇天と
今朝のはげしい雷雨のために おれが肥料を設計し
責任のあるみんなの稲が 次から次と倒れたのだ
稲が次々倒れたのだ 働くことの卑怯なときが
工場ばかりにあるのでない ことにむちゃくちゃはたらいて
不安をまぎらかさうとする、卑しいことだ
さあ一ぺん帰って 測候所へ電話をかけ
すっかりぬれる支度をし 頭を堅く縛って出て
青ざめてこはばったたくさんの顔に 一人づつぶっつかって
火のついたやうにはげまして行け どんな手段を用ゐても
弁償すると答へてあるけ
宮沢賢治 詩「もうはたらくな」